1763-64年 パリで出会った華やかで洗練された文化&宝石のようにきらめくシャンパーニュ

W.A.モーツァルトが演奏旅行で訪れた土地を巡り、そこで造られる美味しいワインをご紹介する「モーツァルトとワイン旅行」。

前回の連載でモーツァルト一家は、3年半にもわたる大旅行に出発し、ライン川沿いの都市をめぐりました。その後一家は、ネーデルラントの首都ブリュッセルでの滞在を経てフランスに入り、1763年11月18日、首都パリに到着します。

あらゆるものが洗練された街で

現代のわたしたちにとっても、華やかでおしゃれなイメージのあるパリ。モーツァルト一家が訪れた当時においても、言うまでもなく文化・芸術の一大中心地として知られていました。

洗練された文化や思想が次々に生み出されるこの街で、ナンネルとヴォルフガングがその身に受けた刺激はどれほどのものだったでしょうか。12歳と7歳の姉弟は、外国語を学び、オペラやバレエ音楽などのまったく新しい音楽に出会いました。絵画や彫刻などの美術作品、建築などを鑑賞し、そのもとになっている歴史や神話について学びました。

また、パリは当時からファッションの分野でヨーロッパをリードしていました。衣服、織物や宝石、髪型などに関する子どもたちの洗練された趣味も、このパリ滞在において身についたのではないかと思われます。ヴォルフガングが生涯にわたって高級な衣服を好んだことは、ファンの間では有名かもしれませんね。彼は実際に、女性の友人に宛てて次のように打ち明けています。

ぼくはなんでも上質で、本物で、美しいものに目がないのです

(立石光子訳)

陰の立役者? グリム男爵とデピネー夫人

パリでの滞在を語るにおいて欠かせないのが、フリードリヒ・メルヒオール・フォン・グリム男爵(1723-1807)の存在です。彼はドイツ生まれの文芸評論家で、文学や舞台・音楽などの話題を扱う雑誌『文芸通信』を主宰・発行し、ドイツやロシアの宮廷に送っていました。百科全書派の啓蒙思想家たちとも親交が深かった人です。

このグリム男爵と愛人のデピネー夫人が、パリを訪れたモーツァルト一家の強力な後ろ盾となりました。『文芸通信』にてナンネルとヴォルフガングを「奇跡」と呼んで紹介。パリの地で演奏会を2度開催できたのも、グリム男爵の尽力のおかげでした。また男爵は、一家を貴族や文化人などに片っ端から引き合わせ、礼儀作法や宣伝方法についてもアドバイスしました。さらには、ヴェルサイユ宮殿での国王ルイ15世への拝謁まで取り計らってくれたのです。

画家カルモンテルによる上の肖像画は、グリム男爵の注文によって描かれたものです。レオポルトは、この絵の銅版画による写しを名刺や宣伝用写真として長年利用しました。

上は、1775年頃に描かれた母マリーア・アンナの肖像画ですが、このとき彼女が着ているドレスはデピネー夫人から贈られたものではないかという説もあります。

ヴォルフガング、初めての楽譜出版

このパリ滞在で特筆すべきは、ヴォルフガングの作品が初めて出版されたことでしょう。1764年には、《クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ》(K.6、7)が「作品1」として出版されました。初めて出版譜の形で世に出た彼の作品は、いったいどんな曲なのでしょうか? 下に、小倉貴久子氏と若松夏美氏による演奏動画を載せてみました。ぜひ聴いてみてください。

♪W.A.モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのための2曲のソナタ K.6(Pf.小倉貴久子 Vn.若松夏美)PTNA『ピアノ曲事典』より

この「作品1」はフランス王女のマダム・ヴィクトワール・ド・フランスに献呈されました。そこに添えられたフランス語の献辞は、グリム男爵が執筆したものだと考えられています。同じ年、同種の作品であるK.8とK.9が「作品2」として出版され、こちらはテッセ伯爵夫人に献呈されています。現代では、これら「作品1」「作品2」を合わせて《パリ・ソナタ》と呼んでいます。

ここでご紹介したいのが、ドイツ人作曲家のヨハン・ショーベルト(17??-1767)です。

当時のパリでは、室内楽曲やクラヴィーア曲の分野でドイツ人作曲家が活躍しており、その印刷譜もたいへん人気でした。ショーベルトはそんな人気作曲家のひとりです。

ヴォルフガングは彼の作品から強いインスピレーションを受けたようで、《パリ・ソナタ》にもその影響が感じられます。レオポルトはショーベルトが気に入らなかったようですが……そんなショーベルトの作品も、ぜひ聴いてみてください。

♪ ヨハン・ショーベルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 作品1-2(Pf.小倉貴久子)PTNA『ピアノ曲事典』より

華やかに輝く特別なお酒、シャンパーニュ

さて、ここでワインのご紹介。今回はいわずとしれた美味しい泡ワイン、シャンパーニュを取りあげます。シャンパーニュとは、フランス北部、シャンパーニュ地方でつくられるスパークリングワインです。

真珠のように美しい泡。その秘密は?

