知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回取り上げるテーマは「アラベスク」です。アラベスクと聞いて、多くの方がぱっと浮かべるのはドビュッシーのピアノ曲でしょうか。
アラベスクという言葉はもともと「アラビア風の装飾、唐草模様」を指します。19世紀末ヨーロッパで大流行した「アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)」という芸術ムーブメントの中で、いたるところに登場した草木や花が連なった模様は、アラベスク模様と呼ばれるようになりました。ドビュッシーは美術マニアでしたから、音楽にも美術用語を取り入れたのかな、と予想するのは難しくありません。
ところが、実はアラベスクという言葉は、あらゆる思想家や芸術家によって何度も論じられ、単なる「飾り・模様・装飾」の意味を超えた、深い味わいのある言葉に変化していったのです。そこにはドビュッシーが好んで弾いていたというシューマン作曲の「アラベスク」との関連性も……。今回はアール・ヌーヴォーの麗しい美術と、シューマン・ドビュッシーがそれぞれの音楽にどんな “音の” アラベスクを散りばめたのか、考えていきたいと思います。
お洒落で洗練されたアール・ヌーヴォー
さて、前述の美術運動「アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)」はフランス語で「新しい芸術」を意味します。1896年に日本美術商ビングがパリに開店した装飾品のお店に『アール・ヌーヴォー』という店名をつけたことに由来しています。新しかったのは、その装飾性です。アール・ヌーヴォーは古代ローマやイスラム美術の起源とし、日本や中国の美術(ジャポニスム、シノワズリ)などの要素も融合した、当時それは斬新な芸術だったのです。
アール・ヌーヴォーにおけるアラベスク模様は、装飾が「曲線によって自由かつ奔放に動く」ところが大きな特徴といえます。絵画よりも家具や調度品、広告など生活に密着したものに用いられた、というのもユニークな点でしょう。アラベスク模様は、市民の身近な存在だったのです。
ここでは例として、草花、動物、人間の3種類のアラベスクをご紹介します。
草花
これは植物のツタや花を模した典型的なアラベスク模様です。ミュシャは雑誌の挿絵画家としてスタートし、優雅で女性を美しく見せる装飾を得意としたことから、フランスの大女優の舞台ポスターを描いたことで人気が爆発しました。チェコ出身ながら、アール・ヌーヴォーが大流行していたパリで活躍しました。
動物
この2つの器は、アール・ヌーヴォー、アール・デコともに活躍したナンシー派作家エミール・ガレの作品です。上の器にはバッタ、下の器には蜻蛉が描かれています。花や植物はもちろんのこと、自然の産物に惹かれていたガレは、蝶・トンボ・カマキリなどの虫から、海洋生物のクラゲやタツノオトシゴまで、あらゆるモチーフをガラス工芸の装飾にしました。その描写には日本古来の花鳥風月の影響も濃く見られ、実際にフランスに訪れた日本人留学生との交流もあったと言われています。
人間
オスカーワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵のために、イギリスの挿絵画家・小説家オーブリー・ビアズリーが描いた作品です。二人が着ているドレスの曲線、スカートに描かれた東洋的なクジャク、そして左の人物の髪の毛が下へと伸び花の飾りとなっているのが見えるでしょうか。人・ドレス・飾りが連なり、全体でひとつのイラストになっているのです。
ミュシャが手掛けた煙草メーカーの広告ポスター。女性の髪の毛が装飾として描かれています。
このように、デコレーションは草花だけでなく人物や動物などに応用されるようになっていきました。ご紹介した3種類の作品に共通するのは、「曲線的」「装飾的」であるということです。アール・ヌーヴォーにおけるアラベスク模様は、もはや単なる「何かの装飾」ではありません。画面の大部分を占める、「飾りを中心とする」芸術なのです。
二人の作曲家による『アラベスク』
連なり絡み合う、シューマンの『アラベスク』
シューマン作曲の『アラベスク』は、彼が29歳のときに誕生しました。ピアノ曲を多く作曲した時期で、1838年には『クライスレリアーナ』、1840年には『フモレスケ』という規模の大きな傑作を生みだしていますが、その間の年にあたる1839年に、まるで小休止かのように7分弱の小品『アラベスク』を作曲したのです。婚約者クララへの愛でしょうか、クララの調といわれるハ長調(クララClaraの頭文字であるⅭを主音とする、ハ長調=C dur)で全曲まとめられています。才能あるピアニストだったクララは、この曲を演奏会のアンコールピースとしてよく弾いていたとか。
