みなさま、はじめまして! このたびライターに仲間入りしました、瀬良 万葉(せら まよ)です。
クラシックの鑑賞や演奏はもちろんですが、わたしが特に好きなのは「作品が生まれた時代の空気を想像すること」です。そして、音楽と同じくらい愛しているのが「お酒」で、日本ソムリエ協会公認ワインエキスパートでもあります。
そんな自分の「好き×好き」を活かした企画として、新連載『モーツァルトとワイン旅行』を始めます。モーツァルトがかつて演奏旅行で訪れた土地を巡りつつ、その地域のおすすめワインを紹介するシリーズです。
初回の今日は、モーツァルトが生まれて初めて体験した演奏旅行を取り上げます。初期作品や旅行中のエピソードもご紹介しますので、どうぞお楽しみください。
幼きヴォルフガング
さっそく出発! と行きたいところですが、シリーズ初回ということで、まずは本連載の主人公であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの幼年時代を振り返ってみましょう。
神童の誕生
ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト、のちのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年1月27日にザルツブルクで生まれました。
父レオポルト・モーツァルトと母アンナ・マリアの間には全部で7人の子どもが生まれましたが、そのうち5人が夭折しています。ヴォルフガングはそのうちの末っ子で、難産の末に生まれたと言われています。
ヴォルフガングはとても幼い頃から神童ぶりを発揮しました。それを示すあまたのエピソードが後世に伝えられていますが、この記事ではひとつだけご紹介しておきましょう。
ある日、レオポルトが友人でトランペット奏者のヨハン・アンドレアス・シャハトナーと共に教会のお勤めから帰宅すると、まだ4歳のヴォルフガングが、何やら音符のようなものを紙に書き付けています。インク染みだらけのそれを「ピアノ協奏曲だ」と主張するヴォルフガングを愉快に思いつつ、レオポルトは息子のなぐり書きを手にとりました。
以下は、この直後の様子を、シャハトナーが回想したものです。
「お父上はその楽譜にじっと目をこらしていましたが、やがて喜びと驚きの涙がこぼれ落ちました」(シャハトナーがナンネルに宛てた1792年4月24日の手紙より。立石光子訳)
レオポルトは、ヴォルフガングの非凡な才能を早々に見出しました。そして自ら音楽教育を施し、長きにわたって息子の音楽家としての歩みをサポートすることになります。
ナンネルお姉ちゃんのこと
動画は、ヴォルフガングが5歳のときに書いた作品K.2です。
これら初期作品、そしてヴォルフガングの幼少期を語るにあたって欠くことができないのは、ヴォルフガングの姉ナンネルの存在でしょう。
マリア・アンナ・ワルブルガ・イグナーツィア・モーツァルト、通称ナンネルは、ヴォルフガングにとって唯一のきょうだいで、4歳年上のお姉さんです。ナンネルもヴォルフガングと同じく、すばらしい音楽の才能をもった子どもでした。
ナンネルもヴォルフガングも、正規の教育を一切受けていません。ふたりの教育はすべて父親であるレオポルトが担いました。姉弟は、読み書き・算数・地理・歴史、そして言うまでもなく音楽について、レオポルトからすばらしい家庭教育を受けて育ちました。
ナンネルは7歳のときにピアノを始めましたが、教師はもちろんレオポルトでした。ナンネルがピアノを練習し始めてからすぐに、レオポルトは娘のためにクラヴサン用の楽譜帳を編纂します。
この『ナンネルの楽譜帳』には、はじめレオポルトの自作曲や当時の作曲家による小曲が収録されていましたが、次第にヴォルフガングもここに自身の作品を書き止めるようになります。上で紹介したK.2の作品も、『ナンネルの楽譜帳』に書かれたものです。この楽譜帳は、きょうだいの幼少期を知ることができる貴重な資料だと言えるでしょう。
これから述べる最初の演奏旅行でも、ナンネルとヴォルフガングは「ペア」として演奏活動をおこない、その宣伝文句は「ふたりの神童」でした。ヴォルフガングが初めて交響曲を作ったとき、それを書きとったのもナンネルでした。そして何より、現代に生きるわたしたちがモーツァルト一家についての膨大な情報を知ることができるのは、ナンネルの証言によるところが大きいのです。
2人の神童、いざ人生初の演奏旅行へ
さて、いよいよ旅の始まりです!
