二度目のローマで得た騎士の称号&エスト!エスト!!エスト!!!ディ・モンテフィアスコーネ

W.A.モーツァルトが演奏旅行で訪れた土地を巡り、そこで造られる美味しいワインをご紹介する「モーツァルトとワイン旅行」。ヴェローナからミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、そしてナポリへとイタリア各地を巡ってきたヴォルフガングと父レオポルトですが、この旅もそろそろ折返し地点。今回はナポリを経ち、再びローマへと戻ります。

馬車を飛ばしてナポリからローマへ

ヴォルフガングとレオポルトは、往路に比べてはるかに短い時間でローマにたどり着きます。

食も睡眠もそこそこに……

5月にローマからナポリへと向かったときには何日もかけた道のりを、今回、父子はなんとたった27時間で駆け抜けました。その間の睡眠は2時間だけ。食事はというと、冷え切った鶏肉のソテー4切れとパン1切れだけしか摂りませんでした。

そして二人にはさらなる試練が。この厳しい移動を耐え抜き、もうすぐローマに到着というところで、馬車の事故が起こり、レオポルトが足に大怪我を負ってしまいます。命に関わるものではなかったものの、しばらくのあいだレオポルトはこの怪我に悩まされることとなりました。

ローマに到着したあと、ヴォルフガングは「バタンキュー」で眠りこけてしまったとか。そりゃあ、そうなりますよね。

レオポルト考案! 移動時間節約テクニック

今回、こんなにも移動時間が節約できたのは、レオポルトの使ったあるテクニックのおかげです。

レオポルトは、自分たちがローマへ向かうのと同じときに、ほかの人たちがたくさんの馬を使う予定であることを知っていました。馬が不足するため、普通にローマに向かうと非常に時間がかかることを予測できていたのです。

そこでレオポルトは、「帝国使節の執事」を自称します。その頃当地では、帝国使節のような貴族の執事というのは非常に信頼される存在だったそうです。そんな執事の名を騙るとは……息子を音楽家として売り込むためには、これくらいのことが必要だったのですね。もしくは、当時はそんなに珍しいことではなかったのかもしれません。ほかの人にも読まれる可能性がある妻への書簡で、レオポルトはこの「詐称」について自慢気に語っているのですから。

とにかく二人は「帝国使節の執事」を名乗ることによって、移動時間をぐんと短縮できたのでした。

それ(帝国執事を名乗ったこと)は旅行を安全なものにしてくれたばかりか、良馬も得られたし、スピードも速くなったし、それにローマでは税関の検査にも行く必要がなく、市門のところで丁寧な挨拶をしてくれて、そのまままっすぐに宿に馬車を走らせるようにと言ってくれたので、私はすっかり満足して、彼らの顔にパオロ銀貨を2、3枚投げつけてやりました。

(1770年6月27日、レオポルトから妻マリーア・アンナ宛の書簡より)

信じられないほどの名誉! 黄金の軍騎士勲章

今回のローマ滞在における一番のニュースは、やはりヴォルフガングが教皇クレメンス14世から「黄金の軍騎士勲章」を賜ったことでしょう。

音楽家としてこの勲章を得たのは、「ルネサンス最高の作曲家」と讃えられたオルランド・ディ・ラッソ(1532-1594)以来のことです。

▼オルランド・ディ・ラッソの楽曲

また18世紀全体で見ても、この勲章を得ているのはヴォルフガングと画家のラファエル・メングスの二人だけ。これほどの名誉に、レオポルトも「ほんとうだろうか?」と疑ってしまうほどでした。

7年後の1777年に描かれたこちらの肖像画では、「黄金の軍騎士勲章」を身につけているヴォルフガングの姿を見ることができます。

なお、この勲章を賜って以降、主にレオポルトの手により、ヴォルフガングの自筆譜には「騎士アマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト氏作」と記されるようになりました。

