ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。放課後の音楽室で、お茶を淹れながら「今の教科書」に載っていない音楽の話をしたいというコンセプトでお送りするこの連載。第6回目の本日は、ドイツの作曲家エミーリエ・マイヤーを取りあげます。
時代の女性作曲家としては異例の活躍
今回の楽曲は「ヴァイオリンとピアノのための『ノットゥルノ』」。タイトルはイタリア語で夜想曲(ノクターン)の意です。夜想曲自体は決まった形式をもたず、自由なフォーマットで書かれる「性格的小品」の一種とされます。物憂げな旋律が静謐な雰囲気を描く美しい作品です。
本日ご紹介するマイヤーの特筆すべき点は、とにかく多作であること。作品として、交響曲を8曲、管弦楽のための序曲を7つ、オペラが1作、ヴァイオリン・ソナタを8曲、チェロ・ソナタが12曲、6つのピアノ三重奏曲に7曲の弦楽四重奏などが挙げられます。
この連載の第1回で触れたように、19世紀の女性作曲家は規模の小さい楽曲を書けば「女性は大規模作品が書けない」と言われアマチュア扱い、大編成の楽曲を書けば「女性らしくない」と批判されました。つまり何を書いても活躍すれば疎まれたわけですが、メイヤーは当時の女性作曲家としては珍しく多作な上に、それらの上演機会に恵まれ、しかも楽譜の出版に漕ぎつけています。特にオーケストラ作品は、男性作曲家にとっても演奏機会を得ることが難しく、その出版ともなれば悲願です。一体どのようにしてマイヤーはその偉業を成し遂げたのでしょうか。
幸か不幸か〜両親の死と経済的自立
エミーリエ・マイヤーは1812年にプロイセン王国フリートラントで生まれ、1883年にベルリンで没しました。この間にプロイセン王国の一部はドイツ帝国となっています。この時代に女性が経済的に自立して生きることはかなり難しく、結婚して家庭に入るのが定石。しかしエミーリエは生涯独身でベルリンにひとり暮らしをしていました。何がそれを可能にさせたかというと、父親の遺産です。
フリートラントの街で唯一の薬局を営んでいたマイヤー父は、妻との間に5人の子どもがいて、3番目のエミーリエは長女でした。幼いうちに母親とは死別しています。彼女は5歳のときに父親から真新しいグランドピアノを買い与えられレッスンを開始。まもなく自分で楽曲制作にも励むようになりました。というのも、オルガニストのドライバー(Carl Heinrich Ernst Driver)に師事したものの、課題の曲をあまりに自由に弾いてしまうので、代わりに自分で曲を書いてみたらどうかと勧められたようです。
こうして作曲に目覚めたわけですが、恐らく、本人ですら、エミーリエが音楽家として活躍する未来を予想だにしなかったでしょう。20代のときに父親が自死で他界したことで、エミーリエの人生が思わぬ方向へ。このとき遺産が手に入ったために、まだ独身であった彼女が、生活のための結婚をする必要がなくなりました。何なら、就労もいらないほどに遺産は莫大でした。
お金の心配もない、世話が必要な家族もいない。そこでエミーリエは決心するのです ーー 自己実現のために音楽の専門教育を受けようと。
重なった好条件が作曲家活動を後押し
マイヤーはまず地元から近いシュテティーン(現ポーランド・シュチェチン)にてロエヴェ(Carl Loewe)に師事。その後ベルリンへ移り、さらにマルクス(Adolph Bernhard Marx)やヴィープレヒト(Wilhelm Wieprecht)の元で学びを深めます。ここに挙げた3人の教師は、いずれも現役の音楽家として活躍しながら後進の指導に当たっていました。
まずロエヴェはシュテティーンの街では中心的な存在の音楽家で、最初にマイヤーと面接をしたときに、彼女の才能を高く評価しました。20代になって初めて本格的に作曲の専門教育を受け始めたマイヤーは、シュテティーンの地に住まった8年間のうちに最初の2つの交響曲を書き、初演もおこないます。ベルリンに移ったときにはすでに作曲家としてのデビューは済ませている状態でした。
マイヤーの書法はウィーン古典派(ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン)風でしたが、続いてベルリンで師事したマルクスの影響を受けて、ロマン派の語法も身につけました。マルクスからは主に対位法を、ヴィープレヒトからは楽器法を学びます。またマイヤーには幸運なことに、このふたりの師は当時ベルリンで強い影響力をもっていて、自分の生徒の作品に演奏機会を与えることができました。
マイヤーのもうひとつの幸運は、演奏旅行が叶う条件が揃っていたこと。本連載第2回シューマンの項では、少女クララのツアーは父親の引率でおこなわれたことに言及しましたが、かつて演奏旅行は大人の女性演奏家でも男性の同伴者なしに成り立たせることができないとされていました。ゆえに女性演奏家にとってツアーは家族の理解と協力が得られないと不可能なものだったのですが、しかしマイヤーには付き添ってくれる男きょうだいがいました……!
