W.A.モーツァルトの旅先を巡り、現地の美味しいワインをご紹介する連載「モーツァルトとワイン旅行」。今回は、第2回イタリア旅行に出発です。
祝典劇作曲のためミラノへ!
ヴォルフガング・モーツァルトと父のレオポルトに、大きな仕事が舞い込みました。女帝マリア・テレジアの息子、ロンバルディア総督フェルディナント大公の結婚のために、祝典劇の作曲を依頼されたのです。
オペラは、モーツァルト父子にとって最も重要ともいえるジャンルでした。そのオペラを、ハプスブルク家の皇子の婚儀のために書く。とても光栄で、ヴォルフガングの将来のためにもぜひ成功させたい仕事です。
当時、オペラは上演される土地に出向いて書く必要がありました。ソリストに合わせて独奏曲を仕上げる習慣があったためです。そのためモーツァルト父子は、上演地であるミラノに向かいます。1771年8月13日にザルツブルクを出発し、同月21日にミラノに到着しました。
《アルバのアスカーニョ》作曲から上演まで
今回ヴォルフガングが作曲したのは《アルバのアスカーニョ》というオペラ。「祝典劇」と呼ばれる、華やかで比較的娯楽性が高いジャンルの作品です。
台本の到着が遅れるなどのハプニングもありましたが、《ポントの王ミトリダーテ》のときのような妨害はなく、作曲はスムーズに進みます。ロンドンで交流したマンツオーリが主役を務めるなど、既知の歌手が出演しており、彼らがヴォルフガングに好意的に接してくれたことも幸いでした。
8月29日に台本が届き、途中で再び台本作者への手戻りがありながらも、9月23日に作曲が完了。驚異の作曲スピードです。その後、出演歌手やバレエの踊り手も交えた練習を経て、10月15日の婚儀を迎えます。ヴォルフガングの作品は、婚儀から2日後の10月17日に上演されました。
老大家ハッセとのオペラ競演
祝典の中心はハッセ作品だった
今回の祝典の中心に据えられたのはヴォルフガングの祝典劇ではなく、70歳を超える老大家ヨハン・アドルフ・ハッセのオペラ・セリア《ルッジェーロ》でした。婚儀の翌日にハッセのオペラ・セリアがまず上演され、その次の日にヴォルフガングの祝典劇が上演されるスケジュールです。
ハッセは、第2回ヴィーン旅行の際にモーツァルト父子と知り合っています。その際ヴォルフガングの才能に感心し、またレオポルトがヴォルフガングを甘やかしてその才能を駄目にしてしまわないかと心配もしていました。
ハッセの作品は、特に1730〜50年代ごろ絶大な人気を誇り、あのヨハン・ゼバスティアン・バッハも、ハッセのオペラ・セリアを聴くためにライプツィヒからドレスデンまで足を運んでいます。しかし次第にハッセの作品は時代遅れとみなされるようになり、自身もそれを自覚して、この当時すでに引退していました。
しかしマリア・テレジアにとって、自身に音楽を教えた人物であり、長年ヴィーン宮廷のために尽くしたハッセの音楽は特別だったようで、引退後のハッセをわざわざ指名して今回の祝典用にオペラ・セリアを書かせたのです。
このような状況のもと、ハッセの作品は聴衆受けしないと踏んだミラノの興行師が、ヴォルフガングに娯楽性の高い祝典劇をあとから依頼したのではないかとも言われています。どちらにせよヴォルフガングの祝典劇は「添え物」のような扱いだったと考えられます。
「添え物」のヴォルフガング作品が大評判
こうした経緯で上演された2作品。結果、ハッセの《ルッジェーロ》は不評、ヴォルフガングの《アルバのアスカーニョ》は大評判を得ました。
ハッセの作品はミラノの貴族に「やっと上演が終わってくれるのが嬉しい」とまで言われる始末。対してヴォルフガングの作品はあまりにも好評で、初演の2日後には早くも再演、さらに同月28日までにさらに3回も再演を重ねました。ヴォルフガングの圧勝です。
レオポルトの手紙によると、「このような才能が出てきては我々はすっかり影が薄くなってしまうだろう」と発言したらしいハッセ。彼はこれ以降、二度と劇場用作品を作ることはありませんでした。
依頼主のマリア・テレジアも、ハッセの今回の仕事がうまくいくという確信は持っていなかったようですが、これほどの失敗は見込んでいなかったらしく、息子フェルディナント大公に宛てた手紙に「老ハッセが気の毒です」と綴っています。
ミラノ宮廷に雇われる夢は?
