神秘の世界の美しさ。作曲家スクリャービンの見た色彩感覚と絵画

知られざる音楽と美術の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマは、ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービンの神秘に包まれた音楽、そして彼がのめり込んでいた象徴主義の絵画です。

19世紀末ごろに活躍したスクリャービンは、ロマンティックかつ官能的、聴き手を陶酔させてしまうような音楽を生み出しました。そんな唯一無二の音世界を描いた背景には、彼にしか見えない「色彩」感覚、そして神智学という宗教がありました。スクリャービンの音と色の関係、五感で体感する音楽、そして神秘主義を通してつながった象徴主義の画家たちの絵画をご紹介します。

スクリャービンがつむぐ、神秘の音楽

1872年、ロシアに生まれたスクリャービンは、モスクワ音楽院での同窓生ラフマニノフと共に注目されるほど、大変優秀な学生でした。しかしピアノの練習による右手の故障に苦しみ、作曲の道を志すようになります。

彼の作品は、ピアノ演奏を本格的に学ぶ方なら一度はその陶酔するような美しさに心惹かれるのではないでしょうか。特にピアノ・ソナタは全10作品のどれも魅力的ですが、その中でも第4番はスクリャービンの魅力がダイレクトに味わえる人気作ではないかと思います。ショパンやリストからの強い影響を受けた初期から中期に移っていく時期の作品です。

          スクリャービン『ピアノ・ソナタ第4番 嬰へ長調』

第一楽章はまるで静かな星のきらめきのような美しいアンダンテ、第二楽章は軽快な「飛翔」を表し、熱気を増した音楽は壮大に幕を下ろします。

青年期から現世界への違和感を抱いていたスクリャービンは、「神智学」という宗教思想にのめり込んでいきました。その頃から、音楽は彼にとって「神」と近づくための神聖なる行為となっていきます。理想とする音楽を作る行程で、スクリャービンが取りいれたもの、それは色でした。彼には「自分にしか見えない色彩」が見えていたのです。

音に色が見える…スクリャービンと「共感覚」

イギリスの心理学者マイヤーズがスクリャービンに直接会っておこなった調査によると、スクリャービンが自らの「共感覚」に気付いたのは、あるコンサートでのことでした。

ロシア人作曲家リムスキー=コルサコフの隣で二長調の曲を聴いているとき、リムスキー=コルサコフが「この曲は黄色だ」と言い、スクリャービンは「私には金色に見える」と答えたのです。さらに二人は会話を続け、嬰へ長調はスクリャービンには紫に、リムスキー=コルサコフには緑に見える、ということを発見します。それぞれ違う色を見た二人でしたが、スクリャービンはこのとき、自分がもっていた不思議な色彩感覚に確信を得たのでした。

共感覚という特殊な感覚は、簡単に言うと「ひとつの感覚が刺激されると、ほかの感覚も同時に引き起こされる」ものです。たとえば、「特定の文字や数字を見ると、それぞれ色が見える」「ある味を味わうと、ある形を感じる」「音を聴くと、色が浮かんで見える」など、その感覚はさまざまです。2000人に一人は共感覚の持ち主だ、と言われることもあるそうですが、その全容はいまだ謎に包まれています。

音楽家ではスクリャービン以外にも前述のリムスキー=コルサコフ、フランスの作曲家メシアンなどが音と色彩に特殊なつながりをもっていたと言われていますが、芸術家特有の創造性なのか、それが特殊感覚なのか、断定することは難しいでしょう。

スクリャービンはハ長調には赤、ホ長調には青みをおびた白、などほとんどの調に特定の色彩を見ており、高さや倍音が混ざってくると混乱することがあると述べています。

五感を融合した壮大な世界を作りたい、そう考えたスクリャービンは自らの色彩感覚をとりいれた、「色光オルガン」の開発を思いつきます。

スクリャービン博物館に展示されている色光オルガン試作品(出典:moscovery.com

それは楽譜に色の指示をいれ、オルガンの鍵盤で操作し、その色の照明が照らされる、というものでした。この色光オルガンは交響曲第5番『プロメテウス ‐火の詩‐ 』で用いられる予定でしたが、うまく使用できず実際演奏会で使われることはありませんでした。しかし色の演出がなくとも、『プロメテウス ‐火の詩‐ 』はかなりスケールの大きい音楽です。