この冷えたシャンパーニュのはじける泡は、わがフランスの輝く象徴だ
De ce vin frais l’écume pétillante – De nos François est l’image brillante

(『社交界の人 Le Mondain』)

上に引用したのは、18世紀フランスを代表する思想家であり文学者のヴォルテール(1694-1778)が、1736年頃に書いたとされる韻文詩の一節です。ヴォルテールは、グリム男爵の愛人のルイーズ夫人や、ルイ15世の愛人のポンパドール夫人とも交流があった人です。

ヴォルテールによる表現のとおり、シャンパーニュというお酒には他のワインにはない「輝き」があるような気がします。その美しさを表すためのすてきな表現も存在しており、グラスに注いだ時に底からつながって上ってくる泡を「ペルル(真珠)」、ワインの表面にできる丸い輪の泡を「コリエ(ネックレス)」と呼びます。

では、この美しい泡は、どうやってつくられるのでしょうか。製法を見てみましょう。

  1. 収穫 Vendange
    必ず手摘みによる収穫でなければいけません。
  2. 圧搾 Pressurage
    ぶどうが傷まないうちに果汁を絞ります。2回の圧搾で、4000kgのぶどうから2550Lの果汁を得ます。
  3. 一次発酵 Première Fermentation
    まずは通常のスティルワイン(泡のないワイン)をつくります。
  4. 調合 Assemblage
    一次発酵でつくられたワインをブレンドします。シャンパーニュ地方は冷涼で、毎年安定して良いぶどうを収穫するのが難しい土地です。したがって、今年つくったワインだけでなく、違う年につくられたワインもブレンドし、味わいを整えます。
    ちなみに、この工程を初めておこなったのは修道士のドン・ペリニヨンだと言われています。日本でも有名なシャンパーニュの名前になっていますね。
  5. 瓶詰め Tirage
    瓶に詰めて、瓶内でのさらなる発酵を促すために酵母と糖を加えます。
  6. 瓶内二次発酵 Deuxième Fermentation en Bouteille
    瓶内でアルコール発酵がおこなわれます。発酵に伴って生まれる炭酸ガスの逃げ場がないため、これがワインの中に「泡」となって残ります。
  7. 澱とともに熟成 Maturation sur lie
    澱、すなわち役目を終えた酵母が自己消化を起こし、ワインの中にアミノ酸が溶け込みます。ヴィンテージ表記のないシャンパーニュの場合、この状態で15カ月以上熟成させます。ヴィンテージ表記のあるものは3年以上熟成させなければいけません。
  8. 動瓶 Remuage
    澱を取り出すために、瓶口のほうに集めます。そのために5〜6週間にわたって毎日1/8ずつ瓶を回しながら、徐々に倒立状態にしていきます。
  9. 澱抜き Dégorgement
    マイナス 20 ℃ の塩化カルシウム水溶液に瓶口をつけて、澱を凍らせます。この状態で栓を外すと、勢いよく澱が飛び出します。
  10. 甘味調整 Dosage
    シャンパーニュの原酒に糖分を加えた「門出のリキュール」で最終的な甘味調整をおこないます。この工程によって甘口・辛口などの差が生まれます。
  11. 打栓・ラベル貼り Bouchage・Étiquetage
    コルクを打って針金で固定し、ラベルを貼って出荷します。

「特別なお酒」としての歴史

シャンパーニュという名称は1600年頃から使われていましたが、この頃はまだスパークリングワインではありませんでした。現在のような発泡性ワインとしてのシャンパーニュが確立されるのは、17世紀末頃です。

この発泡性が爆発的な人気を呼び、18世紀にはフランス・イギリス・ロシアなど各国の宮廷を席巻しました。先ほどご紹介したヴォルテールの詩からも、当時のフランスにおけるシャンパーニュの特別な地位が見て取れます。もちろん、ルイ15世やポンパドール夫人もシャンパーニュに魅了されていましたので、モーツァルト一家が参加したヴェルサイユ宮殿での宴席にもシャンパーニュが用意されていたのではないでしょうか。

シャンパーニュは、洗礼式など、何かを始める際にも飲まれました。また、進水式で船体を清めるのにも使われていました。製法が確立した当初から、特別なお酒だったのですね。モーツァルト一家はパリを出たあとロンドンに向かいますが、このとき乗った船も、もしかするとシャンパーニュで清められていたかもしれません。

Stradivarius Brut(生産者:Charles de Cazanove)

今回ご紹介する1本は、シャルル・ド・カザノーヴによる「ストラディヴァリウス」という名前のシャンパーニュです。ストラディヴァリウスといえば、そう、あの伝説のヴァイオリンですね。エチケットにも五線譜が描かれており、クラシック愛好家としては見逃せないシャンパーニュです。

少し濃いゴールドの中を、きめ細かい泡がきらきらと立ちのぼります。それとともに香ってくるフルーツの自然な甘味と、ナッツやブリオッシュ、ビスケットのような香ばしさ。ひとくち含んでクリーミーな口当たりを感じたら、やわらかな果実味と酸、ミネラルやスパイスのハーモニーが聴こえてきます。中盤からはしっかりしたコクと苦味が顔を出し、すべての要素が互いを引き立てながら余韻に向けて長く伸びていきます――

まるですばらしい交響曲を聴いているような、力強く深みのあるシャンパーニュ。ぜひ、味わってみてくださいね。

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3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽とそれが生まれた社会との関係に興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。