『死の島』から読み解く、ラフマニノフとベックリンが描いたメメント・モリ(死生観)

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマとなる音楽は、ラフマニノフ作曲の交響詩『死の島』です。この曲は、スイス人画家アルノルト・ベックリンが描いた同タイトルの絵画からインスピレーションを受けて書かれたものです。

2つの『死の島』

まず、それぞれの作品を見てみましょう。

アルノルト・ベックリン『死の島』

こちらが、ベックリンの描いた絵画『死の島』です。静かな海に浮かぶ小さな舟は、「死の島」と呼ばれる島に向かっています。その舟にはひとつの棺桶と、白いヴェールをすっぽりとかぶった人物、そして舟をこぐ者が描かれています。この何ともいえない不吉な絵は、なぜかドイツ国内で絶大な人気を博し、ベックリンは同じ絵画を5回も依頼され制作したほどでした。

「メメント・モリ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ニュアンスまで訳すことが非常に難しいのですが、「いつか自分の死が来ることを忘れるな」というような意味で、一種の死生観を表しています。このように死の存在を強く意識したり、それを芸術作品に展開したりすることは古代ローマからおこなわれていましたが、14世紀のペスト(黒死病)の流行によって多くの人に知られるところとなりました。いつ誰が急に病に侵されるか分からないからこそ覚悟しておかなければ、という教訓から絵画や音楽に浸透していったのでしょう。

ドイツでこの絵に出会ったラフマニノフもまた、この絵に惹かれた一人で、受け取った強烈なインパクトを音楽にしようと試みました。彼自身、世界の戦争に翻弄され身近に死がある人生でしたから、ことさら「死」のモチーフに魅了されたのかもしれません。

ラフマニノフ作曲 交響詩『死の島』

そしてこちらが、ラフマニノフ作曲の交響詩『死の島』です。

ラフマニノフはドイツを訪れた際ベックリンの『死の島』に出会い、1909年、交響詩という形で発表しました。絵画への印象をあるインタビューの中でこう語っています。

ドレスデンでこのベックリンの有名な絵を見たのは白黒のコピー版だった。その絵が持つ巨大な建築と神秘的なメッセージに私は圧倒され、この交響詩が生まれた。その後、私はベルリンでオリジナルのカラー版『死の島』を見たが、まったくこのカラー版には感動しなかった。もし最初にカラー版を見ていたら、交響詩『死の島』を作曲することはなかったかもしれない。白黒版が一番好きだ。              The Musical Observer (1927) より

この白黒版というのは複製版のことです。当時『死の島』があまりの人気で、家庭に飾りたいという注文が殺到したため、彫刻家マックス・クリンガーが銅板で複製バージョンを制作したのです。複製とはいえ、色以外の構成や細部までかなり緻密に再現されており高品質なものだと言えます。

出典:Wikipedia

さて、ラフマニノフの言う「カラー版と白黒版の違い」とは一体どういうことなのでしょうか? のちほど解き明かしていきましょう。

2人が見つめる「死と生」

ベックリンによる、亡き人を想い「夢を見るような風景画」

そもそもこの不思議な絵画はどういった作品なのでしょうか。スイス人でありながらドイツで主に活躍した画家ベックリンは、「世紀末美術」と呼ばれた19世紀末の頽廃的かつ神秘的な美術ムーブメントの中でも、かなり異彩を放っていました。

彼はギリシャ神話を題材にした絵画を多く描きましたが、人気の高いゼウス・アポロンなどのモチーフは選ばず、ニンフや海神トリトーンといったマイナーな神々を好み、そこに手つかずの自然の風景を組み合わせました。そしてもう一つ加えたのが「死」のエッセンスです。

次の絵を見てください。これは自らを描いた『ヴァイオリンを弾く死神のいる自画像』です。

絵筆とパレットを持つベックリンと、背後に写る骸骨はヴァイオリンを奏でています。この骸骨は死を知らせに来た死神なのか、画家と共存する「死」そのものなのか……あらゆる解釈がされています。この画家が執拗に「死」を描いた背景には、14人もいたベックリンの子どものうち8人が、チフスやコレラといった病によって病死したことが関連しているのかもしれません。

一方、今回のテーマである絵画『死の島』は、ある未亡人のために描かれた作品です。結婚してすぐに夫を亡くした未亡人は、ベックリンに「夢を見ることができるような風景画」を書いてほしいと依頼します。

ベックリンはイタリア・フィレンツェにあるイギリス人墓地の景色を選びました。その墓地は幼くして亡くなったベックリンの娘が埋葬された墓地だとされています。島の真ん中に茂る糸杉は、死を象徴するモチーフです(ゴッホの晩年の絵画には自らの死を意識してか、糸杉がたくさん描かれています)。そしてギリシャ神話では死者が冥界(あの世)に行くとき、「船漕ぎ人カローンとともに船に乗り、河を越えて冥界にたどりつく」と言われています。船に乗った棺桶が、「水」つまり海または川を渡って、死の島に向かうというイメージは、ここから着想を得ていると考えられます。(日本で言う「三途の川を渡ればあの世」という概念と同じです。)