この祝典劇で大成功をおさめたあと、モーツァルト父子はしばらくミラノに留まっていました。ミラノから北西に進んだところにある街ヴェレーゼに旅していたフェルディナント大公が、父子に「ミラノに戻ったら話がある」と言っていたためです。
このとき、フェルディナント大公はヴォルフガングをミラノ宮廷で雇おうと考えていました。レオポルトは、息子がミラノ宮廷で働く未来に期待しました。
しかしこの話は、大公の母マリア・テレジアの反対によって流れてしまいます。マリア・テレジアはヴィーン旅行の際にモーツァルト一家に優しく接してくれましたが、実のところ、旅行にかまけて宮廷音楽家としての職務をないがしろにする一家を良くは思っていなかったのかもしれません。音楽学者の西川尚生は、そうした理由に加えて「ハッセとのオペラ競演の一件が影を落としているように思われる」と考察しています。
いずれにせよフェルディナント大公の人選は常に母の監視下にあり、母の思惑にそむく人物を雇うことはできなかったようです。4年後、ヴィーン宮廷劇場のヴァイオリニスト兼作曲家であるヴェンツェル・ピヒルがマリア・テレジアによって推薦され、ミラノで活躍することとなりました。
ぶどう糖度を“sfz”して造る「スフォルツァート・ディ・ヴァルテッリーナ」
今回は、ミラノのあるロンバルディア州のうち、スイス国境にほど近い場所で造られる辛口赤ワインをご紹介します。
長期熟成ポテンシャルを持つしっかりとした赤ワイン
スフォルツァート・ディ・ヴァルテッリーナの材料となるぶどう品種は「キアヴェンナスカ」、これはネッビオーロの地元名です。ネッビオーロといえばバローロやバルバレスコで有名な品種ですね。
このワインは、3か月程度陰干しして、ぶどうの糖度を高めて造ります。この手法から「スフォルツァート」という名が付いているのです。以前ご紹介したアマローネと似た造り方です。
糖度を高めてから発酵させるため、できあがるワインは凝縮感があり、アルコール度数が高いものになります。また、品種由来のしっかりとした骨格も感じられます。
なおスフォルツァート・ディ・ヴァルテッリーナが造られるエリアは、バローロやバルバレスコの造られるエリアよりもやせて乾燥した土壌を持ちます。そのためスフォルツァート・ディ・ヴァルテッリーナは、バローロやバルバレスコよりもエレガントなワインになる傾向にあります。
このワインは長期熟成が可能。15〜20年の熟成にも耐える素晴らしいワインです。その品質の良さが評価され、2003年に最高格付の「DOCG」に昇格しました。
Sforzato Di Valtellina Ronco Del Picchio(Sandro Fay)
出典:Amazon.co.jp
今回のおすすめ銘柄は、サンドロ・ファイのスフォルツァート・ディ・ヴァルテッリーナ・ロンコ デル ピッキオ。ガンベロ・ロッソでトレビッキエリを獲得したこともある名ワインです。
通常、1人で10ha程度の畑を管理できるといわれているところ、サンドロ・ファイでは13haの畑の面倒をなんと9人がかりで見ています。斜面で標高が高く、機械が入れないのですべて手作業での管理。丁寧なプロセスで造られるワインには、ぶどう本来の旨味がしっかり活かされます。
みずみずしい赤色果実の風味、美しい酸。陰干しによる重厚さを感じさせながらも、決して飲み疲れしないエレガントなワインです。
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