知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回取り上げるのは、モーツァルト音楽から生まれた日本画です。その絵を描いたのは明治の終わりから平成のときを駆け抜けた日本画家・東山魁夷。ヨーロッパや北欧の国を旅した東山が描く風景画は、日本画の技法ながらもファンタジックな色使いや構成で多くの日本人の心を魅了してきました。
彼が追い求めた理想の絵画に、モーツァルトがどのように関係していたのでしょうか。彼らに共通する美のかたちについて考えていきたいと思います。
絵画連作『白い馬の見える風景』
この連作は、東山魁夷が64歳のときに誕生しました。中でも『緑響く』はテレビのCMで用いられたこともあり、彼の絵画の中でもっとも有名なもののひとつです。
水面に映った木々は緑のグラデーションが美しく、絵を横切る馬は幻のように真っ白です。実は、東山の風景画で動物が描かれるのは、珍しいことです。白馬は同シリーズ18点すべてに描かれ、四季の風景や浜辺などあらゆる風景の中に登場します。
もう一つ特徴的なのは、それぞれの絵に東山が書いた詩文がついていることです。『緑響く』には「弦楽器の合奏の中を ピアノの単純な旋律が通り過ぎる」と書かれています。ここからこの絵と音楽との関わりが見えてきます。東山は「モーツァルトとの邂逅」という文の中で次のように述べました。
その年に描く何点かの作品の構想を漠然と考えていた時、ふと、モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調(K488)の第二楽章の旋律が浮かんできた。~中略~ すると、思いがけなく一頭の白い馬が、針葉樹の繁り合う青緑色の湖畔の風景のなかに小さく姿を現し、右から左へと、その画面を横切って姿を消した。
東山魁夷『モーツァルトとの邂逅』より引用
興味深いことに、モーツァルトのピアノ協奏曲の旋律から白馬の姿が浮かび上がり、湖畔の風景を横切っていったというのです。この空想から、最終的には18枚もの連作絵画が生まれました。インスピレーションの源となったこの曲は、どんな音楽なのでしょうか。
モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 第2楽章アダージョ
モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 第2楽章アダージョ (11:13~)
最初から終わりまで淡々とつむがれる物悲しいメロディが、全体をつらぬいています。モーツァルトが30歳の頃に書いたこのピアノ協奏曲は、彼のピアノ協奏曲の中では少し異彩を放っています。第1楽章のカデンツァはモーツァルトのオリジナルが残されていたり(ほとんどの場合は演奏者が自由に弾く)、緩徐楽章であるこの第2楽章も珍しく短調で書かれているのです。トランペットと打楽器を抜いた小さなオーケストラ編成も親密さを演出しています。
同じ短調の第2楽章であっても、セットで書かれたピアノ協奏曲第22番と聴き比べると違った趣向が感じられます。
モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 第2楽章アンダンテ (14:55~)
多声的で複雑な第22番に比べて、第23番のほうがストレートで、余計なものがそぎ落とされたような印象です。
この時期はモーツァルトにとっては転換期でした。それまでは万人に喜ばれる音楽を作っていたモーツァルトですが、30歳ごろから自分の感性に従った作風へと変化します。あまりに斬新すぎたのでしょうか。演奏の難しさもあいまって、聴衆が離れていきました。そんな過渡期に書かれたピアノ協奏曲からは、ぐっと成熟した彼の抒情が聴こえてきます。
悲しみに寄り添うモーツァルト
画家・東山魁夷は若いころからモーツァルトを知っていたものの、長いあいだ興味をもつことができなかったといいます。ベートーヴェンとシューベルトを愛し、文学への興味もあった東山ですが、留学先に選んだドイツにおいても、モーツァルトには関心がなかったそうです。
大きく変わったのは30代の後半です。第二次世界大戦の終戦、相次いだ両親と弟の死、画家としても認められず、本人いわく「最も暗い谷間の道」を過ぎたときのことでした。悩み試行錯誤するようすはこの頃の絵にもあらわれています。
失意の中で求めたのは、大げさに感情を叫ぶものではなく、優しく平易な言葉で語りながらも高みに連れていく、そんな芸術だったといいます。それこそがモーツァルトの音楽だったのです。そして数年後、ただ一本の道を描いた『道』が注目され、人気作家の道を歩みはじめました。
モーツァルトは東山に寄り添い、向かうべき道を照らしたのでしょうか。東山の画風は邪念を振り切ったかのように、大胆でシンプルな構図へと変わっていきました。
文芸評論家の小林秀雄は代表作である評論文『モオツァルト』の中で次のように書いています。
名付け難い災厄や不幸や苦痛の動きが、そのまま同時にどうしてこんな正確な単純な美しさを現す事ができるのだろうか。それが即ちモーツァルトという天才が追い求めた対象の深さとか、純粋さとかいうものなのだろうか。ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。
小林秀雄著『モオツァルト』より引用
苦しみさえも「正確な単純な美しさ」で表現してしまう……これこそがモーツァルトの凄さではないでしょうか。クラシック音楽は、その難解さゆえに聴き手を構えさせてしまうことがありますが、モーツァルト音楽には誰の耳にもまっすぐ届く明瞭さがあります。何百年たっても愛される理由のひとつといえるでしょう。
東山魁夷もそんな芸術を生涯にわたって追求しました。彼の絵画はどれも、素朴で親しみやすく、見るものを魅了します。晩年の作品は、どこまでも研ぎ澄まされた美しさをたたえています。
今回は日本画家・東山魁夷とモーツァルトについて取り上げました。モーツァルト音楽の何を美しいと感じるか、は人それぞれの解釈があると思いますが、今回取り上げたピアノ協奏曲第23番第2楽章においては、驚くほどシンプルな形で情緒を描いたところが印象的でした。「簡単そうな顔をしながら高い精神性を感じさせる」ことこそ、クリエイターにとって最も難しいのだと筆者はつくづく感じました。そしてヨーロッパ芸術よりも、「引き算」を重んじる日本画との意外な共通点も見えた気がします。
日本画とクラシック音楽、珍しいクロスオーバーを楽しんでいただければ嬉しいです。
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