異例の若さで認められたボローニャの音楽協会への入会&古代ローマから伝わる白ワイン「ロマーニャ・アルバーナ」

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W.A.モーツァルトが演奏旅行で訪れた土地を巡り、そこで造られる美味しいワインをご紹介する「モーツァルトとワイン旅行」。今回、ヴォルフガングとレオポルトは再びボローニャへと向かいます。

またもや苦難の旅路をゆく

27時間でナポリ・ローマ間を旅した前回も非常にたいへんな移動でしたが、ローマを発ってボローニャに向かう道のりもこれまた過酷なものとなりました。

ぼくが帰るとき、お贈りできるのは、ただロレートの鈴と、ろうそくと、小さな頭巾と、蚤たちのほかはなにもありません。

(1770年7月21日、ヴォルフガングから母と姉宛の追伸より)

ヴォルフガングが述べるように、移動中、二人は蚤・南京虫・毒虫に悩まされ、睡眠不足に陥ります。さらに1770年のイタリアは気候も少しおかしく、7月末なのにまだ朝晩には毛皮のコートが要るほど。

レオポルトに「これは私が経験したいちばん辛い旅のひとつ」と言わしめるほどの旅路。特に初日には、18時から翌朝5時まで一晩中馬車を走らせ続けたそうです。この日、睡眠を惜しんで道を急いだのは、マラリアへの用心のためでした。まだ治療薬も開発されていない時代、感染症に対して彼らが抱いた恐怖を、今のわたしたちなら少し想像できる気がしますね。

レオポルトの足のケガは?

ローマを発ってから10日後、7月20日に父子はボローニャに到着しました。レオポルトはこの移動で本当に疲弊していたようです。前回、ナポリからローマに向かう際に、レオポルトが馬車の事故で足にケガを負ったことを覚えていますか? ボローニャに向かう馬車の揺れのせいで、この傷口が再び開いてしまったのです。

レオポルト本人は、ボローニャに着いてから9日間は、治療のためずっと宿屋のベッドの上にいるか、足を安楽椅子に載せて座っていたといいます。そして、この間の家事はめちゃくちゃ! レオポルトは妻に宛てて「おまえはヴォルフガングがどんなやつか知っているね」と書いています。これまで旅行中のさまざまなことを、レオポルトが取り仕切っていたのでしょう。

このまま宿屋で治療を続けると、宿代がかさんで大変! そう思い悩んでいたレオポルトに、ありがたい手が差し伸べられました。前回のボローニャ滞在でもお世話になったジョヴァンニ・ルーカ・パッラヴィッチーニ・チェントゥリオーニ伯爵のはからいで、レオポルトたちは郊外の豪奢な別荘に滞在できることになったのです。

次のレオポルトの手紙を読めば、この別荘での生活がどんなに快適だったかわかります。ようやくケガの治療に専念できる環境を得たレオポルト。よかったですね。

私たちは今度はぐっすりと眠りました。(中略)敷布は大方の貴人たちのシャツよりも立派です。[筆者注:おそらくカトラリー等の設備が]すべて銀製で、室内用便器や常夜燈までがそうなのです。(中略)私たちの用を果たすために、走り使いの従僕がひとりと下男がひとり、つまり二人いて、従僕はどんなときにもすぐ役立つように控えの間で寝ているし、下男はヴォルフガングの髪を整えてくれます。(中略)なにからなにまですがすがしく、涼しく快適です。

(1770年8月11日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

ヴォルフガングの毎日

このときヴォルフガングは14歳もなかば。身体的な成長も顕著になっていました。身長がぐんと伸びただけでなく、声変わりも始まります。レオポルトが伝えるところによれば、この頃ヴォルフガングは「歌う声」をまったく出せなくなり、自分の曲を歌えなくなったことで、相当いらだっていたようです。

満足に歌うことが叶わない日々のなか、ヴォルフガングは毎日ヴァイオリンを弾きました。作曲活動も活発で、8月4日の時点で、イタリア風シンフォニアを4曲、アリアを8曲、モテットを1曲制作していたようです。

アカデミア・フィラルモニカのメンバーとして認められる

今回のボローニャ滞在でヴォルフガングがもたらした最も大きなニュースは、アカデミア・フィラルモニカの入会試験に合格したことでしょう。本来20歳以上でなければ入会できない組織ですが、ヴォルフガングは14歳という若さで例外的に入会を認められました。