そしてマイヤーの活躍ぶりが今日にまで伝わっている最も大きな理由は、自作の出版や録音を叶えていたことでしょう。こんなにも多作な彼女ですが、作曲スタイルとしてユニークなのは、ほかの多作な作曲家のようにさまざまなジャンルに挑戦するよりは、限られた分野の作品をいくつもいくつも書いたことです。交響曲と弦楽器の室内楽作品に特化しています。こうした資料は彼女の足跡を確かにします。しかしマイヤー研究は実はまだ明らかになっていないことも少なくなく、こうして彼女の作品は追えても、その詳しい暮らしぶりは知られていません。今回の原稿を書くにあたり当たった資料でも、情報の不一致が多々。今後の研究に期待したいところです。
「女ベートーヴェン」と呼ばれる
その作風から生前は「女ベートーヴェン」と評されたようですが、ある分野における作品数もベートーヴェンに類似を見ることができます。ベートーヴェンは交響曲を9つ、ヴァイオリン・ソナタを10曲、チェロ・ソナタを5曲、ピアノ三重奏曲を7つに弦楽四重奏を16曲残しています。先に挙げたマイヤーの作品数と見比べてみてください。いずれもベートーヴェンに引けを取らない数字です。特にマイヤーのチェロ・ソナタが12曲という実績は、ほかに例を見ないレベルの数であります。
新進作曲家はしばしば先の大家の名前を借りて語られます。これはジェンダーを問わず起こることではあります、しかし、女性の場合にはとりわけ「女〇〇(男性の大家)」という形で宣伝されることが多いです。たとえばマイヤーの場合には、マイヤーより前に“交響曲をこんなにたくさん発表できた”女性の大家がいなかったのかもしれない、そうなると女性の先人の名前を借りることが叶わなかったかもしれない。でも傾向として、男性の名前を借りることで権威付け・箔付けする手法は歴史上そして今日でもよく見られます。なぜなら人類はこれまで“男性性”に権威を結びつけてきたためです。
それにしても、「がっつりレパートリー」が多い彼女の作品のラインナップの中ですと、今回演奏したような「性格的小品」は少し珍しい部類のものです。リートなど歌曲やピアノのための『3つのユーモレスク(Op. 41)』や『即興曲(Op. 44)』なども書き残していますが、ヴァイオリンのための小品はこの曲が唯一。あるいは、まだ出版されていないだけで実はどこかに眠っているのでしょうか。
今回のお茶は、イギリスで最大シェアと言われる「ヨークシャー・ティー」の「ストロング・ブレックファースト・ティー」を淹れました。「アッサムのパワフルなパンチ」が効いているという宣伝文句が箱に書かれています。確かに口に含んだときの第一印象が、通常のヨークシャー・ティーよりもガツンと鼻腔を抜けます。
参考文献
Hoffmann, Freia. Instrument Und Körper : Die Musizierende Frau in Der Bürgerlichen Kultur [Instrument and Body]. Translated by Yoko Sakai and Yuko Tamagawa. Tokyo: Shunjusha, 2004.
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Isolde Weiermüller-Backes, Beitrag von. “Klassika: Emilie Mayer (1812-1883): Lebenslauf.” www.klassika.info, July 22, 2005. https://www.klassika.info/Komponisten/Mayer/lebenslauf_1.html.
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Harada, Maho. “Maho Plays Notturno by Mayer #Maketeaplaymusic.” www.youtube.com, July 6, 2021. https://youtu.be/UgH4ZATvbSk.
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