ふたりで掴んだローマ賞。ナディア&リリ・ブーランジェ、作曲家姉妹のがっちりタッグ

ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。放課後の音楽室で、お茶を淹れながら「今の教科書」に載っていない音楽の話をしたいというコンセプトでお送りするこの連載。第5回目の本日は、フランスの作曲家ナディア&リリ・ブーランジェ姉妹を取りあげます。

音楽家揃いのブーランジェ家

この動画は、リリ・ブーランジェが作曲した『春の朝に』(D’un matin de printemps, 1917)。今回取り上げるブーランジェ姉妹は、ナディア(Nadia Boulanger)が姉で1887年に生まれました。妹のリリ(Lili Boulanger)はその6年後、1893年の生まれです。リリは生まれつき体が弱く、その世話は姉ナディアに任されていました。幼いうちからケアの役割を当てられたナディアの負荷や如何ばかりかと思いますが、このふたりの場合にはその“強い結びつき”がひとつの大きな結果を生みました。1913年、リリ・ブーランジェが「ローマ賞」に選ばれます。この賞を受賞した女性はリリが初めてでした。

ローマ賞の詳細は後述するとして、そこまでの軌跡をたどりましょう。そもそもブーランジェ家は音楽一家です。祖父がチェリストで祖母はオペラ歌手、その元に生まれた父エルネスト(1815-1900)は作曲家・声楽家です。パリ音楽院で教鞭を取っていましたが、なんと声楽クラスの生徒のひとりであったライサ・ムィシェツカヤ(Raïssa Myshchetskaya, 1856または1858*-1935, *出生年諸説あり)と結婚。その年齢差にして40歳以上も離れていました。

ここでひとつポイントになるのが、姉妹の母もパリ音楽院に学んでいたということ。たとえば、本コラムシリーズの第1回で取り上げたシャミナードは、1857年生まれ・1944年没ということで、シャミナードとブーランジェ姉妹の母親ムィシェツカヤは同世代ですが、シャミナードは家族の反対にあってパリ音楽院への入学が叶いませんでした。一方、ロシアの貴族の家庭出身のムィシェツカヤはもともとサンクトペテルブルク音楽院で学んでいて、そこからパリへと渡りました。そうして母親自身が音楽学校に通っていた環境だからこそ、そののちナディアとリリが就学年齢を迎えた際も、パリ音楽院で学ぶことに関して障壁は無かったのでしょう。

ただ一説によれば、ムィシェツカヤもパリ行きについては家族に反対されたそうです。というのも、サンクトペテルブルクにいた頃に、のちの夫となるブーランジェの演奏を聴いて、彼を追いかけるようにしてパリ音楽院に留学したのだとか。これは本人がナディアに語ったことだそうですが、しかし歴史的な記録を検証すると、エルネスト・ブーランジェがその時期にサンクトペテルブルクでの演奏会に出演した記録がないようで、ひとつのミステリーです。

なおムィシェツカヤはチャイコフスキーとも親交がありました。パリ移住後にチャイコフスキーと知り合って、そののちふたりが交わした手紙が現存しています。父ブーランジェは勤め先の同僚でもあった作曲家フォーレらとも親しく、ブーランジェ姉妹の周りには音楽家が溢れていました。

亡き父を追って、“ローマ賞”を目指す

左・ナディア(出典 Bibliothèque nationale de France)/ 右・リリ(出典 Wikipedia

ナディアは9歳のときにパリ音楽院の門を叩きます。このときまだ5歳にもならないリリが一緒についていって、共に授業を受けていたそうです。もともとナディアが受験準備のために個人レッスンを受けていたときも、リリはそばにいてのぞいていたことから、この流れは自然です。ナディアは和声・対位法・オルガン・ピアノ伴奏・フーガ、それぞれで首席を獲得する優秀っぷりで、ヴィドール(1844-1937)とフォーレ(1845-1924)に師事して作曲を学びました。彼女の大きな目標は、ローマ賞です。

ローマ賞とは、フランス政府が実施していた芸術賞で、“太陽王”ルイ14世によって創設され、20世紀半ばまで継続していました。ローマ賞に選ばれた者は受賞後に年単位のローマ留学の機会を与えられます。若手芸術家の登竜門で、建築や絵画などの部門と並んで、音楽部門(作曲部門)があります。ベルリオーズやビゼー、ドビュッシーなどを輩出しましたが、実はブーランジェ姉妹の父エルネストも受賞しています。

ナディアが13歳、リリが7歳になる年、父エルネストが他界。以降暮らしが難しくなっていく中で、ふたりはより音楽の勉強にのめっていきました。特にナディアは、家族を支えるために自分が早く仕事を得ようと考えました。ナディアは1904年にパリ音楽院を卒業し音楽教師として働き始めた傍ら、ローマ賞への応募を見据えて作曲を重ねます。パリ音楽院の教授陣が審査を務めるローマ賞。しかもナディアはパリ音楽院で優秀な成績を修めた人材です。大賞は射程圏内と考えても良いでしょう。

1906年、最初のローマ賞応募は一次審査落ち、翌年は最終審査まで残るも落選。3度目の挑戦となる1908年、「声楽のフーガ作品」が求められた審査に、ナディアは「器楽のフーガ作品」を提出したことで、これが波紋を呼びます。国内外で報道されるほどの騒ぎになり、最終的に政府高官の鶴の一声で審査対象として扱われることになりましたが、それだけローマ賞は注目が高かったことが伺えます。しかもナディアはその状況下で2等を獲得しますが、狙うは1等ですから、ここで引くことはできません。1909年のローマ賞にも応募し、最終審査まで残ったものの、結局ナディアは選ばれず、これが最後の挑戦と相成りました。