今回は、ヴォルフガングにとって生まれて初めての旅である1762年のミュンヒェン旅行、そして同年から翌年1763年にかけてのヴィーン旅行を追体験してみましょう。
最初の旅先はミュンヒェン
レオポルトが最初の旅行先に選んだのは、ドイツ・ミュンヒェンです。当時ミュンヒェンには、バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフの宮廷がありました。この選帝侯は音楽を深く愛した人で、ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏したほか、自ら作曲も手掛けたとされています。
レオポルトは、ナンネルとヴォルフガングを連れて、1762年1月12日にザルツブルクを発ちました。このときナンネルは10歳で、ヴォルフガングは旅先で6歳を迎えています。
ザルツブルクからミュンヒェンまで、現代なら2時間足らずで行くことができますが、モーツァルト一家が旅行をした当時は約2日ほどかかったようです。しかし、それでも当時ミュンヒェンは、彼らの地元ザルツブルクから比較的近いところにある都会でした。レオポルトとしては、小さな子どもたちのはじめての旅行先として、まずは手近なところを選んだというところでしょう。
残念ながら、3週間にわたるミュンヒェン滞在中のできごとは、ほとんど記録に残されていません。ナンネルの回想など数少ない資料から推測できるのは、この間に姉弟が選帝侯のもとで御前演奏をおこない、協奏曲を弾いたということだけです。
帰国後すぐにヴィーンへ
ミュンヒェンでの演奏がよほどうまくいったのでしょうか。モーツァルト一家は、同じ1762年の秋、早くも2度目の演奏旅行に出発します。次の旅行先はヴィーン。ハプルブルク帝国の首都です。今回は母アンナ・マリアがメンバーに加わり、レオポルトの友人で写譜師のエストリンガーも同行しての旅となりました。エストリンガーの同行は、ヴィーンでの高額な写譜代を節約するためだったと言われています。
一行は9月18日にザルツブルクを出発し、ヴィーンに着いたのは10月6日。現代なら電車1本、たった2時間半で行けるこの旅程ですが、当時のヴィーンはザルツブルクからたいへん遠い街でした。途中のパッサウからヴィーンまでの間は、ドナウ川をゆく船で向かったようです。
このヴィーン旅行の間に、レオポルトは家主のハーゲナウアーに何通も手紙を出し、演奏会に出席した貴族全員の名前、そして子どもたちが受け取った称賛をそこに書きました。レオポルトとしては、ハーゲナウアーが子どもたちの評判をザルツブルクじゅうに広めてくれることを期待していたのでしょう。ともあれ、この手紙のおかげで、わたしたちもヴィーンにおける一家の動向を知ることができます。
やはり特筆すべきは、シェーンブルン宮殿での御前演奏でしょう。ナンネルとヴォルフガングは、皇帝フランツ一世と皇妃マリア・テレジアの前で演奏し、このうえない称賛を得ました。
御前演奏で披露されたのは音楽的才能だけではありません。子どもたちの愛嬌もまた皇帝一家のお気に召したようです。ヴォルフガングがマリア・テレジアの膝に飛び乗り、首に抱きついてキスをしたエピソードは有名かもしれません。
この演奏の際にナンネルとヴォルフガングは皇女や皇子のお下がりの礼服を贈られました。のちにその服を着て描いてもらったのが、本項の最初に掲載している肖像画です。
作曲家ヴァーゲンザイルとの出会い
動画は、ヴィーンの作曲家ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル(1715-1777)による『チェンバロのためのディヴェルティメント』(Op.1) です。この曲をご紹介するのは、モーツァルト一家のヴィーン旅行におけるエピソードのひとつとして、次のようなことが伝えられているからです。
やはり御前演奏のときのことであるが、ヴォルフガングは演奏を始める前、皇帝に向かって「ヴァーゲンザイルさんはいないのですか? これが解るあの人が来てくれなきゃ」と言い放ち、ヴァーゲンザイルがやってくると、「あなたの協奏曲を一曲弾きますから、僕のために譜めくりをしてください」と頼んだというのである。
(西川尚生『作曲家 人と作品:モーツァルト』)
ヴァーゲンザイルは今でこそほとんど忘れ去られていますが、当時はヴィーン宮廷音楽の中心人物であり、たいへん高名な作曲家でした。『ナンネルの楽譜帳』に彼の作品が収録されていることからわかるように、ヴァーゲンザイルはナンネルやヴォルフガングにとっても馴染み深い作曲家でもあったようです。
近年、ヴァーゲンザイルがモーツァルトの初期クラヴィーア協奏曲に与えた影響が指摘されているそうです。作品をお聴きになってみて、いかがでしょうか。なんとなく「モーツァルトっぽい」ような気がしますが、それは逆で、モーツァルトが「ヴァーゲンザイルっぽい」ということなのでしょう。
実は、このヴィーン旅行の間に、レオポルトがヴァーゲンザイルの楽曲を熱心に集めていたことが判明しています。(このとき、同行した写譜師のエストリンガーが大活躍したことでしょう! 当時、まだコピー機はありませんから……)。御前演奏での印象的なエピソードが注目されがちな幼少期の演奏旅行ですが、このような楽曲収集や演奏の鑑賞も含め、大都市で最先端の音楽を体験したことが、のちのヴォルフガングの創作活動に与えた影響は計り知れません。
ヴィーンの名物ワイン「ゲミシュター・ザッツ」
さて、ここでワイン紹介コーナーです。かつてハプルブルク帝国の首都として栄華を誇り、今ではオーストリアの首都、そして「音楽の都」というイメージの強いヴィーンですが、実は優れたワイン産地でもあります。今夜は、そんなヴィーンのワイン文化、そして伝統的なワインをご紹介しましょう。
世界でも珍しい「ワインが造れる首都」
オーストリアの首都ヴィーンは、約700ヘクタールの栽培面積を誇る立派なワイン生産地です。100万人を超える人口を抱える大都市で、こんなにも盛んなワイン造りがおこなわれているのは、世界でもあまり例がない珍しいことです。
ヴィーンで造られるワインのうち、約80%を白ワインが占めます。オーストリアにおける有名な白ぶどう品種としては「グリューナー・フェルトリーナー」がありますが、ヴィーンではその他にもさまざまな種類の白ぶどうが植えられています。そして、ヴィーンのワイン文化で忘れてはいけないのが「ホイリゲ」です!
