知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回は18世紀から20世紀フランスの芸術界に新風を吹きこんだ3人の芸術家を取り上げたいと思います。
はじまりは「雅宴画」という優美な絵を描いた画家ワトー、テーマは『みやびなる宴*』です。
さて、みやびな宴(うたげ)と聞いて、どんなパーティーが思い浮かぶでしょうか。旧体制下のフランス貴族たちは、舟を浮かべ、道化師の余興を楽しむというなんともセレブな宴を楽しんでいました。そういった場面を描いたのが画家ワトーです。
しかし彼の絵をじっくり見ていくと、華やかさと共にじんわりと浮かび上がる「影」が……。その絵画からインスパイアされて詩をつづったヴェルレーヌ、最後はその詩に音楽をつけた作曲家ドビュッシーへと繋がります。
絵からはじまった『みやびなる宴』は、詩・音楽と、どのように姿を変えていくのでしょうか。ひとつずつ見ていきましょう。
『みやびなる宴』を描く画家ワトー
画家ワトーが生きた時代、フランスはヨーロッパで最も力をもっていました。太陽王と呼ばれたルイ14世は、領土拡大と同時にヴェイルサイユ宮殿を建て、貴族階級は毎夜パーティーに明け暮れる生活を送っていました。
一般的に、ワトーは貴族が優美にたわむれる場面を描いた「ロココ絵画」と呼ばれるジャンルの創始者といわれています。「ロココ」というとフリルやレース、淡いピンクやブルーのドレス、恋の駆け引きといった甘いものが連想されるでしょうか。実際フラゴナールやブーシェなどはその類の画家でしたが、ワトーは中でも最も芸術性の高い画家でした。それゆえワトーの絵には、今回のテーマであるフランス語で「Fêtes galantes」、日本語で「雅宴画」という名称が与えられています。
どんなところがほかのロココ画家たちと違っていたのでしょうか。それはワトーがひっそりと描きこんだ「影」の部分でした。実際に絵を見てみましょう。
こちらは貴族の城で催される舞踏会の様子です。中央には、光沢のある裾の大きいドレスを着た女性とステップを踏む男性、右側にはダンスなど目もくれずロマンチックな会話をしている男女、その後ろには音楽隊も見えます。
一見すると浮世離れした貴族のダンスパーティーですが、目を凝らすと何人か「場に不相応な」人物が隠れています。たとえば右上のバルコニーから舞踏会を見ている人物、それはターバンを巻いた召使の黒人と言われています。また左側の群衆の奥には、白い服を着て丸い帽子をかぶった人物がまっすぐこちらを見ています。彼はイタリア喜劇によくでてくる「メズタン」と言われる人物で、報われない恋に悲しむキャラクターです。
華やかな舞台セッティングの中にひっそりと描かれた召使とメズタン。彼らは意図的にこの舞踏会に配置されています。目を凝らしてみると、ワトーの絵にはいつもミステリアスな人物が描かれているのです。
とりわけイタリア喜劇の登場人物はワトー絵画によく出てきます。彼らはおどけて場を盛り上げるだけの存在ではありません。何かを憂いたり暗示していることが多いのです。こちらの絵『ジル』も喜劇のピエロのことですが、道化をするどころか、うつろな表情は虚無や悲しみをたたえています。
実はワトーは画家としてあまり情報が残されていません。というのも上流階級の様子を描いていながら、自身は名誉やお金にまったく無頓着だったのです。パトロンや絵の師匠を通して貴族の生活を垣間見ては、アトリエでひとりその場面を描きました。彼には華やかさに隠れた暗い部分が見えていたのでしょうか。生涯独り身、定住を好まず、肺病により36歳の若さで世を去りました。フランス美術界は死後100年以上たってからワトーを偉大な画家として認めたといいます。
「音楽的」な詩人ヴェルレーヌ
ワトーの死から約150年後、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌはワトー絵画の世界をひとつの詩集にまとめました。『みやびなる宴』です。ヴェルレーヌは激しい私生活のほうが注目されてしまいがちですが、斬新な表現で新たな詩を確立した存在です。22の詩から成る『みやびなる宴』には、ワトー絵画に多く登場するイタリア喜劇の登場人物、そして様々な男女カップルが現れます。ヴェルレーヌは彼らからインスピレーションを得たのでしょう。初々しい恋から、別れの予感まで様々な恋の様子が描かれます。
ひとつ詩をご紹介しましょう。
ヴェルレーヌ 『みやびなる宴』より『ひそやかに』
高き枝々が作り出す
薄明の静寂
この深き沈黙の愛を満たす
交じり合う魂、心、
そして私たちの喜び
ヤシやイワナシの
憂愁のざわめきの中で~中略~
