輪湖里奈のドイツ留学後記その1 〜渡航の決心から実現までの葛藤


このコラムは、この夏にドイツ・ベルリンでの留学を終え完全帰国した声楽家・輪湖里奈による留学後記です。


まだ蒸し暑さの残る日本を旅立ったのは、2016年9月末のことだった。それからの約8ヶ月間は私の人生において、一生で一度きり、他のことを何も考えずに、音楽と、自分自身のことだけを、ただひたすら考えることを許されていた時間。この幸福で、充実して、しかし孤独な出口の見えない時を、私は生涯生々しく思い出し続けていきたい。

この留学後記では、私の実体験や、感じたことを、できるだけ鮮明に、包み隠すことなくつづっていきたいと思う。ただあくまでこれは私の考えや、私の経験に基づくコラムであるので、すべての人に当てはまるものにはならないことをご了承いただきたい。…と、前置きして思うままに書かせていただこうと思う。

「留学をしたい」と心に決めて

短期でドイツに留学していた頃、訪問先のレーゲンスブルクにて

留学を心に決めたのはもう随分と前のことだった。かれこれ4~5年前から留学については準備を進め、年に1回程度は渡独を繰り返していた。留学することを視野に入れ始めたのは二十歳頃のことだったが、その一番のきっかけはドイツリートとの出会いだったと思う。ドイツの歌曲を知ることで、ドイツ語の魅力や、その国の空気を肌で味わって見たいという夢が膨らんでいき、まずは語学に真剣に取り組むようになるなど、身近なところから留学への準備を進めていったのであった。

バイエルン国立歌劇場の劇場内

そんな中、私が大きく留学への第一歩を踏み出すきっかけとなったのが、ドイツはドルトムント歌劇場で指揮者として活躍する、小林 資典(こばやし もとのり)さんとの出会いであった。彼とひょんなことから親しくさせていただくこととなり、「ドイツに遊びにきなよ」の一言に飛び乗った。それが5年前のことだ。こうして私は一度目の渡独を果たしたのだった。

初めての渡独で訪れたミュンヘンにて、バイエルン国立歌劇場の前で。当時23歳。初々しい

一度目の渡独を含め、繰り返しの渡独の中で、ドイツのあらゆる場所の音楽大学へと足を運び、気になった先生にアポイントメントをとってレッスンを受け続けた。ドイツの大学は先生へと通じる連絡先がHPに掲載されていることが多く、そこから直接ドイツ語のメールでレッスンを受けられないかと連絡をした。

返信が来ないことも多々あったが、どうしても気になる先生には、国際電話をかけて交渉することもあった。日本では考えられないこんなアグレッシブなアタックもドイツでは嫌がられることは少なく、どちらかというと、積極的にアタックすればするほど好意的に受け止めてもらえた印象だった。「アジア人は消極的」というのが彼らの印象には強いようで、その中で「自分は他の人とは違う」ということをいかにアピールできるかということが、海外で学んでいこうとする者にとって大切な心持ちのひとつのように感じた。ツテやコネはあるに越したことはないが、なくたってガッツがあれば先生は探せるということだ。

短期滞在を重ねる

滞在中の宿泊先は知り合いの家か、ホームステイが多かった。ひとつかふたつの街を拠点にして、短くて2週間、長くて3ヶ月の間、行くたびに語学学校に通った。知り合いのいない街では、語学力の向上のためにも語学学校に手配してもらったホームステイ先に滞在するようにしていたが、私の滞在させてもらっていたお家は部屋での歌の練習を承諾してくれたので非常に助かった。

ホームステイ先のホストファミリーと

ドイツはベルリンのような都会でなければ、割と音を出すことに対して寛容なように私は感じていた(日本が異様に神経質なのかもしれないが)。ドイツでは、夜10時以降は音を出すことは公的に禁止されているようだが、その時間さえ守れば、ガミガミ言われることは私の経験の中ではなかった。

ただ、最終的に留学したベルリンでの留学仲間の中には、たまに近所の人が部屋のドアを叩いて怒鳴りつけにやってくると言っていた人もいたので、おそらく私は運が良かったのだろう。ホームステイをした家にピアノはなかったが、薄っぺらくて、コンパクトに収納できる電子ピアノ「ロールピアノ」を持参していたので、発声くらいはそれで十分、事足りた。

