モーツァルト一家に忍び寄る死の恐怖&レオポルトを魅了したブルゴーニュワイン

W.A.モーツァルトが演奏旅行で訪れた土地を巡り、そこで造られる美味しいワインをご紹介する「モーツァルトとワイン旅行」。前回まで、モーツァルト一家の「西方大旅行」を取りあげてきましたが、3年半にわたるこの旅も今回でついにラストです。

前回ロンドンでレオポルトが病気に倒れるもなんとか快復、無事にイギリスを出発した一家は現在のオランダに向かうのですが、そこでもまた苦難が……? 家族4人、無事にザルツブルクまでたどり着けるでしょうか。

ネーデルラントでの苦難

ヴォルフガングと姉のナンネル、父レオポルト、母マリーア・アンナの一家4人は、ロンドンを出て再び海峡を渡り、行きに馬車を預けたフランスの港町カレーまで戻ってきました。ここから、招待を受けていたデン・ハーグに向かう計画です。

ナンネルもヴォルフガングも……家族が次々と病気に

しかし、目的地にたどり着くまでにトラブルが起きます。まだフランスを出ないうちに、まずヴォルフガングが、続いてレオポルトが病気になってしまったのです。それぞれ2週間ほどかけて元気を取り戻しましたが、旅程が大きく狂うことになりました。

その後一家は、フランドル地方やブラバント地方で「教会という教会を走りまわり」、すぐれたオルガンと絵画の傑作を見ました。レオポルトは特に、アントウェルペンの聖母大聖堂にあるルーベンスの《キリスト降架》に感激したようです。

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ルーベンス《キリスト降架》中央パネル部分。全体は三連祭壇画であり、このパネルの左右にもそれぞれパネルがある。(出典:Wikimedia Commons, Photo by Alves Gaspar

こうしてようやくデン・ハーグにたどり着いた一家。招待したオランニエ公ヴィレム5世のもとで演奏会を開くのですが、そこにナンネルはいません。今度は彼女も病に倒れてしまったのです。はじめは軽いカタルかと思われましたが、容態は悪化。医師も諦めるほどの状態になり、死の淵をさまよいます。彼女自身も自分の死期が近いと感じ、ミサや聖体拝領、当時は臨終の際に授けるものとされていた「塗油の秘跡」まで受けました。

もうだめかと思ったときに別の医師に診てもらう機会を得たことをきっかけに、ナンネルはなんとかベッドを出てひとりで歩けるようになりました。めでたしめでたし……といきたいところですが、今度はヴォルフガングが姉と同じような症状に襲われます。彼も一時は重体となり、1週間もほとんど眠ったままの状態となりました。そのあと、昼夜「喋りまくり」の時期を経て、元気を取り戻していきます。

デン・ハーグで姉弟がかかった病気は、チフスだったと考えられています。この期間に書かれたレオポルトの手紙からは、苦しみと諦め、焦燥感が入り混じったような感情を読みとることができ、ナンネルとレオポルトの命が本当に危うかったことが窺えます。姉弟が元気になって、本当によかったですね。

奇跡の快復を経て書かれた作品たち

重い病から快復して、ヴォルフガングはまた作品を書きました。その一つが《ガリマティアス・ムジクム》(K32)です。

この曲は、誰でも知っている短い曲をいくつもつないで作られた、いわゆる「メドレー」のようなもの。オランニエ公ヴィレム5世の即位を記念する祝祭のために書かれました。さまざまな雰囲気の音楽が詰め込まれ、聴き手を飽きさせない工夫が凝らされており、ヴィレム5世にはきっと大いに喜ばれたことでしょう。クライマックスには、レオポルトによると当時のネーデルラントで「くまなくだれもが歌ったり、吹いたり、口笛を吹いたり」していた曲が配置されているので、ぜひ聴いてみてください。

ちなみに《ガリマティアス・ムジクム》にはレオポルトの筆跡もかなり認められるので、親子の共作と呼ぶほうが適切ではないかとも言われています。パトロンに喜ばれる、いわゆる「通俗的な」作品を一緒に書きながら、父は息子に多彩な音楽の様式を学ばせたかったのかもしれません。

