メンタルトレーニングはどのように始まったの? その発展と現状

こんにちは。ドイツのハレ在住のピアニスト、ピアノ教育者の大木美穂です。連載「音楽家のためのメンタルトレーニング」も今回で第4回目を迎えます。

前々回は「演奏の場におけるあがり症」について、そして前回は理想的な状態「フロー」についてのお話をしました。

第4回目となる本記事では、あがり対策として、そしてフローを作りだすために有効であるメンタルトレーニングというものが一体どのように始まったのか、そしてスポーツ界でどのように発展してきたのかを、お話ししていきたいと思います。

メンタルトレーニングはどうやって始まったの?

元々は宇宙計画の一部だった

時を遡ること1950年の初め頃。

旧ソビエト連邦の宇宙計画の一部として、スポーツに対する心理学的な研究は始まりました。

日本のメンタルトレーニング第一人者である高妻教授(東海大学)によると、宇宙空間というストレスのかかる状況で心拍数、体温、筋肉の緊張、情緒などを意識的にコントロールする方法の習得プログラムが開発され始めたそうです。

社会主義国家では、政治的な役割のひとつとしてスポーツ科学プログラムが開発され、そのような流れの中で、1957年頃に旧ソ連でスポーツ心理学を応用したメンタルトレーニングが始まりました。

具体的には、約6カ月の基礎メンタルトレーニングを実施した後に、毎日の練習スケジュールの中にメンタルトレーニングを組み込んでいたようです。

やがてスポーツの世界へ

1972年のミュンヘンオリンピックで大活躍し数々のメダルを獲得した旧東ドイツは、選手たちに心理学的なトレーニングをしているという報告をしました。

当時のドイツ体操スポーツ連盟とその他のスポーツ関連団体などが成績水準を向上させる過程を支援していたそうです。

ただ、当時は政治的な背景もあり、詳しい情報は他国にはなかなか流れてこなかったようです。

オリンピックに向けて

同年1972年アメリカでは、リチャード・スイン博士によってリラクセーションとイメージトレーニングを組み合わせたプログラムが作られ、オリンピック選手を対象にプロジェクトがおこなわれるようになっていきます。

また1974年にティモシー・ガルウェイ氏が出版したベストセラー「インナーゲーム・オブ・テニス」という本をご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。ここでは、禅やヨガといった東洋思想からのアイデアが、テニスというスポーツに応用されています。

そしてアメリカのオリンピックチームには、1976年より心理的スキルトレーニング(メンタルトレーニング)が導入されるようになりました。1975年には日本スポーツ心理学界第一大会が開催され、この頃からメンタルトレーニングがスポーツ心理学の分野で話題となっていきます。

ただし、高妻教授によると、日本でメンタルトレーニングの研究や応用が本格的に始まったのが1985年頃からで、しかも日本では根性論が根強く、心理面のトレーニングに関してはほとんど注目されなかった時期が続きました。

その後、少しずつメンタルトレーニングを取り入れる競技は増えていったものの、日本のオリンピックに対する心理的サポートは、今だに他のスポーツ先進諸国より遅れているとのこと。

予算の問題もあるでしょうが、心理面の重要さが日本でもより認知され、スポーツ選手への心理的なサポートが充実していくことを祈るばかりです。

音楽の世界におけるメンタルトレーニング

それでは、音楽の世界における演奏家の心理的な研究やメンタルトレーニングの浸透状況はどうなのでしょうか。

こちらは残念ながら、スポーツよりもさらに遅れていると言わざるを得ません。

もしくは遅れているというよりも、まだスポーツと比べそれに関する研究が少ないのと、スポーツの世界ほど体系化されていない、といった方が正しいでしょう。

また、多くの音楽家は何かしら本番に向けた心理的な準備をしているとは思いますが、研究に基づくものや体系化されたプログラムによるものではなく、先生や音楽家個人の経験則によるものが主で、個々によってその内容もさまざまです。もう少し体系的に、本番前にどんな心理的なトレーニングをしたら良いのかが知りたい、と感じる音楽家も多いのではないでしょうか。

世界での動きはというと、先ほど述べたベストセラー「インナーゲーム・オブ・テニス」の音楽版「インナーゲーム・オブ・ミュージック」(ティモシー・ガルウェイ氏とベリー・グリーン氏による共著)が1986年にアメリカで出版されたほか、私が現在音楽家のためのメンタルトレーニングの体系化を図っているドイツでも、音楽家のためのメンタルトレーニングに関する文献や研究がいくつか存在しています。


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現在私は、音楽家による音楽家のためのメンタルトレーニングをより一層発展させるべく、メンタルトレーニングが発展してきたスポーツ心理学の助けを借りながら、2017年よりドイツのハレ大学博士課程にてこのテーマの研究をしています。

次回のテーマ

それでは、宇宙計画から始まり、スポーツ心理学で発展してきたメンタルトレーニングを、どう音楽に応用していくか。

次回からは音楽家に必要なメンタルスキルをご紹介していきます。

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栃木県出身。3歳からピアノを始める。2010年、横浜国立大学音楽教育課程在学中に日本政府より奨学金給付を受け、ドイツ、エアフルト大学に一年間留学。2013年よりドイツ、ハレ在住。2017年、マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク器楽教育ピアノ修士課程を最高得点で修了。2019年よりエアフルト大学にて音楽教育科にてピアノとアンサンブルの授業を受けもち、後進の指導をしている。現在、ザクセン・アンハルト州より研究奨学金を受け、ハレ大学博士課程にて、スポーツ心理学を応用した音楽家のためのメンタルトレーニングについて研究中。ピアノ演奏、研究、ピアノ指導のかたわら、ドイツ語翻訳及び通訳、メンタルトレーニングコンサルタントをおこなっている。