シューマンはこの曲についてこう語っています。
「ウィーンのすべての女性に愛される曲でしょう。~中略~この茎と葉はとても儚くて繊細です」書簡より
この言葉から、シューマンが曲の中に “草花の” アラベスクのイメージも有していることが分かります。
なお、単なる装飾を意味していたはずの「アラベスク」という言葉が、文学や美学まで多義的に使われるようになったきっかけは、1799年に、ドイツロマン派の思想家フリードリヒ・シュレーゲルが、自著である『ルツィンデ』を「アラベスク的な文体だ」と表現したことにあります。シュレーゲルいわく、「抽象的、複雑にからみあう、無限、ファンタジー」が自分の小説におけるアラベスク文体であるというのです。
シューマンとシュレーゲル文学の関連は定かではないですが、文学から多くのインスピレーションを得ていたシューマンなら、新たなアラベスク像はよく分かっていたでしょう。実際、ピアノ曲『アラベスク』は装飾的な部分もありながら、「絡み合う」「連なる」という要素も持っています。楽譜を見てみましょう。
装飾音がついたメインのメロディ、そして3つの声部(赤・黄・青で色付けした三つ)が同時進行しています。唐草模様のように絶え間なく次の小節へ連なっていくのです。ハ長調のメロディのあとには、短調のしっとりとしたエピソード部分が挿入され、声部が4つに増えます。そしてラストはまったく新しいコーダで締めくくられます。クララのハ長調でありながらも、うっとりと夢見るようなコーダは、音楽が完結することなく鳴りつづけていくかのようです。
シューマンが描いたアラベスクは装飾のついたメロディだけでなく、いくつかの声が絶え間なく折り重なった多層的なものだったのではないでしょうか。織りなす層・装飾音と共に次へ次へと連なっていくメロディは、ゲーテの言う「(アラベスクにおける)無限の可能性」を感じさせます。
アール・ヌーヴォー的なドビュッシーの『アラベスク』
ドビュッシーもシューマンと同じ29歳のときに『2つのアラベスク』を作曲しています。シューマンのものとは一味違って、こちらではドビュッシーらしい美術的な『アラベスク』を聴くことができます。軽やかで愛らしく、かつ分かりやすい三部形式。今の人気とは裏腹に、ドビュッシーはこの頃「売れる」音楽を作ろうとしていたそうで、本人はあまりこの曲を気に入っていなかったとか……。
印象的なのはこの三連符です。全体にわたって三連符の連なりがメロディの役割を果たしています。『アラベスク第2番』も一貫して三連符が用いられています。つまりアラベスク模様が三連符によって表現されている、と考えられるのではないでしょうか。
もしも、三連符の装飾的な連なりそのものを、音楽全体のメインととらえるならば、飾りそのものがメロディになっているとも言えるでしょう。「何かを飾る」ものから「飾りが中心」となった、アール・ヌーヴォーにおけるアラベスク模様と共通しています。ドビュッシーは三連符を自在に多様に動かし、アラベスク模様を表現しました。
アラベスクの美
シューマンの『アラベスク』とドビュッシーの『アラベスク』の間には、約50年の隔たりがあります。その間にアラベスクという言葉は、時代とともに少しずつ意味を広げ変化していきます。単なる装飾から文学における「無限の連なり」の表現、そして平面的なアジア芸術のエッセンスを加えアール・ヌーヴォーへ。この言葉が常に最先端の洗練されたイメージをもっていたからこそ、二人の作曲家のインスピレーションになったのでしょう。
フランスの哲学者ウラディーミル・ジャンケレヴィチはこう書き記します。
「音楽は、二つの点を最短で結ぶことのできる直線よりも、曲線を好む。」 “Music and the Ineffable”
曲線が多用されたアラベスクは装飾の域を越えて、美術・音楽・文学に派生し広く愛されました。今日ご紹介した2曲のほかにも、ロジェ=デュカス、ゴドフスキ―などの作曲家もアラベスクを作曲していますし、画家クリムトの豪華絢爛な絵にもうずまきや格子柄のアラベスクが描かれています。
筆者自身、恥ずかしながら定番のドビュッシーの『アラベスク第1番』しか弾いたことがなかったのですが、今回を機に『アラベスク第2番』とシューマン『アラベスク』と譜読みをしてみて、新たな発見だらけでした。特にシューマンは聴くよりも弾くほうがずっと手ごわいですが、織りなす層とどこまでも続いていきそうな音楽がとても味わい深いです。アール・ヌーヴォーの美術作品は日本でも人気が高いので、日本国内でもミュシャの作品やガレのガラス工芸を所有している美術館は多いです。見た目にも耳にも愛らしく奥深いアラベスクの世界を、ぜひ堪能してみてください。
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