このほかに、デン・ハーグでヴォルフガングは交響曲を2つと、クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタを6つ作っています。

フランスとスイスを抜け、ザルツブルクに帰着

デン・ハーグを出たあと、一家はユトレヒトとアントウェルペンを経て再びフランスに入ります。パリに2カ月滞在したあと、ブルゴーニュ地方のディジョンに2週間、リヨンに4週間滞在しました。パリでは、以前お世話になったグリムと再開。このときグリムは、ナンネルとヴォルフガングの音楽的な成長を称えると同時に、ヴォルフガングの体格があまり大きくなっていないことから彼の健康を案じてもいます。

その後一家はフランスからスイスに入り、ジュネーヴに3週間、ローザンヌに5日間、ベルンに8日間滞在しました。ジュネーヴでは、貴族vs.市民の内紛があったものの、名所観光を楽しむことができたようです。そしてミュンヒェンを通り、故郷のザルツブルクに帰ってきました。

この旅の最後に取りあげるのは、パリで書いた《キリエ ヘ長調》(K33)です。これもまた親子の共作と呼べそうな作品ではあるものの、それでもやはり、ヴォルフガングの成長をひしひしと感じられる美しい楽曲ではないでしょうか?

帰郷後のモーツァルト一家

最後に、モーツァルト一家がザルツブルクに帰り着いたときのようすを簡単にご紹介しておきましょう。神父ベーダ・ヒューブナー師の日誌には、次のような書き出しから始まる、一家の帰着当日をつづる長い記録が残されています。

今日、当地の副楽長である世界的に著名なレオポルト・モーツァルト氏が、夫人および10歳の少年と13歳の少女の2人の子どもを伴って、帰ってきて、町中を安心させ、よろこばせたことも書きとめておくのを避けるわけにはいかない。

神父ベーダ・ヒューブナー師の日誌、1766年11月29日(海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅰ』より)

この記録には、姉弟のようすや、旅行中に一家が得た引出物をじかに見た驚きなどが記されています。今回の西方大旅行の経費は、レオポルトの副楽長としての年俸のなんと40倍以上にものぼりましたが、その代わり一家は、計算しがたいほどの価値を持つ宝石や装身具、そして何物にも代えがたい経験の数々をたずさえて帰りました。

このあとヴォルフガングは、各地で得た音楽の資料を使って勉強に励みますが、そうしてザルツブルクにいたのはわずか10カ月に満たない期間。一家はまたヴィーンへと旅立ちます。その話は、また次回のお楽しみです。

レオポルトも大絶賛! やっぱり美味しいブルゴーニュワイン

「このワインをザルツブルクに持って帰れたらなあ」

そこまでワインに詳しくないけれど、「ブルゴーニュワインは美味しい」ということはなんとなく知っている――こういう方は、きっと少なくないでしょう。フランス・ブルゴーニュは、紛れもなく世界を代表するワインの銘醸地です。古くから愛されてきたブルゴーニュワインは「ワインの王様」とも呼ばれ、今も多くのワイン・ファンたちを魅了し続けています。

実はレオポルトも、ブルゴーニュワインに魅せられた愛好家のひとりでした。今回の旅で一家はディジョンとリヨンに滞在しましたが、ブルゴーニュの銘醸畑はまさにディジョンからリヨンにかけて広がっているのです。レオポルトは特にディジョンにて存分にワインを楽しんだようで、リヨンから故郷のハーゲナウアー氏に送った手紙の中で、次のようにブルゴーニュワインを称賛しています。少し長いですが、面白いので省略せずに引用します。

私は、あなたとご一家のご健勝を、一杯、――いや数杯のブルゴーニュ・ワインで乾杯するのを怠りませんでした。というのは、私がものすごい酒豪であることをご存知だからです。私たちがあびるほど飲まされたこのワインを、ザルツブルクに持っていって、親しいお友だちの酒蔵にしまっておくことができたらなあと、どんなにしょっちゅう私は望んだことでしょうか。良質のブルゴーニュ・ワインをそこから汲んでいる酒井戸をほんのちょっとでも見さえすれば、そのひとつを飲んでみようという気持になりますが、まったく安いもので、短い手紙一通の値段で、もうそこに出てくるのです! 私は240本分も瓶が入る樽をひとつ注文したいほどでした。

