投獄されても怯まず、歯ブラシで合唱を指揮。作曲家エセル・スマイスがネクタイを締めた理由

ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。放課後の音楽室で、お茶を淹れながら「今の教科書」に載っていない音楽の話をしたいというコンセプトでお送りするこの連載。第4回目の本日は、イギリスの作曲家エセル・スマイス(1858-1944)を取りあげます。

女性参政権運動の渦の中で

1910年、ロンドン。作曲家スマイスは女性政治社会連合 (Women’s Social and Political Union・以下WSPU)に加入しました。これはエメリン・パンクハースト(1858-1928)という社会活動家の率いる、女性参政権を求めて運動をおこなうために組織された団体です。

今でこそ成人になったら自動的に与えられる選挙権ですが、20世紀初頭のイギリスでは、選挙権が与えられるのは男性のみ。ちなみにその頃の日本では、高額納税をする男性のみが選挙権をもっていました。でも世界を見渡せば、1893年にニュージーランドにて世界で初めて女性の普通参政権(納税額などを問わない参政権のこと)が実現しています。これに触発されて、自国でも女性参政権を、と動き始める女性たちがいました。

スマイスがメンバーになったWSPUは、急進派の団体として世に名を馳せました。彼女たちは「サフラジェット」と呼ばれていましたが、郵便ポストや建物を爆破したり、投獄されればハンガーストライキをおこなって政府に圧力をかけたり、その「過激な手法」が語り継がれています。女性参政権を望む人の中でも彼女たちの過激な運動に否定的な人たちもいれば、女性参政権を認めたくない勢力には、そのやり方は「女性が理性を欠いた感情的な生き物である」ことの証拠として取り沙汰されることとなりました。

正直に申せば、わたしは最初に彼女たちの存在を知ったときに、その過激さに「ドン引き」したほうの人間のひとりでした。「どうして《対話》できなかったの?」。その疑問に、ある映画が答えてくれました。

「わたしたちは50年間、穏健に活動してきた」

その映画は『Suffragettes(2015・邦題『未来を花束にして』)』といって、洗濯工場に勤めていたひとりの「つまらない」女性が、当初は傍目から引き気味に見ていた「女性参政権運動」に、徐々に参加していき、そして急進派として活動するようになっていくまでのストーリーが描かれています。

主人公自体は実在の人物ではないのですが、ストーリーの端々に史実を差し込みながら、いち市民がいかに活動に関与していくのかをよく描写しています。劇中で、メリル・ストロープ扮するエメリン・パンクハーストが、建物のバルコニーから演説をするシーンがあります。

「わたしたち(女性たち)は女性参政権のために、50年のあいだ穏健に活動をしてきました。でも馬鹿にされ、ボロボロにされ、そして無視されてきました。だから今こそ、行動と犠牲が必要だと気づきました」
「将来生まれる少女たちが、男きょうだいたちと同じ機会をもてる、そんな世界に生きられるように戦うのです」
「わたしたちは法律を壊したいのではない、法律を作るんです」

「女性は男性の所有物」という考え方が強かった時代に、女性の声は無きものとして扱われました。普通に話しかけても聞いてもらえないのならば、「力づく」で振り向かせるしかない。そうして動いたのがパンクハースト率いるWSPUでした。

「わたしたちは窓に石を投げた、物を爆破した、だって男が聞いてくれる言語は『戦い』しかないから」
「だってあなたたちは、わたしたちを殴って、裏切って、何にも残してくれなかったから」

そう、主人公は警官に畳み掛けます。これは1913年の財務大臣ジョージ・ロイド邸爆破事件(史実)のあとで主人公が実行犯として取調べを受けるシーンです。国会で女性参政権を認める法律が作られるように、正当な手立てでロビー運動をしていた女性たちに対し、立法直前で時の首相アスキスが手のひら返しに廃案にして、不服申し立てのために集った女性たちを、警察が暴行によって沈静化させた「ブラックフライデー事件」が起こったのは1910年のこと。WSPUはこの事件でたくさんの女性が突如暴行を受けたことに抵抗するように、器物損壊などの行動に出るようになりました。

