ヴォルフガングが踏み出した「フリーランス」としての新しい道&ワイン史上のさまざまな革新

W.A.モーツァルトの旅先を巡り、関連する美味しいワインをご紹介する連載「モーツァルトとワイン旅行」。前回、失意のうちに帰郷したヴォルフガングですが、ついに今回、自身の将来を決定づける行動に出ます。そこに至るまでの過程を追いかけてみましょう。

オペラが書けない! ザルツブルクのつらい日々

就職のために出かけた旅行で期待した成果を得られず、さらに旅先で母を喪ったヴォルフガング。ザルツブルクに残っていた父に呼び戻されて失意のまま帰郷し、しばらく故郷に留まります。

2年間にわたったこのザルツブルク時代には、3つの交響曲、2つの協奏曲、2つのミサ曲、そして数々の室内楽など、たくさんの作品が生みだされました。ただしヴォルフガング自身は、アイデンティティの大きな拠り所であるオペラの作曲機会がほとんど与えられないことに強い不満を抱いていました。

当時の雇用主だったコロレド大司教が、ヴォルフガングにあまり多くのオペラを依頼しなかった理由は、大きく2つ考えられます。まず、コロレドは緊縮財政を敷いていたため、そもそもオペラの上演回数が少なかったということ。そして、コロレドは宮廷音楽家の中でも特にイタリア人音楽家を優遇したからです。特にオペラについては、「オペラはイタリアのものなのだから、イタリア人音楽家に頼むのが正統だ」という思いがあったのではないでしょうか。

オペラはイタリアで成立したジャンルで、その後ヨーロッパの他国に広まってからも、長らくのあいだ「オペラといえばイタリア・オペラ」という時代が続きました。作曲家の母語がドイツ語などイタリア語以外の言語だったとしても、オペラを依頼されればイタリア語の台本に曲をつけるのが常識。ドイツ語のオペラが社会に広く普及するには、19世紀を待たなければいけません。

このような時代において、「オペラ作曲家」としてやっていきたいと思ったヴォルフガングの前には、「イタリア人音楽家」という高い壁が立ちはだかり続けたわけです。

ミュンヒェンからオペラの依頼が届く!

もやもやと過ごしていたヴォルフガングに、ミュンヒェンにいるバイエルン選帝侯カール・テオドールから依頼が届きます。テオドール侯といえば、世界トップレベルの技術を誇ったマンハイム宮廷楽団を抱え、音楽史的にも重要な「マンハイム楽派」を育てた人。ヴォルフガング自身、テオドール侯のもとで働くことをめざした時期がありましたね。

悲喜こもごものマンハイム滞在&珍しい製法のロゼ「バーディッシュ・ロートゴールド」

マンハイムに「就活旅行」で訪れた際、ヴォルフガングはマンハイム楽派の音楽家たちと交流を重ねていました。そのマンハイム楽派の人々も、このときテオドール侯に従ってミュンヒェンに来ていました。つまりヴォルフガングは、自分の理解者が複数いるミュンヒェンで、待望のオペラ制作に取り組むことになったというわけです(当時は、作曲家が上演地に行ってオペラを完成させるのが普通でした)。

ヴォルフガングは6週間の休暇を取ってミュンヒェンに行き、力作《イドメネオ》の作曲を完了させます。生涯、作曲家の自信作であり続けたこの作品は、成立当初から評判がよく、テオドール侯にも、そして宮廷音楽家たちにも大きな満足を与えたそうです。

ザルツブルクとの決別

ミュンヒェンでのオペラ作曲経験はヴォルフガングにとって嬉しいことでしたが、ザルツブルク宮廷との関係を悪化させるきっかけともなってしまいます。

実はヴォルフガングは、大司教と約束した休暇期間を3カ月も延長してミュンヒェンに滞在し続けていました。大司教のコロレドはついにしびれを切らし、ヴォルフガングを呼び戻します。このとき大司教はヴィーンにいたので、ヴォルフガングは直接ヴィーンに来るように言われました。

ヴィーンに来たヴォルフガングに、大司教はほぼ無報酬で演奏と作曲を依頼。さらに、ヴォルフガングの個人的な演奏活動は厳しく制限します。この待遇で、ヴォルフガングのザルツブルク宮廷に対する気持ちはさらに冷え切っていきます。

その後、帰郷命令を無視したことを改めて咎められたヴォルフガングは、大司教に啖呵を切り、ついに「辞表を出す」と直接言って、そのまま喧嘩別れ。なんとかコロレドに謝罪して宮廷にとどまるように説得する父親にも厳しい言葉で手紙を綴り、ヴォルフガングは永遠にザルツブルク宮廷と決別することになったのです。

フリーランス音楽家としての道

ヴィーンに呼び出されたときのヴォルフガングは、待遇に不満こそありましたが、限られた自由な演奏活動を通して、ヴィーンの街に魅力を感じてもいました。そこでザルツブルク宮廷と決別した今、ヴォルフガングは、ヴィーンに移り住むことを決意します。

