父の説得に負けて失意の帰郷&ストラスブールの病院地下にあるワイン蔵

W.A.モーツァルトの旅先を巡り、現地の美味しいワインをご紹介する連載「モーツァルトとワイン旅行」。

前回、旅先のパリで最愛の母マリーア・アンナを喪ったヴォルフガング。就職活動もなかなかうまく進まず、このまま地元に帰ることになるのでしょうか?

父・レオポルトが挙げる「ザルツブルクに帰る3つのメリット」

今回の旅行には同行せず、ザルツブルクに留まったレオポルト。旅先でひとり残され、就活にもあまり真面目に取り組む様子がない息子ヴォルフガングを、故郷ザルツブルクに呼び戻そうと必死です。

というのもヴォルフガングは、ザルツブルクのことが大嫌い。演奏旅行で数々の先進的な音楽都市を回るうちに、地元での文化のあり方や音楽のレベルに嫌気が差してしまったのです。

そんなヴォルフガングを、どうすればザルツブルクに呼び戻せるか? レオポルトは、ザルツブルクに帰ることのメリットを次々と挙げて、帰郷を要請します。

1. 経済的安定が約束されている

まずはお金の面。今すぐに帰郷して、ザルツブルク宮廷に復職すれば、なんとこれまでの数倍の年俸がもらえるとのことです。

さらにレオポルトは、将来自分が年をとって働けなくなったら、副楽長のポストをそのままヴォルフガングに継がせてよいとの許可を大司教から得ていました。収入が増える上に、将来の安定も約束されているというのは、大きなメリットに見えます。

これに加えてレオポルトは、今回のヴォルフガングの旅行に莫大な費用がかかったこと、ヴォルフガングはその「負債」を父親に返すべきだ! と主張。ここまでの流れを見ていると、「勝手に期待してお金をかけて、いざうまくいかなければ子どものせいなんてひどいなぁ」とも感じてしまう言い方ですが、息子の将来を心配して焦るあまり、こんなことを言ってしまったのかもしれませんね。

2. たまには旅行にも行ける

ヴォルフガングはこれまで、各地への旅行を通じて貴重な経験と知識を積み重ね、自分の内面を充実させてきました。

息子にとって旅行がどんなに重要かはレオポルトも理解していたようで、「2年に1度は旅行の許可を得られる」ことをザルツブルク宮廷復職のメリットとして打ち出します。

お金もきちんと得られるし、たまには自由も得られる、ひとまず腰を落ち着けるにはすばらしいポストといったところでしょうか。

3. 気になるあの子と交際OK

実は今回の旅の途中、ヴォルフガングは恋をしていました。お相手は、マンハイム滞在中に出会ったアロイジア・ヴェーバー。写譜家のヴェーバー家の娘で、当時17歳のソプラノ歌手でした。『魔弾の射手』の作曲家カール・マリア・フォン・ヴェーバーとはいとこ同士にあたります。

アロイジア・ヴェーバー(出典:Wikimedia Commons

すでに宮廷で美しい歌声を披露し、最高レベルの評価を得ていたアロイジア。彼女の才能に惹かれたヴォルフガングは、マンハイム滞在中に父親に宛てた手紙で「ともにイタリアに行き、彼女が出演するオペラを書く」「ヴェーバー一家を幸せにする」とまで書いています。しかし父親から「まずは自分の幸福を考えろ」と至極まっとうなお叱りを受け、泣く泣くマンハイムをあとにしたのでした。

そのアロイジアと、文通・交際してもOK! ただし、ザルツブルクに帰郷して復職したのなら――レオポルトは、こんな条件を出したのです。

1778年9月26日 渋々パリを出発、ザルツブルクへ

父親の粘り強い説得に根負けしたヴォルフガングは、9月26日、ついにパリを出発して帰途につきます。その経路を見てみましょう。

※こちらは、Google Mapで現代の道を自動車移動するルートです。

10月14日〜 ストラスブール:演奏会を開いて長めの滞在

まずヴォルフガングは、パリから東に向かい、ストラスブールに立ち寄りました。ここまでは無駄のない経路。しかし、ストラスブールで3回も演奏会を開きます。おそらく、ザルツブルクに帰るまでの時間を延ばしたかったのでしょう。

11月6日〜 マンハイム:わざわざ回り道して再訪

地図を見ると、ストラスブールからシュトゥットガルトに向かえばまっすぐ帰郷できそうです。しかしヴォルフガングは、ここでわざわざ回り道してマンハイムへ向かいました。

往路で出会った音楽家たちは、宮廷の移転に伴う形ですでにミュンヒェンに移動しており、ここで再会できる人は限られていました。そんな環境の中、ヴォルフガングは「また選帝侯がマンハイムに戻ってきたら、ここで就職するんだ……」という夢物語を言ってレオポルトに叱られています。

この回り道、レオポルトにとってはただの無駄にしか見えなかったかもしれませんが、ヴォルフガングの音楽経験的には得るものもあり、特にメロドラマという新形式に強い印象を受けたようです。

12月25日〜 ミュンヒェン:まさかの失恋

待ちに待ったアロイジアに再会。しかしその瞬間ヴォルフガングは、アロイジアがすでに心変わりしていることを悟ります。

御存知の通り、ぼくは生まれつき字がへたです。いちども書き方を習ったことがないからです。でも、生まれてこのかた、今回ほどへたに書いたことはありません。書けないのです。――ぼくの心はいまにも泣き出しそうです!