姉弟間での音楽的やりとりは健在

父と息子の二人旅が長く続いていますが、かつて「コンビ」で音楽活動をしていたヴォルフガングと姉ナンネルの関係はこの頃どうなっていたのでしょう。

書簡からは、姉弟が依然としてお互いを尊重し合い、仲良くしていたことがうかがえます。レオポルトが妻マリーア・アンナに送る手紙には、ヴォルフガングからナンネルへの追伸がよく添えられています。

ローマ滞在中に書かれた手紙の中には、ナンネルが作曲した歌曲をヴォルフガングが称賛しているものが見られます。今の時代なら音声も動画もすぐに送れますが、当時は手紙に楽譜を載せてやりとりするほかに手段がありません。ほかの時期にも姉の作曲について弟がコメントしている手紙が見られますし、もちろんヴォルフガングが楽譜付きの手紙を送ることもしばしば。

かつてヴォルフガングと同じように世界のトップたちの前で演奏を披露していたナンネル。本当ならナンネルも(そしてマリーア・アンナも)イタリア旅行に連れて行ってあげてほしかったですが、それが叶わずとも、姉弟は手紙のやりとりを通して、音楽的なコミュニケーションを続けていたのですね。

エスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネ

さて、このあたりで美味しいワインのご紹介に移ります。今回取り上げるのは、とてもユニークな名前のワイン「Est! Est!! Est!!! di Montefiascone」。ローマと同じラツィオ州にあるモンテフィアスコーネという産地で造られる白ワインです。

美味しいワインがある! ある!! ある!!!

香りや味わいの前に、やはり「Est! Est!! Est!!! di Montefiascone」という名前の由来が気になりますよね。3回登場する「Est」とはラテン語で「ある」という意味。そして「di Montefiascone」は「モンテフィアスコーネの」という意味です。つまり全体を直訳すると、「モンテフィアスコーネの『ある! ある!! ある!!!』」……いったいどういうことなのでしょう? この名前については、次のような物語が伝えられています。

時は12世紀初頭。神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世は、法王から戴冠を受けるためにローマに向かうことになりました。そこに随行したのが、ドイツ人司教のヨハンネス・フッガー。この司教は、ワインが大好きなことで有名でした。フッガー司教は自らの従者マルティーノを先に行かせてこれから向かう土地のワインを味見させ、よいワインがある居酒屋を見つけたらその入口にチョークで「Est」と書くよう指示します。

そんなこんなで、モンテフィアスコーネ村に到着した従者マルティーノ。いくつかワインを味見してみると、なんとここではすべてのワインが美味しいではありませんか。マルティーノは村じゅうの居酒屋に「Est!」「Est!!」「Est!!!」と書きまくります。あとで到着したフッガー司教もモンテフィアスコーネのワインの美味しさにいたく感銘。ローマへの旅をとりやめてモンテフィアスコーネにとどまることを決め、生涯そこで暮らしたと語り継がれています。

モンテフィアスコーネの教会にあるフッガー司教の墓(出典:Wikimedia Commons

旅をやめて産地に住んでしまいたくなるほど美味しいワイン、エスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネは、プロカニコとマルヴァジア・ビアンカ・トスカーナをベースに造られます。辛口タイプですが、ほのかな甘味があり、酸は比較的少なめ。チャーミングな果実味が魅力のシンプルな味わいで、価格もお手頃なので、デイリーワインにぴったりです。

Le Poggere Est! Est!! Est!!! di Montefiascone(生産者:Falesco)

出典:楽天市場

イタリアのワイン造りを牽引するコタレッラ兄弟のワイナリー、ファレスコが造るエスト! エスト!! エスト!!! ディ・モンテフィアスコーネです。

りんごや洋梨のような黄色い果実のジューシーなフレーバー。柑橘類の酸味とナッツのようなほのかな苦味、スパイス感が味わいを引き締めます。

気軽に飲める1本として置いておきたい、コストパフォーマンスのよいワイン。お魚料理はもちろん、鶏肉にも合いますし、野菜をシンプルに焼いたり蒸したりしたものと飲んでも美味しいです。暖かくなってくるこれからの時期、しっかり冷やして楽しみたいですね。

The following two tabs change content below.
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。