このようにしてヴォルフガングは、このときは革新的だった「フリーランス」の音楽家として歩み始めました。

演奏活動、クラヴィーア教師としての活動のほかに、得意のオペラ作曲でも彼は収入を得ており、ヴィーンに移った直後すでに宮廷からドイツ語のオペラ(ジングシュピール)である《後宮からの誘拐》の作曲依頼を取り付けています。ヴォルフガングはほかにも《魔笛》などいくつかのジングシュピールを書いていますが、これは次の世紀におけるドイツ語オペラ普及の基礎となりました。

宮廷のためにオペラを作曲することは、のちに宮廷のポストに就くためにも有利に働くとヴォルフガングは考えていました。ヴォルフガングはフリーの音楽家として大きな成功を収めましたが、彼自身は、一生フリーランスのままでいようと考えていたわけではなかったのです。そして実際、ヴィーン移住から7年後にヴィーン宮廷のポストを得ます。それを一番喜んだであろう父親のレオポルトは、そのときすでにこの世を去っていたのですが。

幼い頃から、音楽家としての成功をめざして(期待されて)演奏旅行を続けてきたヴォルフガング。それを主導したレオポルトの想像とはかなり異なるプロセスで、おそらくレオポルトの想像を大きく上回るスケールで、ヴォルフガングは音楽史に名を刻むこととなりました。彼が家族と経験したいくつもの旅は、どれもヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの音楽に決して欠かせない要素として、今もこれからも、彼の作品の中で輝き続けることでしょう。

ワイン界での革新的なできごと

このあとヴォルフガングはヴィーンに定住します。何度か旅行にも出かけますが、旅が生活の中心になることはもうありません。したがって、ヴォルフガングの「旅行」をめぐるこの連載はここでいったん終了です。

最終回のワインコーナーでは、「フリーランスの音楽家」や「ドイツ語オペラ」などヴォルフガングが切り開いた新しい概念にあやかり、ワイン界での革新的なできごとをいくつか紹介しようと思います。

シャトー元詰

「シャトー」とは、フランス・ボルドー地方で栽培から醸造までを担う生産者の呼称です。「シャトー元詰」とは、そのシャトーでワインの瓶詰めまでをおこなっているという意味。上の画像で言うと「bouteilles au Château」という部分が「シャトー元詰」にあたります。

今では多くのボルドーワインで見られる「シャトー元詰」ですが、20世紀の初め頃まで、これはまったく普通ではありませんでした。以前は、生産者が醸造したワインを流通業者がブレンドして瓶に詰めるのが一般的だったのです。そしてその際、品質のよくないワインや水を混ぜてワインが「水増し」されることがあり、それが各シャトーの名声を落とすことが問題となっていました。

そこで声をあげたのが、シャトー・ムートン・ロスチャイルドのフィリップ男爵。彼こそが「シャトー元詰」の提案者です。「瓶詰め」と言葉で書くと簡単に見えるかもしれませんが、瓶詰めにはラベルやコルク、出荷用のパッケージ、そして詰めたあとの瓶を置いておくための膨大なスペース、そしてもちろん労力が必要です。しかし、まだ20代のフィリップ男爵は周りのシャトーも巻き込んで、シャトー元詰を普及させていったのです。

こうして広まったシャトー元詰の仕組みは、ボルドーが今も消費者からの信頼を集め続ける理由のひとつといえるでしょう。ちなみにフィリップ男爵は、ムートン・ロスチャイルドを格付け第1級に昇格させ、カリフォルニアで「オーパス・ワン」を生み出すなど、多くの偉業を成し遂げた人です。

スクリューキャップ

伝統的なワインの栓といえばコルク。理想的な状態でワインを熟成させてくれるなど、コルクにはメリットもありますが、TCAという化学物質がワインにダメージを与えてしまうリスクがあります。また、コルクの原料となる樹木が減少しており、良質なコルクを多く作りにくくなってきました。

そこで注目されてきたのがスクリューキャップです。コルク臭のリスクがなく、再栓がしやすいなど多くの長所をもつスクリューキャップは、特にオーストラリアとニュージーランドで多く採用されており、現在両国での普及率はなんと100%近く。かつては安物ワインの象徴といわれたスクリューキャップのイメージも今では随分変わり、さまざまな酸素透過率のスクリューキャップが登場して、高級ワインにも使われるようになりました。

缶入りワイン

2021年の缶ワイン国際コンペでGold Medalを獲得したロゼの缶入りワイン(出典:International Canned Wine Competition

ここ10年ほど世界で人気を集めているのが、缶入りのワイン。オープナーもグラスも必要なく、割れる心配をせずに持ち運べて、一人でも飲みきれる気軽さが特徴です。

缶入りワインをつくる試みは1930年代から始まっていたのですが、ワインのおいしさを保つのは非常に難しく、なかなか製品化に至りませんでした。しかし、オーストラリアの企業が長年の研究の末、缶の内側をコーティングする技術を開発。5年にわたってワインの品質を維持できる缶パッケージを生み出します。

これがきっかけで、2010年ごろから世界で急速に人気を高めていった缶ワイン。最近は日本のコンビニやスーパーでもよく見かけるようになりましたね。ちょっとした家飲み用に、キャンプなどのアウトドア飲み用に、ぜひ一度缶入りワインを手にとって楽しんでみてください。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。