再訪したミラノでついに自作オペラを上演&リッチな高級泡「オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコ」

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W.A.モーツァルトの旅先を巡り、現地の美味しいワインをご紹介する連載「モーツァルトとワイン旅行」。15回目となる今回、ヴォルフガングと父レオポルトはミラノに戻り、一大プロジェクトに取り掛かります!

ボローニャからミラノへ

ボローニャを発ったモーツァルト父子は、途中凄まじい雷雨に見舞われながらも、1770年10月18日の夕方5時、無事ミラノに到着しました。

ミラノでふたりが暮らしたのは、バルコニー付きで窓が3つもあり、暖炉がある大きな部屋と、同じくらい大きな寝室から成り立つ住居でした。

そしてこの住居が位置するのは、宮廷劇場(テアトロ・ドゥカーレ)の近く。なぜならこの地でヴォルフガングは、「イタリアでの自作オペラ・セリアの上演」というビッグ・プロジェクトを遂行することになっていたからです。

《ポントの王ミトリダーテ》上演までの道のり

このオペラ制作プロジェクトは、前回のミラノ滞在時にスタートしました。上演までおよそ2か月となり、再び訪れたミラノで、ヴォルフガングたちを数々の苦難が待ち受けていました。

ヴォルフガングが受けた注文

まず、今回の注文内容について少し詳しく見ておきましょう。

今回ヴォルフガングは、『ポントの王ミトリダーテ』という台本に曲をつけるよう依頼されました。この台本は、すでに3年前にクィリーノ・ガスパリーニが作曲・上演して大成功を収めた同名の台本の改訂版です。無事に出来上がった暁には、オペラの街ミラノで、年末の謝肉祭シーズンに初演されることになっていました。

わかりやすく言えば、数年前に大ヒットした映画の原作を使ってまったく別の映画を制作し、「映画の街」で開催されるイベントで大々的に上映するというイメージですね。

これまでの制作過程

この時代、オペラに出演する歌手は非常に強い権限を持っていました。アリアや重唱曲については、作曲家が歌手の注文を聞いて、その人の声が最大限生かされるように、オーダーメイドで作曲することになっていたのです。

つまりアリアや重唱曲は、歌手に会うまで書けません。したがって、作曲はレチタティーヴォから始まるのが当時の慣例。ヴォルフガングもレチタティーヴォから始めましたが、着手したのは今回ミラノに入ってからでした。なぜそんなに時間がなかったのでしょう?

オペラの注文を受けたのは3月ごろですが、台本を受け取ったのは7月末。その時期からずっとヴォルフガングは、アカデミア・フィラルモニカの試験勉強に取り組んでいたのです(そして前回取り上げたとおり、そして異例の合格を果たしましたよね!)。

だから結局、オペラの制作に集中できたのは本番直前になってからでした。ミラノから送られた書簡の中で、ヴォルフガングは「愛するママ、あんまりたくさんのレチタティーヴォを書いたので指がとても痛くて、長い手紙は書けません」と述べています。

第一の戦い

レチタティーヴォを書き終え、次いでアリアや重唱曲と、急ピッチで制作を進めるヴォルフガングに、何者かの邪魔が入ります。

本作でプリマ・ドンナを務めるアントニア・ベルナスコーニのもとに誰かが訪れて、ヴォルフガングのアリアではなくガスパリーニのアリアを歌うよう依頼したのです(ガスパリーニは、3年前に改訂前の台本でオペラを作った人です)。

幸い、ベルナスコーニはその依頼を断りました。彼女はヴォルフガングのアリアを気に入ってくれたのです。

最初の戦いには、幸いなことに、勝ちました。そして敵をひとり打ち倒しました。

(1770年11月10日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

第二の嵐

ほっとしたのも束の間、次なる困難が訪れます。テノール歌手のグリエルモ・デットーレが、自分が歌うアリアについて、ひどく細かく注文をつけてくるのです。

ヴォルフガングはもちろん彼のアリアを書き直しました。中には、4種類もスケッチが残っている曲もあります。しかし第20番のアリアについて、デットーレは最後までヴォルフガングのものが気に入らなかったようです。本番でもガスパリーニのものを歌ったことが、最近になって判明しました。