参政権運動の中にも光る音楽性

ここでやっと本日の主役を招き入れますが、先の映画で、立法化に期待をもって議会場前に集う女性たちが揃って歌を歌うシーンがあります。このとき歌われている曲が、エセル・スマイスの作曲した「The March of the Women」です。これは実際にWSPUの公式アンセムとして歌い継がれました。

(引用:British Library

この曲は団結を示す際や、投獄されてハンガーストライキに耐えるときなどに歌われていたようです。この曲の象徴的なエピソードとして、スマイス本人が投獄中のストーリーがあります。2カ月間収監されてしまったスマイスを見舞いに行った指揮者のトーマス・ビーチャムは、刑務所についたら看守がゲラゲラ笑っているところに遭遇したそうです。すると看守が「中庭に来いよ」と言うのでのぞいてみると、中庭では収監中の女性たちが運動しながら懸命に歌っていました。看守はさらにとある窓を指さします。するとそこには、窓から身を乗り出して、歯ブラシで中庭の合唱を指揮するスマイスがいたのです!

スマイスの生誕100周年を記念した寄稿で、ビーチャムはこのエピソードを引用しながら「彼女はれっきとした作曲家でした、独創性があって、魂があって、活力もあって、才能を生かす力もあって、俗に言うガッツのあるといったところです」と書き残しています。時に不急不要のものとして扱われる音楽ですが、彼女は「音楽がパワーになる」ことを自身の活動で体現した例と言えます。団結を促したり、苦境に耐える時に、音楽が効果を発揮する場合があります。

今でこそその名前は「女性参政権運動の活動家」として知られることも多いのですが、そもそも生前はその音楽作品で評価されていた人です。ライプツィヒ音楽大学に学び、師匠と作風が合わず退学するも、プライベートレッスンを受けながら勉強を続け、着実に作品を積み上げます。

彼女の伝記には、彼女がライプツィヒへ留学するまでに至る家族との攻防が記録されています。エセルがライプツィヒ音楽大学で学びたいと考えていた頃、彼女より上のきょうだいが立て続けに結婚して家を出たり死別したりしてしまったので、彼女の父親は、エセルがイギリスを離れることをよく思いませんでした。この説得にエセルは年単位の時間を費やすのですが、途中に休戦も挟みながら、最終的に我慢の限界がやってきます。

知人の紹介で、ロンドンでのリサイタル直後のクララ・シューマンと面会し、さらにその後とあるコンサートで初めてブラームスの作品に触れて、「やっぱりライプツィヒに行かなくちゃ」と思ったエセル、そこから何と自室に立てこもるプロテストを始めました。誰とも話さず、教会に行くこともパーティーに行くこともボイコット。

幸い、母親が密かに彼女の意志に賛同していたり、周囲の人も彼女を応援する立場を取っていたので、最終的に父親が折れて、毎年夏には帰省することを条件に、そして父親が提案した予算内で実現できるなら、と留学を認めました。このときエセルは御年19歳。つまり、彼女は若いときから知っていたのです−−権利を獲得するために、時には闘いが必要である、と。

1928年にベルリンで管弦楽作品を含む個展を開いた記録もあれば、イギリスの夏の風物詩・世界最大規模の音楽祭「プロムス(Proms)」では1913年から1947年の間に27回もオペラ『The Wreckers(船の略奪者)』の序曲が取り上げられています。女性作曲家は大きな規模の作品の上演機会に恵まれなかった時代に、オペラや管弦楽曲など大作を残して発表できているのは、かなり骨太な活躍ぶりです。にも関わらず死後に作品を忘れられてしまうのは「女性作曲家あるある」で、この夏2022年のプロムスでやっとまた彼女の作品が取り上げられて話題になったところ。近年再評価の動きが高まっています。

50代になると完全に聴力を失ってしまうのですが、彼女は勢力的に執筆活動に取り組んで、筆を止めることをやめません。60代になってから、女性作曲家として初めて騎士(Dame)の称号を与えられました。

(引用:『Ethel Smyth: A Biography』by C. St John)