理想の先生を探して

こうした短期間の渡独では、特別困った経験もすることはなかったし、用心していたのでスリや詐欺にあうこともなかった。日本だって夜の歌舞伎町でお酒に酔って道端で寝ていたら、次の日の朝、身ぐるみ剥がされていても自業自得だと思うのと同じように、要は自ら “かっこうの餌食” となってしまわないよう気をつけていればいいのだ。

渡独中には隣国でおこなわれる音楽フェステティバルにも足繁く通った。オペラフェスティバル観劇のため訪れたイタリアのヴェローナ

しかし、渡独での先生探しの旅は回数を重ねてもなかなか成果を得ず、自分の求めるような指導者になかなか出会うことができなかった。

留学におけるメリットは、クラシック音楽の本場で音楽を学ぶことができること。その国の空気に触れ、生活することができること、生きた語学に触れることができることなど、いくつもあると思うが、とはいえ自分との相性がいい先生に出会えなければ本末転倒だと私は考えていた。

私は文化や語学を学ぶことを目的にした留学ではなく、“演奏家として音楽を学ぶ” ために、留学をすることを目指していた。つまり、私にとっては先生選びこそが何よりも大切であった。加えて当時私は、ドイツで演奏活動をしていくことも視野に入れていた。そのため現地に基盤のない外国人の私にとって、頼りとなる指導者の存在は絶対に必要だと考えていたのだ。

とはいえドイツでの生活や観光を、もちろんかなり楽しんでいた

念のため補足するが、実際はどの指導者も皆とてもすばらしかった。技術的にも指導的にも不満があったわけではなかった。しかし語弊を恐れずにいえば、フィーリングが合わなかったとでもいうのだろうか、しっくりとくる相手には出会うことができなかったのだ。

余談だが、先生探しというものはどうにも恋愛にも似ているように思う。夢に描いた理想の恋愛や恋人を、自分の妄想でどんどん肥大させていきながら、その夢のような恋愛を追い求め、あちらこちらの男性に目を向けてみる。しかしどうもピンとこないばかりか、女どもはすぐにあっちの男はお金持ちだが趣味が合わないだとか、そっちの男はかっこいいけどデートがつまらないなどと言い出すのだ。そうして経験値ばかりが積まれて行くにつれ、実体験したイイ思い出がまたしても理想の存在に肉付いてしまい、理想像はもはやこの世に存在しない全知全能の男性と化してしまう。

留学中の友人を訪ねて@デュッセルドルフ

私の恋愛についてはさておき、留学についてはそのような飽和状態に直面していたように思う。ドイツのどこかの大学に入りたい、しかし自分と相性のいい、自分に足りないものを教えてくれるような先生のいる大学でなんて思いばかり巡らし、理想の環境や指導者に固執するあまり、ここという場所を見つけることができなくなってしまっていた。

また先生探しをしていく中で、何もドイツでなくても、日本ですばらしい指導者に出会えるではないかと思うようにもなり、「自分に合った指導者を見つけることができずに、消去法や、先生が自分を気に入ってくれたということで留学先を決めてもいいのだろうか」「本来の留学の意義とは一体何なのだろうか」「親に多額の支援をしてもらってまで留学する意味とは何なのだろうか」など、たくさんの疑問が重なり、一時期私は留学すること自体を一から考え直そうとまで思うようになっていた。

夢に描いていた「留学」という世界は、とっても輝かしくて、憧れがたくさん詰まっていて、見たことのないようなすばらしい “何か” に出会えるものだと思っていた。若くて世間知らずな私は、その大変さや現実の厳しさをまだまだ知らずにいたのだ。しかしいざ現実の破片を一つずつ拾い上げていくと、夢や希望、目標だけを胸に突き進むことはできないのだと悟った。膨れ上がった期待と、実際に行動を起こしてそれを現実にしていくことにはそれだけ大きなギャップがあったのだ。

そんな思考の迷宮へと迷い込んだ私が、改めて留学しようと心に決め、念願だったドイツ留学を実現させるまでに一体どういった心境の変化があったのか。また、実際に留学にこぎつけるまでに、どんなことが待ち受けていたのか続きはまた次回、乞うご期待!


ABOUTこの記事をかいた人

輪湖 里奈

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院音楽研究科修士課程独唱専攻卒業。学部卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞し、同声会新人演奏会に出演。東京藝術大学新卒業生紹介演奏会にて藝大フィルハーモアと共演。2014年夏には松尾葉子指揮によるグノー作曲「レクイエム」に出演。これまでに声楽を千葉道代、三林輝夫、寺谷千枝子、Caren van Oijen各氏に師事。