デットーレは、3年前のガスパリーニのオペラでも役を務めた歌手であり、ガスパリーニとの仲も深かったと考えられています。レオポルトはこのときのことを長らく根に持ち、8年あとの手紙でも「妨害者」として彼の名前を挙げています。

第三の苦難

父子の苦労はまだ続きました。プリモ・ウォーモを務めるカストラートのピエトロ・ベネデッティが、なかなか現地に到着しないのです。

歌手が来ない限り、アリアは書けません。ヴォルフガングたちは、「服がぴったり合うように」彼の到着を待ちつづけるしかありませんでした。

12月に入り、初演まで1か月を切ってもベネデッティは到着せず、ヴォルフガングは本番直前にかなり急いで彼の曲を書く羽目になりました。こうした状況にあるにもかかわらず、作り直しをさせられたアリアもあります。当時、歌手の地位は本当に高かったのですね。

▼《ポントの王ミトリダーテ》より〈愛する人よ、あなたから遠く離れ〉。この動画ではソプラノが歌っているが、当時はカストラートのベネディッティが歌った。

初演までの練習日程

さてここで、資料から明らかになっている範囲での練習スケジュールを見てみましょう。

12月8日(土) レチタティーヴォ練習
12月12日(水) 楽器付き練習
12月17日(月) オーケストラ付き練習
12月19日(水) 劇場練習
12月21日(金) レチタティーヴォ練習
12月22日(土) 劇場練習
12月24日(月) 劇場総練習
12月26日(水) 初演

「楽器付き練習」というのは、16人という少人数の伴奏で、楽譜が正確に書かれているかをチェックする練習です。この練習が始まるまでは「ドイツ人の子供がイタリア語のオペラを書けるわけがない」「稚拙でみじめな音楽に決まっている」などさまざまな悪口が出ていましたが、楽器伴奏つき練習を終えてからは、誰も、何も言わなくなったそうです。

なお、本番のオーケストラの編成は、レオポルトによれば次の通りでした。

第一ヴァイオリン 14
第二ヴァイオリン 14
ヴィオラ 6
チェロ 2
コントラバス 6
クラヴィーア 2
フルート 2(オーボエ2で代用可)
オーボエ 2
ファゴット 2

上演は大成功!

ヴォルフガング初のオペラ・セリア《ポントの王ミトリダーテ》は、1770年12月26日、テアトロ・レージョで初演されました。

ここまで数々の困難がありましたが、上演は大成功。ほとんどすべてのアリアで拍手喝采と万歳の叫び声が聴こえ、初演の慣例に反してアリアがアンコールされたのです。

初演の2日後、そのまた2日後にもオペラは再演され、ヴォルフガングはここまでの計3回で指揮を務めました。その後、上演は翌年1月になっても続き、上演回数は20回以上を数えました。

「ふたりの人がこのオペラは立派なものになるだろうといえば、もう別の10人がこれは駄作だとはじめから知っていたとか、別の人たちはこれはごった混ぜ物だ、これは野蛮なドイツの音楽だとか言う」ーーそんな逆境に打ち勝ち、ヴォルフガングは大成功を収めたのです。

路上で聴いた「5度ハモリのデュエット」

ミラノから父子が送った手紙に書かれているのは、ヴォルフガングのオペラの話が主ですが、それ以外にも興味深いことが書かれています。そのひとつをご紹介しましょう。

ある日レオポルトとヴォルフガングは、路上で二人の乞食がいっしょに歌っているのを聴きました。それは、完全5度の二重唱でした。レオポルトはあまりにも驚き、家族宛の手紙の中で「おまえたちにはとても信じられないだろうし、それに私もまさかイタリアで聴こうとは思っていなかった」と述べています。