スマイスの写真ではネクタイを締める写真が有名です。彼女はいつもツイードのスカートを履いて、オーバーサイズのジャケットを着た姿がトレードマークでした。その姿を象った銅像が、2022年3月にイギリスのウォキングという町に設置されたところです。実は当時のファッションを見ると、ネクタイをしている女性ってちらほら見られるんですよね。襟元のブローチやリボン、スカーフの類と同じようにネクタイが用いられているのですが、たとえばスマイス、たとえば仏のフェミニスト作家コレットなど、主張の一種としてネクタイを用いたのだろうな、と思われる着用例があります。

20代で書いた『ヴァイオリン・ソナタ』

本日のコラムでご紹介する楽曲は、スマイスがそうして社会運動にコミットする前、30歳手前で書かれた『ヴァイオリン・ソナタ』です。初期の室内楽作品はシューマン夫妻やブラームスの影響が色濃いと言われます。ヴァイオリン弾きの視点でこの曲の譜面を眺めたときにも、ブラームスのヴァイオリン・ソナタにあるような、複雑なリズムでのピアノとの絡み合いも見られれば、シューマンのソナタに感じる、密度の濃い音で奏でたくなるメロディーに出会ったり。

この曲が書かれた頃、スマイスは親友との覆し難い不和に陥り、精神的に厳しい時をライプツィヒで過ごしていました。ところでブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番も、ブラームスが親友3人と疎遠になってしまったつらい時期に書かれており、ついこの2曲を聴き比べてみたくなったのですが、それは安直な考えでしょうか?

弾いていて感じたのは、不思議と曲自体の強靭さを感じて、こちらが思いっきり対峙していっても、それを受け止めて跳ね返すだけのパワーがあるようでした。同じ機会に演奏した幸田延のソナタでは、力一杯に弾いてしまうとむしろ曲調を壊してしまうような感覚すら覚えて、丁寧な扱いをしなければ壊れてしまう工芸作品を抱えるような緊張感がありましたが、スマイスの場合には、そういったある種の「遠慮」のようなものをもっていると曲に負けてしまいそうでした。

なるほど、友人ビーチャムが「とにかく活力のある人」と言うわけもわかります。幸田も幸田で「強さ」があるのですが、幸田延の場合には常に「気高さ」のようなものを守り通す強さ、スマイスの場合には「目的のためには手段を選ばない」強さがあるかもしれません。このふたりを並べるだけでも、女性を女性としてひとつのカテゴリーに括ること、特に「力強さが足りない」とカテゴライズすることの無理難題さが見える気がします。

今回も動画内でお茶を飲んでおりませんが、個人的に、スマイスの曲にはイギリスらしい「強めのミルクティー」を合わせてお楽しみいただきたいです。イギリスにはビルダーズティーと呼ばれるものがありまして、一般に土木関係のお仕事の人が朝の気付けの一杯としてすごく濃く出したお茶を飲むんですよね。ちなみにそのままの紅茶だと熱すぎてすぐに飲めないので、イギリス人はそれを冷ますために必ず冷たいミルクを入れます。スマイス自身がビルダーズティー並みのお茶を嗜んだかどうかは、想像するしかありませんが、まあ、きっと飲んでいたんじゃないかな……?

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参考文献

Beecham, Thomas. “Dame Ethel Smyth (1858-1944).” The Musical Times 99, no. 1385 (1958): 363–65. http://www.jstor.org/stable/936486.

NAKOSHI, Michiyo 名越美千代, and Editorial Department of Japan Journals. “Josei Sanseiken Hyakunenn Sahurajetto no Ketsui [A Hundred Anniversary of Women’s Suffrage, the Determination of Suffragettes] 女性参政権100年 サフラジェットの決意.” February 2018. https://www.japanjournals.com/feature/survivor/10849-suffragette.html

St John, Christopher. Ethel Smyth: A Biography. London: Longmans. Green and Co. Ltd, 1959.

Tilden, Imogen. “‘She’s badass’: how brick-throwing suffragette Ethel Smyth composed an opera to shake up Britain.” The Guardian. 19 May 2022. https://www.theguardian.com/music/2022/may/19/suffragette-ethel-smyth-opera-the-wreckers

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栃木県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了、ディプロマ・オブ・ロイヤルアカデミー、ドリス・フォークナー賞を受賞。2018年9月より同音楽院博士課程に進学。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。弦楽器情報サイト「アッコルド」、日本現代音楽協会HPにてコラムを連載。