忘れてはならない記憶と平和への思いを音楽に乗せて/福島弘和『ラッキードラゴン第五福竜丸の記憶』

こんにちは。コントラバス奏者、そして! 吹奏楽指導者の井口信之輔です。

このコラムは、僕の大好きな「吹奏楽」と高校時代に得意だった「世界史」を組み合わせて、おすすめの作品を紹介していく連載企画です。5回目となる今回は、1954年に起きた「第五福竜丸事件」(ビキニ環礁でおこなわれた水爆実験に日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が巻き込まれてしまった事件)を音楽で描いた作品を紹介します。

福島弘和/ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶

この曲の作曲者は日本の作曲家、編曲家でありオーボエ奏者でもある福島弘和氏(1971〜)。作曲家としては主に吹奏楽作品を手がけており、その作品は全日本吹奏楽コンクール課題曲としても採用されています。

福島弘和(プロフィール)

1971年7月30日生まれ、群馬県前橋市出身の作・編曲家/オーボエ奏者。トランペットを学んだ後、中学よりオーボエを習い始め、高校では吹奏楽の編曲を担当したのを機に作曲へも関心を持つ。東京音楽大学卒業および同大学研究科修了。オーボエを吉良憲裕、浜道晁に、作曲を有馬礼子、山本佳弘に師事。代表曲の「道祖神の詩」は朝日作曲賞を受賞し、2000年の全日本吹奏楽コンクールでは課題曲の一つにも選ばれる。2003年には「柳絮の舞(りゅうじょのまい)」でJBA下谷賞を受賞。そのほか、吹奏楽のレパートリーとして有名な曲を多数手掛けている。アンサンブル・ポアールとしても活動。

引用:福島弘和-TOWER RECORDS ONLINE

毎年、夏から秋にかけて開催される全日本吹奏楽コンクールをはじめ、全国各地の吹奏楽団の演奏会でも多くの作品が演奏され、吹奏楽をやっている人なら一度は名前を聞いたことがある作曲家です。

中でも、今回取り上げる『ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶』は、福島氏の代表作とも言える曲。聴き手を魅了する美しくも、嘆き悲しみに溢れたメロディーは何を訴えているのか? 1954年に起きた出来事を、音楽とともに紐解いていきましょう。

おはなし

この事件が起きたのは1954年3月1日。静岡県の焼津港から出港したマグロ漁船・第五福竜丸は、まだ夜開け前の星空の下、マーシャル諸島ビキニ環礁の東160キロの海上で操業中、不思議な光景を目にするのでした。

空高く昇る閃光〜船員たちが目にした不思議な光景

それは、東から昇り西へ沈むはずの太陽が西から昇ってくるような異様な光景。巨大な閃光が南西の水平線から昇り、夜明け前の海を明るく照らしたのです。

その不気味な閃光から7〜8分後、突然の爆発音が聞こえたかと思うと船は爆風にあおられ、明るく照らされた空は再び暗闇に包まれました。そしてその3時間後には、白い灰が第五福竜丸の甲板に降り積もったといいます。

降り注ぐ白い灰と船員たちの変調

船員たちは、突然空から降ってきた灰に戸惑います。

1959年に公開された日本映画『第五福竜丸』でも、突然空から降っていた灰に対して「雪が降ってきた。いや、雹(ひょう)じゃないか?」といった会話を船員同士で交わしたり、船員が灰を口にしたりしているシーンが描かれていました。

第五福竜丸の甲板に降り注ぎ、船員たちが浴びてしまった謎の灰。その正体は、マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなわれていた水爆実験で粉々に破壊された珊瑚が空高く舞い上がったもので、大量の放射性物質が含まれたまさに “死の灰” でした。

死の灰を浴びた船員23人は全員被爆。

頭痛、めまい、吐き気が出るようになり、日が経つにつれ皮膚がただれ水疱ができ、髪の毛が抜けるなど体に変調が起きるようになりました。

このシーンは曲の中でも「不安 怒り」として緊迫感のあるアップテンポの音楽で描かれています。

語り継がれる事件と絵本

第五福竜丸の水爆による被爆は、広島・長崎への原爆投下に次ぐ第3の原子力災害となり、日本は原子爆弾と水素爆弾という2つの兵器による災害を経験した国となります。

そして、第五福竜丸の船員の一人であった久保山愛吉(くぼやま・あいきち)氏が「原水爆による犠牲者は、私で最後にしてほしい」という遺言を残し命を落としたことが、日本で反核運動が始まるきっかけとなったと言われています。

反核運動

反核運動(はんかくうんどう、英:anti-nuclear movement)とは、原子力即ち核エネルギーの使用に反対する社会運動である。反原子力運動(はんげんしりょくうんどう)や核廃絶運動(かくはいぜつうんどう)ともいう。

引用:反核運動 – Wikipedia

また、第五福竜丸が浴びた死の灰(放射性物質)とその被害は、映画「ゴジラ」(1954)が制作される動機にもなりました。

第五福竜丸の事件は絵画・映画・絵本にも取り上げられ、中でも

  • 映画『第五福竜丸』(1959)
    事件から5年後に公開された日本映画。
  • アメリカの画家ベン・シャーンの連作絵画『ラッキードラゴン』(1960)
    月刊誌「ハーパーズ」に描いた挿絵。

は有名です。そして、事件から時が経ち2006年。

ベン・シャーンの連作絵画『ラッキードラゴン』に、アメリカの詩人アーサー・ビナードが文章を付けた絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(絵:ベン・シャーン/構成・文:アーサー・ビナード)が出版されました。


ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸
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そして、作曲者がこの絵本と出会ったことがきっかけで『ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶』が誕生します。(春日部共栄高等学校吹奏楽部 委嘱作品)

初演は2009年5月、同校吹奏楽部の第23回定期演奏会にておこなわれました。

>>次ページ:ラッキードラゴンの聴きどころは…?

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千葉県出身。洗足学園音楽大学卒業。クラシック音楽を軸にコントラバス奏者として活動するほか「吹奏楽におけるコントラバスの理解と発展」に力を入れており、SNSを通し独学で練習に励む中高生に向けた発信をおこなっている。また「弦楽器の視点から見たバンド指導」をテーマに吹奏楽指導者として多くの学校で講師を務めている。昭和音楽大学研究員、ブラス・エクシード・トウキョウ メンバー。これまでにコントラバスを寺田和正、菅野明彦、黒木岩寿各氏に師事、指揮法を川本統脩氏に師事。趣味はアロマテラピーと釣り、ドライブ。