光と影が交錯するロマンティック・バレエとドガが描いた踊り子たち

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマは19世紀フランスのバレエです。

華やかなバレエの世界はいつの時代も女の子の憧れなのではないでしょうか。19世紀のフランスで発展したバレエは、その後の進化に影響を与えたと考えられます。ショパンやリストのロマンチックな音楽が人気を博すと同時に、バレエ音楽も物語を描き始めたのです。

今回はバレエの名作『ジゼル』によって進化したバレエ音楽、そこで踊っていた踊り子たちを描いた画家ドガの絵画に着目します。バレエの芸術性が高まる中で、ダンサー、彼女たちを取り巻く環境はどのように変化していったのでしょうか。

画家エドガー・ドガが描く踊り子

画家エドガー・ドガはパリの裕福な家庭に生まれ育った筋金入りのパリっ子で、都会に生きる人々を描き続けました。一般的には印象派に分類されますが、ドガは典型的な印象派の画家とは一線を画していたと言われています。入念なデッサンから生まれる彼の絵は、高度な線描を得意とした画家ドミニク・アングルの系譜を引くものでした。

30代に入ったころパリ・オペラ座管弦楽団の演奏者と仲良くなったドガは、オペラ座に出入りしはじめます。当初背景の一部であったバレエ・ダンサーは、彼の関心の中心へと移っていったのです。

ドガ『オペラ座のオーケストラ』(出典:オルセー美術館

ドガのデッサンへのこだわりは相当なものでした。アトリエを作る際には「対象を下からも上からもデッサンすることに慣れるよう、階段席を設置する」「見かけにとらわれすぎないよう、鏡に映った対象のみを描かせるようにすること」といったメモを残しています。

徹底して写実的に描くことが彼の制作の基礎でした。オペラ座のバレエ・ダンサーであっても、彼女たちを大げさに美しく描いたりすることはなく、踊りに伴う体の動き、そして踊り子の疲れた様子などの日常をリアルに描きました。

ドガ『舞台上でのバレエの稽古』(出典:オルセー美術館

華やかに見えるダンサーの舞台裏も描きこんだことは、ドガの絵画の特徴の一つです。例えばこちらの『エトワール』という絵をご覧下さい。

ドガ『エトワール』(出典:オルセー美術館

バレエ団のエトワール(花形のスター・ダンサー)が華麗な技を披露しています。実は背景にはスーツを着た男性が立っており、彼は踊り子たちのパトロンとされています。

こういった光景は劇場でよく見られたものでした。というのも、19世紀のオペラ座では踊り子とパトロンの関係が問題となっていたのです。ドガはそういった内情を隠すことなく生々しく描き込んだのです。そんな鋭いドガの観察眼について、フランスを代表する詩人ステファヌ・マラルメはこのように述べます。

デッサンの名手でもある彼(ドガ)は、繊細なラインと甘美でグロテスクな運動、つまり、驚くほど新しい美しさをもったラインや運動を追求した。

              マラルメ『Œuvres completes, tome Ⅱ』より抜粋

マラルメの言うドガが示した「新しい美しさ」、それはただ美しいものだけを描くのではなく、グロテスクさや醜さまでも含んだ美しさを指したのでは、と私は考えています。この点は、また後ほど詳しく触れます。

美しく儚げなロマンティック・バレエ

さて、当時ダンサーたちが取り組んでいたのは、ロマンティック・バレエといわれるジャンルです。バレエを少しでも知っている人ならおなじみの『ラ・シルフィード』『コッペリア』『ジゼル』などが代表的な作品です。これらの作品によって踊りの技術はもちろんのこと、バレエ音楽もぐっと芸術性が高まりました。

それまでダンサーの後ろで流れるためだけに作られていた踊りの音楽は、19世紀フランスで大きく変化します。オペラのように一貫した物語を持つ新たな形が誕生し、いわばセリフのない演劇のようなバレエ(ロマンティック・バレエ)が誕生したのです。つま先立ちをする技やトゥ・シューズが本格的に登場したのもこの頃で、現在のクラシック・バレエの基礎となりました。

リトグラフ(出典:wikipedia

ロマンティック・バレエに共通するのは、物語の舞台は異国、そして妖精や精霊が多く登場するということです。妖精を踊るダンサーたちはひざ下より長めのチュチュを履き、白もしくはピンクやブルーなどの淡い色の衣装で、幻想的なキャラクターを演じます。少女の純粋さ・儚さが際立つようなデザインです。

悲恋と夢幻の物語『ジゼル』

ロマンティック・バレエの傑作である『ジゼル』に注目してみましょう。

病弱な村娘ジゼルと身分を偽ってジゼルと交際する王子の恋物語です。第一幕では二人の幸せな日々、そして嘘がばれ更に王子に婚約者までいたことが明らかになる場面が描かれます。悲しみのあまり半狂乱に陥り命を落としたジゼル。

