約15年ぶりのパリで直面する現実と家族との別れ&復活するパリ近郊のワイン造り

W.A.モーツァルトの旅先を巡り、現地の美味しいワインをご紹介する連載「モーツァルトとワイン旅行」。

母マリーア・アンナとともに、就職先を探す旅を続けるヴォルフガング。ミュンヒェンからマンハイムを経て、今度はパリに向かいます。

久しぶりのパリ訪問

1778年3月14日にマンハイムを出発したヴォルフガングとマリーア・アンナは、同月23日にパリに到着しました。彼らがパリの地を踏むのは、約15年ぶり。1763年秋に、家族4人で訪れて以来のことでした。

今回の旅ではザルツブルクに残っている父レオポルト。なかなか就職を決めないヴォルフガングにやきもきしていた彼ですが、息子たちがパリに到着したことを知ると、以下のような手紙を送っています。

私はいま心配はまったくないし、かなり満足しています…(中略)…おまえは、自分が生まれつき持っている勤勉さによって、そこから全世界で大きな名声を自分にもたらすことのできる場所にいるのだ。

(1778年4月20日、レオポルトからマリーア・アンナとヴォルフガングへの書簡より。海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』より引用)

西方旅行の思い出

レオポルトがこのように喜ばしい気持ちになったのは、約15年前のパリ訪問が一家にとって非常にすばらしい経験だったからでしょう。

1763-64年 パリで出会った華やかで洗練された文化&宝石のようにきらめくシャンパーニュ

当時ヴォルフガングは7歳。彼と同じく音楽の才能に恵まれた姉のナンネルも含めて、家族4人そろっての大旅行でした。

前回のパリ滞在時にヴォルフガングは、ナンネルとともに奇跡の神童として人々にもてはやされました。上流社会に顔が効く文芸評論家・グリム男爵の世話になり、そうそうたる貴族や文化人と社交を重ねる日々。国王ルイ15世への拝謁も叶い、さらに自作の初出版も経験するなど、まだ7歳にも関わらずめざましい活躍を見せました。

最初のパリ滞在でのこうした経験は、ヴォルフガングに「世界の一流音楽家」としての矜持を抱かせるきっかけになったのではないかと思います。

パリは変わってしまった?

しかしながらヴォルフガングは、久しぶりに訪れたパリについて、次のように語るのです。

パリはすっかり変わってしまいました。フランス人は、15年前のような礼儀など、とうの昔になくしてしまいました。彼らはいまやまったく粗野に近く、しかも嫌らしいほど思い上がっています。
(中略)
もしここが、聴く耳をもち、感じる心があり、少しでも音楽を理解し、趣味をもつひとたちがいる所ならば、ぼくはこんなことはすべて心から笑ってすませたでしょう。ところが、ぼくは(こと音楽に関するかぎり)けだものや畜生同然の連中のなかにいます。

(1778年5月1日、ヴォルフガングからレオポルトへの書簡より。海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』より引用)

ヴォルフガングが当時のフランス人の音楽趣味に辟易していたのは事実でしょうが、それよりも彼は、かつてあんなにも自分をもてはやした人たちの冷たさに傷ついて、このような手紙を書いているように思えます。

今回のパリ旅行では、あのグリム男爵でさえ、ヴォルフガングを突き放すような態度を取りました。22歳になった彼は、もはや自分が「奇跡」や「神童」ではないという現実に直面したのです。

就職話が来たけれど……

ヴォルフガングはこのような状況のなかでも、盛んに作曲活動に取り組んでいます。たとえば前回もご紹介したように、交響曲第31番ニ長調「パリ」K.297では、マンハイム楽派からの学びをしっかりと音楽に反映させました。

この交響曲はパリ滞在中に初演され、聴衆からも高く評価されました。ヴォルフガングが言うほどには、フランス人の音楽趣味は悪くなかったのでは? と思わされます。

さて、そんなヴォルフガングに、就職先が紹介されます。ヴェルサイユ宮廷礼拝堂オルガン奏者のポストです。これでようやく就活の旅も終了か? と思われましたが、ヴォルフガングはこの話をきっぱり断ってしまいました。

せっかくの話を断った理由については本人もいろいろと述べていますが、結局、フランスという土地をあまり好きになれなかったのかもしれません。心から納得できる就職先に出会うのは、今も昔もなかなか難しいのですね。

愛する母との別れ

さて、今回のパリ滞在において最も重大な出来事は、ヴォルフガングの母マリーア・アンナの死でしょう。

パリに到着してからのマリーア・アンナの書簡を見ると、ヴォルフガングの活躍ぶりを夫に伝えたり、パリで流行しているファッションを事細かにナンネルに教えたりと、いきいきした様子も見られます。

しかし実際には、パリの暮らしはそれほど明るいものではなかったようです。

一日じゅう、ひとりっきりで部屋のなかに座っていますが、まるで牢屋にでも入れられているみたいです。おまけにとっても暗くて、小さな中庭に面しているだけなので、一日じゅうお日さまが見られませんし、お天気がどうなのかも分かりません。わずかに差し込んでくる光で、やっとの思いでなにかちょっとしたものを編むことができるのです。