完全5度の二重唱を、路上で乞食が歌っている。これは、海老沢敏・高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』で指摘されているとおり、中世の合唱技法である5度の平行オルガヌムが、北イタリアの民謡などに残っていた証です。こうした話が出てくるのも、旅行中の手紙の面白さですね。

▼5度の平行オルガヌム

そのころザルツブルクでは

ヴォルフガングの姉や母は、この頃ザルツブルクでどう過ごしていたのでしょうか。手紙のやりとりからは、この時期ザルツブルクで、物価がかなり上がっていたことが読み取れます。

「いったいザルツブルクは最後にはどうなってしまうのだろう?」これは家族に宛てたレオポルトの嘆きです。

どうやらザルツブルクでは、物価は上がっているのに給料は安く、宮廷で働く人々は困窮し、その子どもたちはじゅうぶんな教育を受けられない環境に置かれていたようです。ザルツブルクの町が、仕事が足りていないのに人口だけを増やそうとしていることに対しても、レオポルトは苦言を呈しています。

レオポルトは、ナポリからもボローニャからも、ザルツブルクの問題に言及した手紙を送っています。もしかすると、旅先で長く過ごすことで地元の問題がはっきりあったかもしれませんね。

フランチャコルタのライバル?「オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコ」

それではこのへんで、ワイン紹介です! 今回は、ミラノの南にあるパヴィア県で造られるスパークリングワイン、「オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコ」をご紹介します。

黒ぶどう由来のリッチなコクが魅力

オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコは、シャンパーニュと同じ瓶内二次発酵で造られるスパークリングワインです。イタリアで「瓶内二次発酵」といえば……そう、この前のミラノ回でご紹介した「フランチャコルタ」が有名ですよね。

ロンバルディア州では、フランチャコルタとオルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコ、二種類の上質なスパークリングワインが造られているのです。では、オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコとフランチャコルタでは、どこが違うのでしょうか。表にまとめてみました。

オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコ フランチャコルタ
主体となる品種 ピノ・ネーロ シャルドネピノ・ネーロ
最低熟成期間(ノーマルタイプ) 15か月 18か月
D.O.C.G.認定年 2007年 1995年

最大の違いは、主体として使われる品種です。オルトレポ・パヴェーゼは、昔からピノ・ネーロ(=ピノ・ノワール)の産地として有名でした。そのためスパークリングワインでも、ピノ・ネーロが主体となります。

シャンパーニュでもそうですが、黒ブドウを主体にするか白ブドウを主体にするかで、仕上がりの印象が大きく異なります。一般的には、黒ブドウ主体の白スパークリングワインはコク深くふくよかな印象に、白ブドウ主体はすっきりとした印象になる傾向があります。

黒ブドウであるピノ・ネーロを主体とするオルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコは、しっかりとしたコクを感じられる泡。シャルドネ主体のものが多く、比較的すっきり繊細なフランチャコルタとは異なる魅力があるのです。

More Rose Oltrepo Pavese Pinot Nero Metodo Classico(Castello Di Cigognola)

出典:楽天市場

オルトレポ・パヴェーゼ・メトド・クラシコには白もロゼもありますが、今回はロゼをおすすめします。

カステッロ・ディ・チゴニョーラは、1212年以来の歴史を持つ古城。このお城で、現代イタリアワインを代表する天才醸造家のリカルド・コタレッラ氏のもと、ワインが造られています。

こちらのロゼスパークリングは、ピノ・ネーロ100%から造られる芳醇な味わい。熟成期間はなんと36か月間!最低熟成期間15か月の倍以上です。

豊かでなめらかな果実の甘酸味と黒ブドウらしい苦味が感じられ、最後に適度なタンニンが全体を引き締めてくれます。春も中盤を過ぎた今の時期にぜひ飲んでいただきたい、心地よいワインです。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。
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