音楽よりも観光でナポリを満喫!? &火山の恵みが活きた白「グレコ・ディ・トゥーフォ」

W.A.モーツァルトが演奏旅行で訪れた土地を巡り、そこで造られる美味しいワインをご紹介する「モーツァルトとワイン旅行」。今回、ヴォルフガングと父レオポルトはローマを出発し、ナポリへと向かいます。

オペラの街・ナポリに滞在するも、音楽活動は控えめ?

5月8日にローマを発った父子は、6日後の14日にナポリに到着。その後6週間、この街に滞在します。

ナポリといえばヨーロッパの中でも特にオペラ文化が栄えた街。さぞ頻繁に劇場に足を運ぶだろうと思いきや……なんとこのナポリ滞在中、ヴォルフガングたちはたった2度しかオペラを鑑賞していないのです。そのうちの1度が、ヨンメッリのオペラ《見捨てられたアルミーダ》。この作品についてヴォルフガングは、「見事だけれど、あんまりよくできすぎていて、しかも芝居として時代遅れ」だと述べています。

そして、モーツァルト父子が自分たちで演奏会を開催したのも、1度か2度だけ。さらにヴォルフガングは、ナポリ滞在中にたった1曲も曲を完成させていません。ここまで一緒に旅をしてきた読者の皆さんならお分かりでしょうが、これは彼には非常に珍しいことです。

なお、ヴォルフガングが姉に記したところによると、作曲自体は毎日していることになっています。

毎朝、ぼくらは9時か、ときには10時頃に起きて、それから外出。飲食店(トラットリア)で食事をします。食後、作曲をして、それからまた外出、そして夕食をとりますが、さて何を食べるかって?――肉食日には、鶏を半分か、小切りのロース焼肉、精進日には、小魚を食べて、それから床につきます。

(1770年6月5日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡に加えられた、ヴォルフガングから姉への付信より)

レオポルトによると、ヴォルフガングの演奏を聴いた興行師にオペラの作曲をもちかけられたものの、ミラノの仕事が忙しいために断ったとのこと。おそらく《ポントの王ミトリダーテ》のことでしょう(第8回を参照のこと)。

加えてこの滞在では、レオポルトが企てていたナポリ王・王妃への謁見も叶わず。音楽活動の面では、いつもの街でのそれと比較すると、収穫が少なかったようです。

ナポリじゅうを満喫するヴォルフガングとレオポルト

出典:写真AC

音楽活動は控えめでしたが、観光は盛んでした! 父子はナポリをたいそう気に入り、ナポリの街、そしてナポリ周辺の名所を巡りました。たとえば以下はレオポルトの手紙です。たいそう多くの名所を見学して回っていることがわかりますね。

船に乗ってバイアまで行き、ネロ帝の浴場、クーマの巫女の洞窟、アヴェルノ湖、ヴィーナスの神殿、ディアーナの神殿、アグリッピーナの墓所、極楽境またはカンピ・エリージ、カローンが船頭だった死界、不思議な用水池、それにチェント・カメレッレなどを見学し、帰り道には、たくさんの古代の浴場、神殿、地下の部屋など、またモンテ・ヌオーヴォ、モンテ・ガウロ、ポッツォーリの防波堤、円形闘技場、ソルファターラ、リ・アストローニ、カーネの洞窟、アニャーノ湖など、とりわけポッツォーリの洞窟、それにウェルギリウスの墓を見物しました……(中略)……今日は、サン・マルティーノの丘の上のカルトジオ会修道院で……(中略)……ここの珍奇な物や宝物を見、……(中略)……月曜日と火曜日にはヴェズヴィオ火山をもうすこし近くで眺め、発掘された都市のポンペイとエルコラーノと……(中略)……カゼルタやカーポ・ディ・モンテを見物しますが……(後略)

(1770年6月16日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

もちろん、こうした観光が完全なる「非・音楽活動」だと言い切ることはできません。演奏旅行先で目にした各地の光景が、ヴォルフガングの作曲にまったく影響を与えていないとは考えにくいでしょう。実際、18世紀半ばにポンペイやヘルクラネウム(エルコラーノ)の遺跡が発掘されて以来、イタリアはヨーロッパの芸術家や学者、貴族たちの聖地となり、多くの人が古典古代の文化を学びに集まってきていたのです。