(1778年12月29日、ヴォルフガングがザルツブルクの父に宛てた書簡より。海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』より引用)

この文章は、アロイジアへの失恋の悲しみを綴ったものだと考えられています。

実はこのアロイジア、のちにヴォルフガングの妻になるコンスタンツェ・ヴェーバーのお姉さんでした。つまりこのときにはもう、ヴォルフガングは将来の奥さんと出会っていたわけですね。

コンスタンツェ・ヴェーバー(出典:Wikimedia Commons

ただし、ヴォルフガングがヴェーバー一家と再び出会い、コンスタンツェと仲良くなるには、あと数年待たなくてはなりません。

このとき傷心のヴォルフガングが心の支えとしたのは、マリア・アンナ・テークラ・モーツァルト、ヴォルフガングのいとこ(べーズレ)でした。お下品な冗談満載の「べーズレ書簡」を送られたことで有名な彼女ですね。

マリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(出典:Wikimedia Commons

ヴォルフガングはアウクスブルクにいたべーズレをミュンヒェンに呼び寄せた上に、ザルツブルクまで一緒についてきてもらう始末。当時は今のようにオンラインでかんたんに悩みを吐き出せる時代ではありません。つらいとき、一緒にいてくれる人がいたのは本当に救いだったことでしょう。

1779年1月15日 ついにザルツブルクに帰る

べーズレとともに故郷に帰ったヴォルフガングは、2年弱のあいだ宮廷オルガン奏者として働きます。彼が故郷で仕事をするのは、人生のうちこれが最後になりました。

姉ナンネルの証言によると、ヴォルフガングは散歩に出かけたり、友人とカード遊びや射的、ボウリングのような球戯に興じたりと、平穏な日々を送っていたようですが、旅先での暮らしに比べるとこれは味気ない毎日とも受け止められます。

音楽的にも、動画の《戴冠式ミサ》をはじめとする名作をたくさん残しているこの時期。しかし本人としては、やはり不満が大きかったようです。

というのも、ザルツブルクでも新しいオペラが少なからず上演されていたにもかかわらず、大司教はおもに外部の作曲家にオペラ制作を依頼し、ヴォルフガングがオペラの作曲依頼を一手に引き受けることはできませんでした。ここ数年、オペラ作曲家としてのアイデンティティを養いつつあったヴォルフガングにとって、つらい仕打ちだったでしょう。

しかしヴォルフガングは、この先作曲家としてさらなる成長を遂げていきます。どういう環境の変化があったのか? それは、次回以降お話ししましょう。

病院の地下にあるワイン蔵「カーヴ・レ・オスピス・ド・ストラスブール」

ヴォルフガングが帰途に立ち寄ったストラスブールは、白ワインで有名なアルザス地方に含まれる街。今日はストラスブールの病院敷地内にある、歴史の古いワイン蔵を紹介します。

「1472年もの」が熟成される歴史の長いカーヴ

(出典:Wikimedia Commons

「カーヴ・レ・オスピス・ド・ストラスブール」(公式サイト)は、病院の地下というユニークな場所にあるワイン蔵です。蔵としての歴史は1395年からと長く、なんと1472年ヴィンテージのワインが今も蔵の中で熟成され続けています。

(出典:Wikimedia Commons, Photo by Jonathan M

Alsace Backert Riesling Hospices de Strasbourg

カーヴ・レ・オスピス・ド・ストラスブールではワインの醸造はおこなわれておらず、アルザス地方のさまざまな醸造所から集まってきたワインがここで寝かせられて、円熟した味わいや香りを育んでいます。

そのうちのひとつが、こちらのワイン。アルザスワイン街道の北部にあるバッカート醸造所で醸造されたリースリングです。

(出典:HINOYA

自然農法で育った健康なぶどうを使った白ワイン。可憐な花とフレッシュな柑橘、硬質なミネラルのニュアンスが心地よく、アルザスのリースリングらしさを存分に楽しめます。

このほかにも、カーヴ・レ・オスピス・ド・ストラスブールではたくさんのアルザスワインが販売されています。コロナ禍が明けたら、ぜひ現地で見学とお買い物を楽しみたいですね。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。