レオポルト・モーツァルトよりザルツブルクのローレンツ・ハーゲナウアーに宛てた手紙、リヨン、1766年8月16日(海老沢敏、高橋英郎編訳『モーツァルト書簡全集Ⅰ』より)

ブルゴーニュのワイン造りは、長いあいだ、修道院によっておこなわれてきました。しかし時代を経るにつれて修道院の力が失われ、フランス宮廷でブルゴーニュワインが流行したことも相まって、有力な貴族がぶどう畑を買い取り、所有するようになってゆきます。ちょうどモーツァルト一家がブルゴーニュを訪れた頃にその傾向が顕著で、今回の旅行のたった数年前に、コンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンによってロマネ・コンティの前身となる畑が取得されています。

現代ではブルゴーニュワインの価格が高騰しており、特に著名な造り手が銘醸畑のぶどうで造るワインは驚くほど高い値段で取り引きされています。レオポルトによると当時は現地で非常に安く美味しいワインが飲めたようで、羨ましい限りです。おそらく今も、かつてほど安くはないにせよ、ブルゴーニュの地に足を運べば、あまり有名ではないけれど美味しいワインがお得にたくさん楽しめるのかもしれません。コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ現地を訪れてみたいものですね。

Bourgogne Cuvée du Pinson(生産者:Domaine Ponsot)

ドメーヌ・ポンソは、ブルゴーニュの名門ドメーヌのひとつです。3代目当主のジャン・マリー・ポンソ氏が高品質なピノ・ノワールのクローンを選抜したことでも有名で、なんと、現在ブルゴーニュに植えてあるピノ・ノワールの8割がポンソのぶどうを起源にもっているとも言われています。

ブルゴーニュで不動の地位を築くポンソですが、常にチャレンジングなワイン造りをおこなう生産者としても有名です。毎年のワイン造りからあえて一貫性を排除し、畑ごとのテロワールやヴィンテージの特徴を表現するため、その都度ベストな醸造を追求しています。殺虫剤などの農薬を用いず、宇宙のリズムにも気を配りながら栽培・醸造をおこなっていますが、オーガニックともビオディナミとも名乗っていません。伝統を大切にしながらも、ルールに縛られすぎることなく、常に目の前のぶどうと真摯に向き合って美味しいワインを生み出し続けているのです。

今回取り上げるのは、そんなポンソによるブルゴーニュ・ルージュ。ピュアな果実味が中心の軽やかで元気な飲み口なのに、しっかりと凝縮感もあり、非常に満足感をもたらしてくれる不思議なワインです。ヴォルフガングの、まだ小さな子どもとしてのあどけなさと、今回の演奏旅行でたくさんの経験を積んだ音楽家としての面影が絡み合うかのよう。

そしてこのワインは、抜栓から1日、2日と経つにつれて、次第に香りと味わいがまとまってなめらかになってきます。彼が歩んでゆく将来や、これから生み出される作品が予見されるような、繊細かつ華やか、エレガントなワインになるのです。こういった変化が、モーツァルト一家の今回の旅を締めくくるにふさわしいと感じ、こちらのワインを選びました。

ちなみに今回ご紹介したワインは、村名や畑名ではなく広域のブルゴーニュということで価格は比較的お手頃ですが、生産本数は極めて少ないレアな銘柄です。もしどこかのお店で見つけたら、ぜひ味わってみてくださいね。

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瀬良 万葉
3歳よりピアノを、14歳よりオーボエを始める。京都大学法学部卒業、同大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。クラシック音楽に対する精神史的・社会学的なアプローチに興味があり、大学院では主にローベルト・シューマンの作品研究を通して19世紀ドイツにおける「教養」概念や宗教のあり方、ナショナル・アイデンティティなどについて考察した。現在はフリーライター兼オーボエ奏者として関西を拠点に活動中。