アカデミア・フィラルモニカは、ヴォルフガングが試験を受けた時点ですでに100年以上の歴史を持っていたボローニャの音楽協会です。イタリアはもちろん、他国の名音楽家たちもアカデミア・フィラルモニカのメンバーリストに名を連ねていました。

さて、ヴォルフガングがこのたびの入会試験で作った曲はこちら。聖歌集から選んで与えられたアンティフォナを、ヴォルフガングが古様式による四声の対位法楽曲に仕上げたものです。

この課題には非常に厳格なルールがたくさんあり、普通なら3時間ほどかかるところ、ヴォルフガングは1時間足らずで完成。審査員全員が彼の入会に賛同するという快挙でした。

音楽学者の西川尚生は、この時期にヴォルフガングが「時代錯誤ともいえる古様式を学んだことは、のちのヴィーン時代のバロック対位法への傾倒を考える上でも、きわめて興味深い事実」だと述べています。

家族や友人とのやりとり

イタリアとザルツブルクを結ぶ手紙のやりとりからは、この時期レオポルトとヴォルフガングが、マリーア・アンナ(ヴォルフガングの母)とナンネル(ヴォルフガングの姉)の肖像画を受け取っていたことが推測されます。写真ではなく、絵画でお互いの様子を知る時代。肖像画を受け取ったあと、レオポルトは「おまえたちは少し太ったね」なんて手紙を送っています。

また、母娘がザルツブルクにて何度も音楽会を開いたという報せを受けたときには、「おめでとう! 私たちは招待してくれなかったのかい?」「ぼくもその場に居合わせたかったな」と、父子共に親愛のこもった返信を書きました。

そしてヴォルフガングは、4月に知り合った同い年の友人であり天才音楽家、トーマス・リンリーにも手紙を書いています(第10回参照)。本当は何も知らせずフィレンツェに着いてリンリーを驚かせる計画でしたが、先述の馬車の事故のせいで旅程を変える必要があり、それが叶わなかったようです。出会いを紹介した記事にも書きましたが、このあと一度も再会が叶わぬまま、リンリーは事故で亡くなってしまいます。ここまで不運が重ならなければ、二人の音楽家はどんな未来を紡いでくれていたのでしょうか。ヴォルフガングからリンリへの友情あふれる手紙を読むたび、残念でなりません。

古代ローマ以来の伝統を持つ白「ロマーニャ・アルバーナ」

それではこのあたりで、おいしいワインを一つご紹介しましょう。

黄金に輝く、熟した果実のようなワイン

今回ご紹介するのは、ボローニャがあるエミリア・ロマーニャ州で造られる白ワイン「ロマーニャ・アルバーナ Romagna Albana」。アペニン山脈沿いの丘陵地帯においてアルバーナ種から造られるワインで、古代ローマ時代からの長い歴史を持っています。テオドシウス帝の娘に絶賛されたという言い伝えもあるとか。

「ロマーニャ・アルバーナ」と一口にいっても、辛口から甘口までさまざまなタイプが造られており、陰干しぶどうを使用した甘口・中甘口「パッシート」もあります。

熟した果実のアロマが特徴で、辛口の造りであっても適度にリッチ。酸やミネラルが適度に感じられ、魚料理と合わせやすいワインです。甘口タイプは、ブルーチーズやドライフルーツと飲みたくなるような味わいを持っています。

イタリアではたくさん生産されているのですが、日本ではあまりポピュラーではありません。特に辛口は日常的に親しみやすいワインなので、ぜひもっと積極的に輸入されてほしいものです。

Romagna Albana Secco(生産者:Terre Cevico)

出典:楽天市場

こちらはエミリア・ロマーナ州で最も大規模な生産者協同組合、テッレ・チェヴィコが造るロマーニャ・アルバーナ。辛口タイプです。

白い花と若草を束ねたような上品な香りに、黃りんごや洋梨、バナナなどの熟した果実のニュアンス。酸味は少し抑えめで、辛口ですがほのかな甘さが漂います。

爽やかでありながら尖ったところのない、適度な丸みのあるキャラクターは、日々の食卓にぴったり。価格はなんと1,000円台前半! 白ワインが美味しくなるこれからの季節、ぜひ一度お試しあれ。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。
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