ただ、この手紙を受け取るマリーア・アンナとナンネルが、レオポルトとヴォルフガングをどんなに羨ましく思ったかと思うと、彼女たちに同情してしまいますが……。

モーツァルト父子のファッションにも注目

ナポリ滞在中に父子が書いた手紙には、ファッションに関する記述がとても多く見受けられます。

まずナポリ滞在5日目、レオポルトとヴォルフガングが新しい服を着たという記録が残っています。ヴォルフガングが「まるで天使のようにきれい」と形容したその服は、レオポルトによると以下のようなデザインだそうです。

ヴォルフガングのは薔薇色の波紋絹のものですが、まったく特別な色で、イタリアでは「コローレ・ディ・フォーコ(火色)」と呼ばれているものです。銀のレースがつき、空色の裏地がついています。私の洋服は一種肉桂のような褐色のピケのフィレンツェ製琥珀織で、銀のレースと淡緑色の裏地がついています。

(1770年5月19日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

そして5月26日にレオポルトが書いた手紙には、もう一着ずつ、次のようなデザインの洋服を仕立ててもらっているという記述があります。

私のはほとんどポンパドゥール色(深紅色)だが、むしろ濃い桜色の波形模様のついた絹地のもので、空色の琥珀織の裏地に銀のボタンつきです。ヴォルフガングのものは、淡緑色の波形模様のついた絹地のもので、銀のボタンに薔薇色の裏地がついています。

(1770年5月19日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

文字を読むだけで、美しい洋服だったのだろうと想像できますね。

ちなみにこの年は気候が異常だったようで、6月初旬にあられが降ったそうです。そして気温も低く、レオポルトは妻に宛てた手紙の中で、5月の終わりまでフランネルの下着を着る必要があり、6月になってもまだシャツを2枚着る必要があると、驚いた口調で述べています。

火山性土壌で育まれる「グレコ・ディ・トゥーフォ」の輝かしい味わい

それでは、ナポリがあるカンパーニア州で造られるおいしいワインをご紹介しましょう!

「グレコ」はギリシャがもたらした偉大な品種

グレコ・ディ・トゥーフォは、グレコという品種で造られる辛口白ワインです。

「グレコ Greco」とは「ギリシャの」という意味。その名の通り、古代ギリシャ人によってイタリアにもたらされたといわれています。ヴォルフガングも活動の様子を見た火山・ヴェスヴィオ山の斜面にて、紀元前にはすでに栽培されていたという記録が残っているそうです。

そして「トゥーフォ」とは、カンパーニア州の中央部、アヴェッリーノ県に広がる凝灰岩土壌のこと。カンパーニア州には火山の影響を受けた土壌が広がっており、トゥーフォもその一つです。

グレコ・ディ・トゥーフォの特徴は、ふくよかな果実味とほのかに青いニュアンス、ほどよい酸味と硬質なミネラル感です。濃厚なのに嫌味がなく、ついもう一杯おかわりしたくなるような味わいを持っています。同じカンパーニア州で造られるモッツァレラチーズのほか、魚介を使ったお料理や、香味野菜を活かした料理とも合います。

Greco Di Tufo “Vigna Cicogna”(生産者:Benito Ferrara)

ベニート・フェラーラは1991年に設立された若いワイナリーながら、すでにカンパーニャを代表する生産者となっている実力派。そのベニート・フェラーラが、「チコーニャ」という畑で採れたぶどうのみを使用して造ったのがこの一本です。チコーニャは標高の高い場所にあり、日当たりも水はけもよい畑で、樹齢70年を超えるグレコが多数植えられています。

香りはとてもフレッシュ。白桃、洋梨、アプリコットのようなふくよかな果実味を、上質な酸が引き締めます。余韻にかけて塩気とかすかな苦味が加わり、絶妙なバランスで伸びていきます。

グレコ・ディ・トゥーフォは、幅広いお料理に合わせやすいワインでもあります。火山の恵みを受けて育まれる心地よい味わいを、ぜひご堪能あれ!

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3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。