(1778年4月5日、マリーア・アンナからレオポルトへの書簡より。海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集』より引用)

このような暮らしを続けるなか、彼女はしばしば体調を崩すようになります。ザルツブルクから持ってきた常備薬をすべて飲み切ってしまい、追加の薬を送ってもらいたいと夫に依頼する場面もありました。

当時、マリーア・アンナは50代後半。この年齢での長旅は、大きな負担になったことでしょう。たとえば、マンハイムからパリへの移動中に長時間雨に打たれたことも、身体にこたえたのかもしれません。そして、我が夫から大きな期待とプレッシャーを受ける息子のそばに、ただ付き添っていることの気苦労もあったことでしょう。

一時は体調を持ち直したものの、6月には急激に容態が悪化。身体のさまざまな部位が痛み、寒気と熱がひどくなり、声が出せず、耳が聞こえなくなっても、マリーア・アンナは医者を呼ばせませんでした。おそらく、金銭上の余裕がなかったのだと思われます。

その後、事態を知ったグリム男爵とデピネー夫人がかかりつけ医を派遣してくれましたが、治療の甲斐なく、7月3日の22時21分にマリーア・アンナは息を引き取りました。58歳の生涯でした。

上の動画は、ヴォルフガングにしては珍しく短調で書かれたピアノソナタK.310(300d)です。母を亡くした頃に作曲されたもので、喪失の悲しみが反映されていると言われています。

どうなる?ヴォルフガングの未来

旅先で母を失ったヴォルフガング。生まれて初めて、一人で毎日を過ごすことになりました。

このあと父レオポルトは、どうにも就職に成功しなさそうな息子を、あの手この手でザルツブルクに呼び寄せようとします。しかしヴォルフガングは、おそらくフランス以上に、地元ザルツブルクが大嫌いです。

ヴォルフガングは結局地元に落ち着くのか、それとも……? このあとは次回のお楽しみです。

パリ近郊でワイン造りの伝統が復活の兆し?

Photo by Hannes Wolf on Unsplash

さて、ここでワイン紹介のコーナーに移りましょう。今回はパリ周辺のワイン造りを取りあげます。

かつてフランス最大の産地だったイル・ド・フランス

「イル・ド・フランス」と呼ばれるパリ周辺地域は、中世からワイン造りが盛んな地域で、ちょうどヴォルフガングが生きた18世紀ごろには、フランス最大のワイン産地として知られていました。

日照時間や気温・湿度、霜の頻度など、ぶどう栽培において重要な項目を見ても、パリ近郊は恵まれた気候条件のもとにある、とする調査もあります。また歴史資料からも、イル・ド・フランスできわめて上質なワインが造られていたことは確かで、そのワインはブルゴーニュワインとならんで高い評価を受け、宮廷でも楽しまれていたようです。

しかし19世紀以降、鉄道で安価な南仏ワインが運ばれてくるようになるとこの地域のワイン栽培は衰退し、産業的価値のある穀物の栽培へと切り替わっていきました。

大都市パリで復活するワイン造りの伝統

しかし近年、そんなイル・ド・フランスでのワイン造りを復活させようという動きが見られています。地域の栽培業者組合が中心となり、農地を再編して、ふたたび質の高いワインが造れるような環境を整備しようとしているのです。

そのような動きのなかで2015年、パリに誕生したのが、都市型ワイナリー「La Winerie Parisienne(ワイナリー・パリジェンヌ)」。街なかの印刷所だった場所に作られたこのワイナリーは、かつてワイン造りで栄えたイル・ド・フランスに新しい風を吹き込み、パリを「現代におけるワインの首都」として復活させることを目標にしています。

基本的にはフランス全土からぶどうを仕入れ、新しい「フランスワイン」を追求している彼らですが、地産地消もめざしており、2017年にはイル・ド・フランス内、エッフェル塔からわずか30kmの場所にオーガニックのぶどう畑を展開。そして2019〜2020年には、なんとエッフェル塔の内部で醸造に取り組み、パリ発のワイン造りを鮮やかにアピールしました。

参考:ブランドジュリエ Paris 通信 ワイナリー・パリジェンヌ(エッフェル塔ワイン)

日本にも続々登場! 都市型ワイナリーの魅力

実は、このような都市型ワイナリーの設立は世界的なブームで、日本にもいくつかの都市型ワイナリーがあるんです。

たとえば、東京の下町にある「深川ワイナリー」や、大阪の街のど真ん中にある「島之内フジマル醸造所」。名古屋でも、2022年春の開業に向けたプロジェクトが進んでいるそうです。

ぶどう畑の中にあるのではなく、ごく普通の住宅地やオフィス街に突然現れるワイナリーは、より多くの人にワインの魅力を伝える役割も果たしています。ふらっと立ち寄れるワイナリーで、造り手と近い距離でワインに親しめる、すてきな場所。いわゆる有名産地にあるワイナリーに足を運ぶのももちろん楽しいのですが、都市型ワイナリーにはそれとは異なる魅力があります。

もしかすると皆様のお近くにも、ワイナリーがあるかも? 一度マップで調べてみてはいかがでしょうか。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。