こんにちは、ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと、原田真帆です。東京藝大を卒業後に渡英して、ロンドン生活も早4年目を迎えました。江戸っ子は三代かけて作られると言いますが、真正ロンドナーも同じようなもの。たかだか数年住んだくらいでロンドナーを名乗るのは僭越(せんえつ)が過ぎますが、それでもわたしなりに街に慣れてきました。
クラシック音楽と聞いてもイギリスを想起する方はそう多くないかもしれません。しかしロンドンは古くから常に新しい文化を柔軟に取り入れて育てる土壌がありました。ドイツから英国に帰化したヘンデルに始まり、ハイドンやモーツァルト、メンデルスゾーンのロンドン訪問は音楽史の中でも有名な出来事です。ヨーロッパで演奏旅行を組む際、成功したいと考える音楽家が夢見る土地が、パリ、そしてロンドンでした。
この連載では、英国を愛し英国留学をするわたしの視点から、クラシック音楽にまつわる歴史やスポットを通して、ロンドンという都市の魅力を(もしかしてたまに別の都市も?!)ご紹介していきます。
フランツ・リスト最後のロンドン訪問
わたしが現在通うのは英国王立音楽院(Royal Academy of Music)という学校で、その創立は1822年、世界で2番目に古い音楽学校と言われています。19世紀初頭から存在する学校ということで、今となっては音楽史を学ぶ上で欠かせない偉大な作曲家たちも多く学校を訪れています。
その例のひとつに、たとえばフランツ・リストのロイヤルアカデミー訪問が挙げられます。1886年、リストは御年74歳で実に死の3か月前の出来事です。その様子は、ロイヤルアカデミーの博物館で資料を見ることができます。
アカデミーのHPによると、1886年4月6日、45年ぶりのロンドン訪問かつ75歳を迎えるお祝いも兼ねて、リストはロイヤルアカデミーで学生たちのオーケストラをバックに演奏したそうです。ただ実際のところこの年の7月31日、リストは75歳の誕生日を迎える3か月前に亡くなってしまします。
その日演奏されたプログラムは以下の通り。
- F.リスト:ゲーテ生誕100年祭の祝典行進曲
自作自演 - S.ベネット:奇想曲 ホ長調
学生による演奏 - A.マッケンジー:ヴァイオリン協奏曲
ソリストは学生 - F.リスト:3つの演奏会用練習曲
自作自演 - G.マクファーレン:オラトリオ『洗礼者ヨハネ』より序曲
指揮:W.シェイクスピア(声楽科教授)
生徒たちは彼の演奏をとても喜んだので、リストは当初演奏を予定していなかった自作の 『6つのポーランドの歌(リスト編曲/ショパン・6つのうちどれかは不明)と『愛の夢』を追加で演奏したとも書かれています。
リスト作品以外は全てこの頃のイギリスで活躍していた作曲家による楽曲です。マッケンジーは当時イギリスの音楽界の振興に寄与したスコットランド出身の音楽家で、記録によればリストがこのときロンドンを訪れたのは、マッケンジーの指揮でリストのオラトリオ『聖エリーザベトの伝説』が演奏されるのを聴くためだったそうです。実はリスト、マッケンジーが1886年に発表したオペラ『トルバドゥール』に触発されて曲を書こうと考えたこともあったらしく、ふたりの音楽を介した友情が見えてきます。
しかもリストはアカデミーに作曲家とピアノ学生のための奨学金を寄付するとして、このとき寄付金の一部を小切手で当時の校長に手渡したそうです。少し笑ってしまったのは、博物館に飾られた写真の説明にかっこ書きで「この校長はリストの音楽を認めていなかったと言われている」と記されていたこと。当時の人にしてみれば、リストがおこなった作曲の技法はかなり前衛的でしたから、そう感じる人がいるのも無理はないのかもしれません。
その頃ロンドンの街には…
この頃のロンドンの出来事といえば、地下鉄の開通が挙げられます。赤い円に青い横線を引いたロゴでおなじみの、ロンドンの地下鉄「 Undergroud(アンダーグラウンド)」。駅のトンネルを見れば確かに弧を描いていて、地下鉄が通称「 Tube(チューブ/管)」と呼ばれるのも納得です。そもそもロンドンは世界で初めて地下鉄を走らせた街で、驚くべきことに19世紀末に作られたトンネルや駅が、今なお現役で使われています!
英国王立音楽院の現在の最寄駅はベイカー・ストリート。名探偵シャーロック・ホームズはベイカー・ストリートの「221番地b」という物件に住んでいる設定で描かれています。ベイカー・ストリート駅に止まるのは、メトロポリタンアンドシティ・ライン、サークル・ラインやハマースミス・ライン、そしてベイカールー・ラインにジュビリー・ラインの5路線です。
中でもサークル・ライン/ハマースミス・ライン沿線の一部区間は、古い駅舎のデザインを保全していることで知られています。たとえばベイカー・ストリート駅のホームのベンチは、レンガの壁も相まって、すごく趣があります。
リストは地下鉄を見たのか
路線図だとえんじ色の、メトロポリタン・ラインは開通が最も古く1863年、次いで運行したのが黄色のサークル・ラインで、1884年のこと。つまり両路線が通るベイカーストリート駅は地下鉄の歴史の中でもかなり早い時期から稼働していたことがわかります。
リスト最後のロンドン訪問が1886年ですから、もしかして地下鉄に遭遇していたのでは!? と思い今回調べたのですが、ロイヤルアカデミーは当時ハノーファー・スクエアという場所に校舎をもち、地理的に言えば最寄駅は現在のベイカー・ストリートではなくオックスフォード・サーカス駅でした。この駅が設置されたのは1900年なので、残念ながらリストの訪問には間に合っていません…。ロイヤルアカデミーは1912年に現在の場所に引っ越したとのことです。
しかも当時地下鉄はまだ蒸気機関を使っていて「換気がよくない」と評判がえらく悪かったので、リストのようなスペシャルかつ高齢のゲストは、シャーロック・ホームズのお話に出てくるような馬車を利用したと考えるのが自然でしょう。でも、まだできたばかりの新しい地下鉄駅の看板は、目にしたかもしれませんね。
卑弥呼と歩くロンドン
こういった形で、この連載ではさまざまな音楽家の軌跡を追うことでロンドンの街を巡っていきます。歴史を紐解きながら、一緒にロンドンをお散歩している気分になっていただけると思います。また、もしロンドンを訪れる機会のある方がいらしたら、観光の参考になりますと嬉しいです! それではまた近いうちにお会いいたしましょう。
参考
英国王立音楽院ホームページ
▷英国王立音楽院ミュージアム
開館時間:平日11:30-17:30/土曜12:00-16:00
日曜祝日12月は休館
▷博物館収蔵品のページ
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