大編成のオーケストラに、合唱、そしてピアノ独奏が入ります(ほぼピアノ協奏曲)。スクリャービンが生み出した「神秘和音」と呼ばれる調性を無視したハーモニーが、静かな冒頭から高揚していく過程で重なります。火の粉のように動き回るピアノと、エネルギーが高まったクライマックスには合唱もすべて一体となり絶頂に達します。

スクリャービンにとって色光オルガンの試みは始まりにすぎず、実はさらなる「神秘劇」の構想も持っていたそうです。そこには踊り・香り(芳香)までもが含まれていたとか……彼のアイデアは音楽の域を大きく超えていたのです。

秘教の世界を描いた画家ジャン・デルヴィル

スクリャービンは交響曲第5番『プロメテウス ‐火の詩‐ 』の楽譜絵を、友人だったベルギーの画家ジャン・デルヴィルに依頼しています。ジャン・デルヴィルは19世紀末における象徴主義の芸術をけん引し、現実離れしたオカルト的なモチーフを多く描いた画家です。

『プロメテウス‐火の詩‐』 楽譜表紙絵(出典:wikipedia

この表紙絵に感激したスクリャービンはこのように話したそうです。

「(絵の)中央には両性具有者があり、その中では男と女の源が一つに結合し、性の分裂はまだ起こっていなかったのです。‐中略‐ 周囲は宇宙形成期で、原始の混沌です。ここから世界の意志が、全てを出現させます」

サバネーエフ著『スクリャービン 晩年に明かされた創作秘話引』より引用

こだわった火・炎の色であるオレンジが全面に広がり、スクリャービンは大満足だったといいます。しかし、両性具有や宇宙の光といった不可思議な世界観が押しだされた表紙絵は、議論の的だったそうです。

画家デルヴィルとスクリャービンは共通項の多い二人です。ともに強い信仰心をもち(それぞれ違う宗教)、生み出す作品は自らの思想を強く反映していました。神秘主義者ジョセフ・ペラダンの思想に心酔していたデルヴィルは、「芸術の役割は神的な媒介である」と主張していたそうです。

デルヴィル『mysteriosa』(出典:wikipedia

この奇妙な絵はいかにもデルヴィルらしい作品です。焦点の合わない目の女性が掲げる本には、聖なる三位一体を象徴する三角の記号が描かれています。神秘的な世界に招かれているかのようです。

幻想・奇想が描かれた象徴主義絵画

「理念に感覚の衣をまとわせること」と宣言された象徴主義は、詩などの文学に端を発し、精神世界や幻想を表現しようとした潮流です。特にメーテルリンクなど象徴主義の代表的な作家がいたベルギーでは盛んに芸術が生まれました。そこではこの世ではないような、ある種エキセントリックな世界観を見ることができます。

クノップフ『スフィンクスの愛撫』(出典:wikipedia

神話に登場する生物スフィンクスと、頬ずりされながらも険しい視線を見る者に向ける男性。二人は寄りかかり合っているかのように見えます。一般的には快楽への欲望と葛藤を表現しているとされていますが、なんとも神秘的な不思議な絵画です。

デルヴィル『Satan’s treasures』(出典:ベルギー王立美術館

神秘主義に深く共鳴していたデルヴィルはこの絵画でも、肉体から脱し、精神世界に人々を導く思想を描いています。連なる女性たちは男性の肉体を湿った地上にひきずりおろそうとしているのです。

ご紹介したベルギー象徴派と呼ばれる画家デルヴィルとクノップフは、どちらも「薔薇十字会」という神秘主義の結社に属していました。この結社には、フランスの作曲家エリック・サティも短期間関わっており、薔薇十字会の公認作曲家としていくつかの音楽を作曲しています。彼らの人間離れした絵のアイデア、描くモチーフはそういった思想から強い影響を受けていたのです。

今回はスクリャービンと象徴主義の画家たちの神秘の世界をのぞきました。彼らの芸術は現世の人間に向けてというよりは、神もしくは超人的な世界に向けられたものであることから、非現実感を強く感じさせます。

スクリャービンに関しては、「共感覚」という人とは異なる感覚を持っていたことが、より一層、彼を内的な世界に導いたのでしょうか。著者はデルヴィルやクノップフの絵画を見ていると、スクリャービンの音世界を見ているような錯覚におちいることがあります。謎に包まれた「神秘」の世界をぜひ、みなさんも楽しんでください。

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ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。