仕上がりに大満足したと言われる未亡人は、この絵画を見てどのように亡き夫の「夢を見る」ことができたのでしょうか。未亡人のみが知ることなのかもしれません。

ラフマニノフが表現する、生の中の「死の予感」

交響詩『死の島』は20分かけてひとつの物語を紡ぎだしています。死者を乗せた小舟が波に揺られながら「死」に向かう序盤、痛いほど美しい「生」の中間部、しかし幸福は続かず「死」に飲み込まれていくエンディング。様式にとらわれない交響詩という自由な形式は、まさにこの物語にぴったり合っています。音楽全体は8分の5拍子という不安定な拍子でまとめられています。

出典:IMSLP

この下から上に向かうモチーフは、時に三拍目にテヌート、もしくは四拍目と、強拍を不規則に変えていきます。つかみどころのないこのモチーフは鳴りつづけ、まるで波の動きのようです。

もう一点、ラフマニノフはこの音楽に「死」のエッセンスを加えるために、あるメロディを用いりました。「怒りの日(Dies Irae)」というグレゴリオ聖歌のメロディです。すこし聞いてみてください。

ラテン語の歌詞は「人々が裁かれる日・世界が灰色になり・裁きの手が世界を打ち砕くだろう」といった内容。キリストによる最後の審判の場面が歌われています。ベルリオーズが『幻想交響曲』の中でこの「怒りの日」のメロディを効果的に使ったことから、「死」を連想させるメロディとして定着し、ラフマニノフが大変気に入り、自分の音楽にも多く用いました。この「怒りの日」の旋律は当時の人々なら、聴けばすぐに「あ、これは死を表すメロディだ」と気付いたと思われます。

交響詩『死の島』の中では、この「怒りの日」のメロディの断片があらゆるところに出てきます。それが聴き手に不吉さを予感させるのです。ラフマニノフはとても職人的に、小舟をあの世へと運ぶ波や、死の予感を音楽全体に散りばめています。聴き手をぐっとその世界に引きこんでしまうトリックなのかもしれません。

考察:交響詩『死の島』はカラー版からは生まれなかったか?

さて、先ほど話題にあげた件についてです。もしラフマニノフが最初にカラー版を見ていたら、交響詩『死の島』は生まれなかったのでしょうか。あらためて、カラー版と白黒版を並べてみましょう。

私個人的には、ラフマニノフの言うことにうなずけるな、と思っています。というのもカラー版では、全体は暗い色調でまとめられていますが、茶色の岩や緑の糸杉がどうにも、少しのんびりとした平和な印象を与えてしまうのです。一方白黒版では、波の静けさ、雲が空を不穏におおっていることなどを見ることができ、よりおどろおどろしい空気を感じます。白黒版が銅版画という版画の手法でできていることも関係しているでしょう。

絵画における「色」はその絵の印象を大きく左右します。色彩学では、白・黒・グレーなどは無彩色、赤・黄・青・緑などは有彩色と呼ばれます。ゲーテの『色彩論』では、無彩色についてこのように表現されています。「白…強いエネルギーの光、黒…不完全燃焼の色(燃え残った残骸、つまり炭が黒いことから)」つまり正反対のエネルギー同士であるのです。だからこそ「生と死」という両極端にあるものを表現できる色なのでしょう。ラフマニノフが最初見た白黒版に感じた神秘的なメッセージが、カラー版には感じられなかった、というのは色がもつイメージとつながっていると推測できます。

もうひとつ、興味深い例をご紹介します。このベックリンの『死の島』ですが、その神秘性からラフマニノフ以外にも多くの作曲家の創作意欲を刺激しました。その一人、ドイツの作曲家マックス・レーガーも管弦楽曲『ベックリンによる4つの音詩』を発表しています。ベックリンの4つの絵画にそれぞれ曲をつけたのです。

その第3曲目は『死の島』、ラフマニノフと同じように同名の絵画をイメージして作曲しています。序盤の重苦しい空気はラフマニノフ版と似通っているのですが、注目すべきはラストの違いです。ロマンチックな中間部から死に戻ってしまうラフマニノフ版とは対照的に、レーガー版では長調で、まるで幸せとともに天に召されるかのように終わるのです。レーガーがカラー版か白黒版どちらを指しているかは定かではありませんが、『死の島』以外のものはすべて油彩画であることから第3曲目もカラーの油彩をイメージしていると考えられます。白黒版のラフマニノフ、カラー版のレーガー。色の違いが作曲家に与える印象に作用した、と考えられる例ではないでしょうか。

どう受け取るかは、あなた次第

さて、今回はラフマニノフ交響詩『死の島』とベックリンの絵画についていろいろと考えをめぐらせてみました。絵画の世界観を音楽でここまで描き出した『死の島』は、交響詩または「音画」の系譜の中でも最高傑作といえるでしょう。なぜベックリンのこの陰鬱な絵画がラフマニノフ、そして人々の心をとらえたのか?

ある研究者は、絵画『死の島』は「何かを特定できるような要素や背景が見えない。そのあいまいさこそが、多くの人々を魅了したのだ」と述べています。つまり観る者は、想像の翼を広げてその絵画の中に描かれる物語、これから何が待っているのかを夢想せずにはいられないのです。その神秘的なパワーは、ロシアから亡命しアメリカで一生を終えたラフマニノフの、時に深い悲しみを感じさせる音楽と共鳴したのではないでしょうか。

ぜひ交響詩『死の島』のダークでロマンチックな世界観にひたってみてください。ベックリンの神秘が見え隠れすると思います。

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ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。