みなさまこんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。
先日無伴奏ソナタの2番を弾く本番がありました。よっぽどこの連載用に録画しておこうかと思いましたが、わたしはバッハにはライブ感やその日のフィーリングのようなものを反映させることも大切と考えています。ですので、この連載がその曲に到達したときにまた改めて弾くことで、今とは違う表現が出てくるだろうなと思い直し、録画はまた今度のお楽しみとしました。
今日ははじめてのフーガ。要素が多いので、前編と後編に分けることにしました。それでは前編、まいりましょう。
無伴奏ソナタ第1番 フーガ
この無伴奏作品において、ソナタの2曲目は必ずフーガであることは前回言及しました。フーガとは対位法という作曲技法を用いた楽曲のことで、複数の声部がそれぞれ旋律を持つ “ポリフォニー” の音楽です。テーマ(主題)が各声部に次々と現れるのが特徴で、ゆえに日本語では「遁走曲」と呼ばれます。
はじめに出てくる主題を主唱、続いて出てくるテーマは応唱と言い、応唱は属調で登場します。そして主題の性格がそのフーガの雰囲気を決めるわけです。そしてテーマを重ねていくセクションのことを提示部と言います。
この曲に特徴的なのは、最初に同じ音が同じ長さで4つ並んでいること。そしてこれが弾きにくいんですよね。同じ高さの音だけで音楽を前に進めていかなければなりませんが、それでいて譜面上は同じ長さなので均等に弾けるにする練習も必要です。まずは均一な弓のストロークを手に入れたら、表情をつけていくのが早いでしょうか。
ヴァイオリン学習者ならまず “ヴィヴァルディのイ短調の協奏曲” でこの同音連打の壁に出会うかもしれませんね。もっともわたしの場合は、ヴィヴァルディを弾いた当時はそんな難しいことを考えていませんでしたが。
そして主唱の5度下のキーで応唱を重ねます。テーマが出てきたら、そのパートがまるで「今ぼくがテーマだよ〜!」と言いながら一歩前に出るように、くっきり浮かび上がるように弾きます。ポイントとしてはまず頭の音をクリアに始めること、そして何度も出てくるこのテーマを弾くときには、同一のキャラクターを演じきることです。
たとえば主題を擬人化したとして、職業がお巡りさんだったとしたら、勤務中は職務をまっとうしなくてはいけませんよね? そして勤務する人が交代しても、果たすべき役割はぶれません。フーガの主題はそれに似ていて、もちろん出てくるたびに違う表現をしてよいのですが、登場のたびに主題たる振る舞いを見せてほしいのです。
主題から離れて “遊ぶ”
さて、5小節目までテーマを重ねたのち、一度主題から離れて自由に音楽を紡ぐ部分に差しかかります。これを「嬉遊部(きゆうぶ)」と言います。なんだか愉快な名前ですよね。高校時代に初めてこの名を聞いたとき、わたしは非常に気に入って、隣の席の子と「人生の嬉遊部」という合言葉を作り出したほどです。
こういう部分になると、「車のハンドルの遊び」で例える先生が非常に多いのですが(体感的データ)、子供は車の運転をしないので正直イメージしにくいです(苦笑)。わたしはほかに良い例えを探しています。まだ見つかっていません。
とはいえ今言えるのは、主題という “束縛” から離れて自由になれる部分だということ。自由の中にも対位法的表現やゼクエンツ(後述)などバッハが用意した音楽的な枠は失われていないのですが、縛りがある方が自由は見えやすいものです。柵の中の自由を楽しみましょう。
ゼクエンツとは
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのフーガの中でよく出会うのが、高音部でテーマを重ねていく手法。たとえばこのフーガだと、ちょうど次の動画の部分が一番高い音域での提示部と言えるでしょう。性格としてはほかのどの提示部よりもかわいらしさや繊細さが出てくると思います。そういった個性を表現するために、出だしよりもよりコンパクトな弓で理想の八分音符を奏でられるよう練習します。
そしてこの提示部ではテーマがいろいろな調で登場、これこそがさきほどさらっと流してしまったゼクセンツです。あるモチーフを違う音高で2回以上繰り返す技法のことで、英語だとシークエンス、日本語ですと反復進行と言います。
ここのゼクエンツの途中、下の声部の八分音符に、上の声部が付点四分音符を重ねるのが実にニクい。わたしは弓を操作することで上の音を残したまま下の声部の八分音符をセパレートしていますが、そもそもこれを両声部きれいに鳴らすのが難しいですね。きれいに聞こえるバランスを耳で探していきます。
新しい発見
前編はここまで、後編ではアルペジオや四和音、ストレッタといったトピックを見ていきます。
ところで、このコラムを書いていてわたし自身の新しい発見がありました。最初の提示部で何回テーマが出てくるのかな、と数えてみたら、わたしはずっとテーマをひとつ取りこぼしていたことに気づきました。
青い部分をわたしはテーマとしてカウントしていなかったのです。なんとお恥ずかしい。こちら、緑に部分でバッハ特有の「聴き手に想像させる対位法」が使われています。本来は「シ シ シ シ ラソラファソ」と鳴るべきところをわざと休符に置き換えたわけです。休符は休みであって休みでない、とはこういうことですね。
なお昔この曲に関する分析をおこなった本を読んでいたら、その本は「この曲は8声のフーガである」と言い切っていてぶったまげたものです。わたしは未だ声部を探しています。
それではまた近いうちにお会いいたしましょう!
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