重々しく日は暮れる
黒きナラより
私達の絶望を
夜鳴きウグイスは歌うだろう(日本語訳:Ema)
幸福な恋人の間に、ぼんやりとした不安が影を落としています。筆者が思うこの詩の最も美しい点は、愛と絶望という対極なものがとてもさりげなく浮かび上がるところです。木々のざわめきと心の揺れが混ざりあい、最後には夜鳴きウグイスが「絶望」を歌います。樹木の香りや微かな風の音が聴こえてくるでしょうか。
『みやびなる宴』にまつわる考察を記した林達夫氏は、ヴェルレーヌを「音楽と結婚した」詩人と表現しています。彼の詩は音楽のように心地よいリズムをもち、多くの作曲家を魅了しました。そのひとりがドビュッシーです。
いにしえの『みやびなる宴』を愛したドビュッシー
10代のころにヴェルレーヌ作品に出会ったドビュッシーは、彼の創作美学と洗練された表現に魅せられ、生涯にわたりおよそ18もの詩に音楽をつけました。彼が音楽をつけた詩の数としては、ほかのどの詩人よりも多く、ヴェルレーヌの詩がいつもドビュッシーの創作を刺激していたことがよくわかります。
歌曲集『みやびなる宴』は特にお気に入りだったのでしょう。第1集は20歳ごろ、第2集は42歳で作曲されています。ヴェルレーヌの同名詩集から6つの詩が選ばれており、第1集の第1曲はさきほどご紹介した『ひそやかに』です。
ドビュッシー『みやびなる宴 第1集』より第1曲『ひそやかに』(~2:40まで)
詩の印象と比べていかがでしょうか。調性はあいまいに、ピアノは一般的な「伴奏」形とは一味違い、趣深い空間をつくっています。特に冒頭、ピアノが奏でるどこか東洋的なメロディは繰り返されます。そして最後の夜鳴きウグイスが歌詞にあらわれたあと、また静かに旋律が鳴り響きます。そのメロディは夜鳴きウグイスが歌う「絶望」でしょうか。ちなみにこのメロディは第2集第3曲目『わびしい会話』にも使われ、カップルのその後を暗示しているかのようです。
静かに心が揺れる詩の世界は、ドビュッシーの手にかかるとこれほど幻想的でアンニュイな音に変わるのです。実はドビュッシーの先輩作曲家フォーレも同じ詩に音楽をつけています。
フォーレ『ヴェネチアの5つのメロディ』より第2曲『ひそやかに』
フォーレ版は全体を通して決まった拍パターンで進んでいます。2曲を比較してみると、ドビュッシー特有の詩的な世界観がよくわかるのではないでしょうか。
3人が愛した「美」と「憂い」
詩と音楽に話が及びましたが、画家ワトーとドビュッシーには何か共鳴するものはあったのでしょうか。ドビュッシーは過去のフランス音楽について話すときに、ワトーを引き合いに出しています。
なぜ、私たちの偉大なラモーに対して、これほどまでに無関心なのだろう?ほとんど無名のデトゥーシュにしても。クープランの優しい憂愁は、ワトーの人物たちが悲しげに佇む場面の背景から来る見事なこだまのようだが、私たちのクラヴサン音楽作曲家中最大の詩人であるクープランに対しても。
フランソワ=ルシュール著『伝記クロード・ドビュッシー』よりp.349
この時評でドビュッシーは、18世紀フランスを彩った作曲家たちが20世紀において評価されていないことを嘆いています。ラモーやクープランは画家ワトーと同時代の作曲家で、彼らの音楽は宮廷で演奏されていました。その繊細な装飾で飾られた音楽にドビュッシーは”フランス”らしさを感じていたのです。その証に、『月の光』で有名な『ベルガマスク組曲』では古風な形式を取り入れ、またラモーへのオマージュを捧げたピアノ曲『ラモー讃』まで残しています。
彼が魅せられていたのは華やかさだけではありません。先ほどの引用文のとおり、宮廷で奏でられていたクープランに「優しい憂愁」を感じ、その美しさをワトーの絵に重ねているのです。詩人ヴェルレーヌもドビュッシーも、ワトーの雅宴画からメランコリックな美しさを感じとったのでしょう。喜びと憂愁、光と影のあいま……彼らは対極なものが共存する美しさを見出していたのかもしれません。
今回はいつもの絵画と音楽に、詩を加えてみました。実はドビュッシーとワトーの絵の組み合わせと言えば、ピアノ曲『喜びの島』も有名ですが、そちらについても興味深いエピソードがありますので、また別の機会にお伝えできればと思います。
フランス映画や文学に触れると、「ああ、人間はどうして一筋縄にいかないのだろう。でも美しいなぁ」と筆者はよく思います。エレガントだけど少し悲哀が見え隠れする……それがフランス文化の持つ味わいなのかもしれません。ぜひたっぷりと浸ってみてください。
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