4度の挑戦の裏で、音楽教師を含むプロとしての音楽活動に励んでいたナディアは、1912年に指揮者デビューを果たします。このときの演目のひとつは、1908年のローマ賞で物議をかもした応募曲「カンタータ『La Sirène(マーメイド)』」でした。

“門前の小僧”だった妹が姉の雪辱を果たす

ナディアがローマ賞に4度も挑んで敗れて以来、リリは「自分が取ってみせる」と家族に宣言していました。リリにとってナディアは最も身近で音楽の手解きをしてくれた存在ですが、ナディアにとってリリは「ケアする対象」であると同時に、その才能を畏れ敬ってもいました。

リリは1913年のローマ賞でグランプリを獲得、御年19歳のときの出来事でした。有言実行です。しかし運命は皮肉にも、病弱なリリに副賞のローマ留学の完遂を許しません。幼い頃からずっと病気に苛まれていたリリは、ローマ留学中にいよいよ体調が支障をきたし、期間を残したまま家族の元へ戻りました。そして第一次世界大戦が勃発する中で、姉妹は兵士に支援物資を送る活動に従事し、音楽活動は抑え気味に。特にリリは新作に手をつけるよりも書きかけの作品の完成に時間を多く割きました。1918年、戦争の収束を見る前に、リリは24歳でこの世を去ります。

リリの死を受けて、ナディアはなんと作曲の筆を折ってしまいました。類い稀な才能を持つリリではなく、自分が残ってしまったことへの罪悪感のようなものがあったようです。とはいえナディアが残した作品も魅力的で、彼女自身もまた優れた作曲家であったことに違いはないのですが、きっと本人にとっては、そうでもしないとリリの死を乗り越えられなかったのでしょう。

ナディアは92歳まで長生きして、1979年の死去の直前まで教育活動に尽力しました。結果、世界中にその生徒がいると言われていますが、あまりに数が多く、また本人や助手など周りの人間も記録を取っていなかったため、正確にどれほどの数の生徒を教えたかはわからないほど、とにかくたくさんの生徒に教育を施しました。

そして生涯を通じてリリの作品を演奏し続け、短命だった作曲家の足跡を世に伝えます。リリ・ブーランジェの作品が今も弾き継がれているのは、ナディアの功績に寄るところが大きいでしょう。でもリリのローマ賞獲得は、ナディアなくして起こり得なかったはず。いつでも一歩先で導き、惜しくもガラスの天井を破りきれなかったけれど、3度もローマ賞最終選考に残って名を馳せた姉がいたからこそ、リリの道は拓かれました。

女性生産者によるコーヒー

今回の動画内では、イレギュラーですがコーヒーを淹れています。『春の朝に』というタイトルに合わせて、朝といえばコーヒーが飲みたいなあという安直な理由です。この動画の撮影自体は2021年の4月におこないました。動画では光も映りますし、何より音を伝達する空気は、季節ごとに固有の湿度があるので、時期を狙って録画することにはとても意味があると思いました。

今回飲んでいるコーヒーは、フォートナム&メイソンで手に入れてきました。フォートナム&メイソンと言えば紅茶で有名な英国の老舗百貨店です。

こちらはペルー産のシングルオリジンコーナーで、「The Asproagro Community」という農園の女性メンバーによって作られた製品です。炒り加減は中庸で、製品の説明書きによれば「キャラメル、ヘーゼルナッツやバニラの香り、鮮やかな柑橘の後味をお楽しみあれ」とのこと。香りに合わせて、オレンジパウンドケーキを添えました。

参考文献

Bibliothèque nationale de France. “Nadia Boulanger (1887-1979).” data.bnf.fr. Accessed October 24, 2023. https://data.bnf.fr/13891733/nadia_boulanger/.

———. “Lili Boulanger (1893-1918).” gallica.bnf.fr. Accessed October 24, 2023. https://gallica.bnf.fr/html/und/partitions/lili-boulanger-1893-1918?mode=desktop.

Contributeurs aux projets Wikimedia. “D’un Matin de Printemps.” Wikipedia.org. Fondation Wikimedia, Inc., August 2, 2016. https://fr.wikipedia.org/wiki/D%27un_matin_de_printemps.

Harada, Maho. “Maho Plays D’un Matin de Printemps by Boulanger #Maketeaplaymusic.” www.youtube.com, April 13, 2021. https://youtu.be/B27KfpaS-Yc?si=NRoAszAzwBl2hQwL.

Rosenstiel, Léonie. Nadia Boulanger: A Life in Music. New York: W.W. Norton, 1998.

Tchaikovsky Research. “Raïssa Boulanger – Tchaikovsky Research.” Tchaikovsky-research.net, 2023. https://en.tchaikovsky-research.net/pages/Ra%C3%AFssa_Boulanger#cite_note-note1-1.

Wikipedia Contributor. “Lili Boulanger.” Wikipedia, May 27, 2020. https://en.wikipedia.org/wiki/Lili_Boulanger.

———. “Nadia Boulanger.” Wikipedia, January 7, 2021. https://en.wikipedia.org/wiki/Nadia_Boulanger.

———. “Prix de Rome.” Wikipedia, November 16, 2020. https://en.wikipedia.org/wiki/Prix_de_Rome.

The following two tabs change content below.
栃木県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了、ディプロマ・オブ・ロイヤルアカデミー、ドリス・フォークナー賞を受賞。2018年9月より同音楽院博士課程に進学。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。弦楽器情報サイト「アッコルド」、日本現代音楽協会HPにてコラムを連載。