「ホイリゲ」とは、もともと「新酒」を指す言葉でした。ボージョレ・ヌーヴォーのようなものですね。オーストリアでは毎年11月11日に、その年のワインが解禁されます。
やがて、その新酒と共に自家製の料理を出すお店が現れ、そのような店舗のことも「ホイリゲ」と呼ばれるようになりました。お店としての「ホイリゲ」は、本来はワイン農家がオリジナルの新酒と手料理を振る舞う小さな店舗を指しますが、最近は観光客を意識してか、単なるワイン居酒屋も「ホイリゲ」と名乗っていることがあります。
ホイリゲでは伝統的に、ヴァイオリンを主体とした小さな編成のバンド演奏がおこなわれます。日が暮れてからホイリゲに行けば、郷土音楽の生演奏を聴きながらワインを楽しむことができます。
ゲミシュター・ザッツ=「混植混醸」
さて、本日ご紹介するヴィーンの伝統的なワイン、それは「ヴィーナー・ゲミシュター・ザッツ(Wiener Gemischter Satz)」です。「ゲミシュター・ザッツ」とは、「混植混醸」という意味。同じ畑で約3〜20種類のぶどうを一緒に栽培し、それらの果汁を一緒に絞って発酵させることによって作るワインです。別々の畑で育てた複数品種のぶどうをそれぞれ発酵させてからミックスさせるワインは世界各地にたくさん見られますが、畑の段階から複数のぶどうを一緒に栽培するケースはそれほど多くありません。
実はこの「混植混醸」は、生物多様性の視点から近年再評価されています。さまざまな種類のぶどうを一緒に植えることで、畑に住む微生物などの多様性が増し、結果的にそれぞれのぶどうが病気にかかりにくくなったり、化学農薬を減らせる可能性が高まったりするそうです。環境に優しい手法のひとつとして、新たに混植混醸を取り入れるワイナリーが世界中で増えているとか。ヴィーンの伝統的なワインは、実はきわめて先進的なワインでもあるのです。
ヴィーナー・ゲミシュター・サッツは、その土地の豊かな多様性をそのまま映し出せるワインです。だからこそ年によるばらつきが出やすく、生産者の手腕が問われるワインでもあります。かつてヴィーナー・ゲミシュター・サッツは観光産業向けの大量消費用ワインとなっていた時期がありましたが、数々の意欲的なワイナリーの努力により、ここ10年ほどで高級ワインの地位を再獲得しました。
Wiener Gemischter Satz 2018 (生産者:Mayer am Pfarrplatz)
画像出典:Amazon.co.jp
そんなマイヤーによる「ヴィーナー・ゲミシュター・サッツ」は、フレッシュな青りんごや白桃をかじったときのような爽やかな果実感が魅力。すっきりとした甘酸っぱさがあり、レモンを絞りたくなるような魚介のお料理と高相性。お刺身などの和食と合わせても、旨味が引き立って美味しいワインです。
1683年の設立以来、長きにわたってヴィーンの歴史を見守ってきたワイナリー「マイヤー」。土壌や気候に恵まれた立地で、伝統的な手法を大切にしつつ最先端の技術を導入し、クオリティの高いワインを造っています。ワイナリーの敷地内に、ベートーヴェンが第九を作曲した「ベートーヴェン・ハウス」が建っていることでも有名です。
伝統と革新がクロスする、音楽とワイン
『モーツァルトとワイン旅行』の初回となる本記事では、ヴォルフガングが最初に体験した2つの旅行をご紹介しました。6歳という幼い頃にハプルブルク帝国の首都ヴィーンの空気を吸い、最先端の音楽に触れたことは、ヴォルフガングにとって貴重な経験となったのではないでしょうか。
ヴィーンは現代においても変わらず大きな都市ですが、それにもかかわらずおいしいワインが造られています。そこで伝統的に造られている混植混醸の「ヴィーナー・ゲミシュター・サッツ」は、生物多様性を守るという視点で見ると、とても革新的なワインです。
かつて最新の音楽を求めてヴィーンを訪れ、のちに当時としては革新的な作品を多く残したヴォルフガングですが、彼の作品はやがて古典となり、後世におけるさらに革新的な作品の下地となってきました。伝統と革新がクロスしながら進化を続けてきたのは、音楽もワインも同じかもしれません。そう思うと、なんだかわくわくしてきますね。
参考文献
- 西川尚生『作曲家 人と作品:モーツァルト』音楽之友社、2005年
- ジェイン・グラヴァー著、中矢一義監修、立石光子訳『モーツァルトと女性たち:家族、友人、音楽』白水社、2015年
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