第二幕では、死んだジゼルはウィリ(夜にのみ姿を現す、結婚前に死去してしまった娘の精霊。森を通った男たちを息果てるまで踊らせる)に変身しています。ウィリ達はジゼルの墓前で悲しむ王子を、死の踊りに巻きこみます。まだ王子を愛するジゼルはウィリの女王に助けを乞いますが、ウィリ達は執拗に王子を踊らせ苦しめます。そうするうちに夜が明け、ジゼルは王子に永遠の別れを告げ、王子はなんとか一命をとりとめるという結末です。

音楽を担当したのはフランスの作曲家アドルフ・アダン。『ジゼル』以外ではクリスマス・キャロル『O Holy Night』の作曲で知られています。ロマン主義の流行によりバレエは起承転結のある演劇に近いスタイルに変わっていきました。そこでアダンはオペラに似た作曲法を思いつきます。「ライトモチーフ(示導動機)」風の作曲テクニックを用いたのです。

ドイツ・オペラの巨匠ワーグナーが好んだことで有名なライトモチーフは、物語の中で特定の人物や状況に繰り返し使われるメロディ・主題を指します。たとえば、Aが愛を歌うときには「Aの愛のテーマ」として、いつも同じモチーフが繰り返し使われるということです。アダンはこれに似た手法を『ジゼル』に用いています。

例をあげると、第一幕の始めにジゼルと王子が無邪気にダンスする場面のメロディは、王子の嘘を知りジゼルが半狂乱で踊るシーンで再び流れます。王子との幸せな日々を思い返しているのです。下の動画はイギリス、ロイヤル・バレエ団による『ジゼル』の半狂乱になるシーンです。

セリフが無いバレエであっても、音楽が「今どのような状況か」を暗示しています。次もロイヤル・バレエ団による第二幕、ジゼルがウィリになったあとのワンシーンです。

また、第二幕の冒頭では12回鐘の音が鳴ります。それは夜12時になったことを表します。さらにエンディングの音がかなり長く引き伸ばされることもオペラと共通しており、これらの工夫は『ジゼル』をよりドラマチックに演出しました。アダンは、バレエ音楽を、単なる伴奏から「ロマン主義的な芸術」へとレベルアップさせたのです。そしてその功績は、その後のバレエ作品に大きく影響していくこととなります。

演劇的な音楽と幻想的なダンスで発展したロマンティック・バレエですが、19世紀後半には少しずつ衰退していきます。そこには劇場のダンサーたちを取り巻く環境の変化がありました。踊り子を描き続けたドガは、その輝かしさの裏にある「影」にいち早く気付いたのです。

華やかさの裏側、ドガの写実が写したものとは

最初のロマンティック・バレエが人気を集めた頃から、パリ・オペラ座は民営企業に代わりました。収益を上げるため、オペラ座の観客に年間定期券なるものを販売し、購入者には特典として所属ダンサーの練習やリハーサルを見学できる権利を与えたのです。

裕福な男性たちはこの特典により劇場に出入りし、踊り子のパトロンになろうと少女たちの品定めを始めました。若いダンサーは、男性から性的な視線で見られることが増え、彼女達もお金持ちのパトロンを得ようと躍起にアピールするようになりました。本来ロマンティック・バレエが持っていた理想は少しずつぼやけていきます。

女性ダンサーならば、絶対にとびぬけて美しくなければならない。‐略‐それは、精神にも心にも語らず、目にしか訴えかけないのである。             

                          『La Charte de 1830』より引用

 『ジゼル』の原案者テオフィル・ゴーチエはこのように述べ、極端なまでの「身体的な美」にこだわりました。バレエ音楽も進化し、新たな踊りの技術も生まれていたロマンティック・バレエ。しかし皮肉にも、劇場はパトロンと若い少女の取引が横行する淫らな場所へと変わりつつありました。新興のブルジョワジーが現れたことも理由のひとつだったのでしょう。19世紀の終わりにはバレエはすっかり下火になってしまいました。

ドガは踊り子を真正面から描きませんでした。踊り子たちは、練習風景やボックス席からなどパトロンからしか見えない角度で描かれています。踊り子たちも常に可愛く微笑んでいるわけではありません(醜いこともしばしば)。

生涯独身だったドガは女嫌いだったともいわれています。冷ややかな観察眼で、華やかな舞台の裏にある生々しさを絵にしていたのです。制作後期になるとドガが描く少女たちの顔はどんどんぼやけていき、バレエの動きだけが際立ちます。ロマンティック・バレエが勢いを失っていくと同時に、彼の関心も運動そのものへと移ったのです。

ドガ『青い踊り子』(出典:wikipedia

「ドガは芸術としてのバレエが描けなかった。そこに描くべき芸術などなかったからだ」。こう指摘する声もあります。鋭すぎるドガの眼には、華やかさよりもその舞台裏が鮮烈に写ったのかもしれません。

美しさと影の両方をたたえた絵の中の踊り子たち。そのミステリアスな魅力はいまだ人々は魅了してやみません。

光と影のロマンティック・バレエの世界、いかがでしたでしょうか。今回はバレエ音楽にも触れましたが、定番のバレエ作品もいつもの違う目線で見てみるとまた新たな発見があると思います。いろいろな楽しみ方をしてみてください。

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角田 知香
ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。