本コラムは、声楽家・輪湖 里奈(旧姓:平山)がベルリンで学ぶ中で、オペラの魅力を再発見していった様子を思うままにつづる連載作品です。
コーミッシェオーパーの『ホフマン物語』
日本に帰国して早2ヶ月が経とうとしている。どうしてこうも時が過ぎるのは速いものか、あれほどまでにドイツではオペラを見狂っていたというのに、日本に帰国してから今日まで一本もオペラを見ていないというのだから驚きである。
なんせ日本は忙しい。何が忙しいのかわからないのだが、とにかく忙しいのだ。毎日気がつくともう日が暮れていて、駅前のスーパーまで光の速度で自転車を飛ばし、残像しか見えないほどのスピードで夕飯をこしらえてお腹がいっぱいになったと思ったら、気づくともう次の日がやってきていたりする。オペラを観に行く暇もないってものだ。
しかし、おかげでベルリンで観て、聴いた音が昨日のことのように思い出され、その美しい宝物のように輝く記憶の全てが、今でも脳裏に鮮明に刻み込まれている。あのオペラを観た時の高揚感も、そう、コーミッシェオーパーで観た、あの日の『ホフマン物語』の記憶も。
キャッチーな旋律で聴く者を魅了する…
『ホフマン物語』はドイツに生まれ、フランスで活躍したジャック・オッフェンバックが作曲したオペラだ。オッフェンバックというと日本では馴染みが深い。運動会で必ず使われる鉄板曲「オペラ・ブッファ『天国と地獄』序曲」を作曲したことで言わずもがな有名な作曲家である。『天国と地獄』からもお分かりのように、メロディーは華やかでキャッチーであることが、彼の作品の特徴のひとつと言えるだろう。
この『ホフマン物語』も例外なく、華やかなオーケストレーションと、帰り道には口ずさみたくなってしまうようなキャッチーな旋律が随所に散りばめられている。私はこの玉手箱か宝石箱のような作品が大好きだ。『ホフマン物語』の楽曲を聴いていると、なんだか活力がみなぎってくるのだ。音楽のそういうえもいわれぬエネルギーとうものは本当に不思議なものである。
描かれる3つのドラマ
音楽もさることながら、この作品はストーリーも秀逸である。ドイツ・ロマン派の詩人であるE.T.A.ホフマンが書いた小説から3つの物語を取り出し、作り上げられた戯曲を元にして書かれた台本が用いられている。もともと3つの物語だったものを、詩人ホフマンを主人公としてひとつの作品に作り上げていることにより、オムニバスのように複数の要素が混在し、さまざまな愛をめぐる壮大な人生を物語る大作となっている。
オペラではしばしば人生で唯一無二の恋愛が描かれるが、実際に唯一無二の、人生をかけた恋愛 “しか” 経験しない人というのは稀だろう。ひとりの人間の中には、さまざまな愛が生まれ、さまざまなドラマが生まれる。それが人生というものだ。齢(よわい)28の私は人生を語るにはあまりにも薄っぺらいが、なんとなく想像がつく。人生とはそういうものなのだろう、たぶん。そして観客はこの3つの恋愛の中のどこかに、自分自身を見出していくのだ。このオペラを見ると必ず自分に出会ってしまうように思う。
私のイチ押し3ポイント!
コーミッシェオーパーでの上演で特筆する点は大きく上げて3点ある。ひとつ目は大きく解釈が広げられた演出。今回の演出では『ホフマン物語』を、同じく3人の女性が取り巻く物語である『ドン・ジョバンニ』と絡めて物語が進行していく演出になっていた。ところどころにモーツァルト作曲のオペラ『ドン・ジョバンニ』の楽曲も取り上げられており、「これはなんのオペラだったか???」と思う瞬間もあるのだが、今までに観たことがない、聴いたことがない、新しい刺激がそこにはあった。
この演出に伴い、タイトルロールであり、物語の中心人物であるホフマンに通常演出以上の要求がなされており、それを補うために、なんとホフマン役だけで3人もの演者が設けられている。このキャストの配置がふたつ目に特筆するポイントだ。ホフマンは一幕と二幕で歌い手が分かれており、それに加えて歌わず、台詞のみで狂言回しのような立ち位置のホフマンを演じる役者がひとり配置されていた。実はこのオペラ、一幕と二幕では同じホフマンの役でも求められる演奏がだいぶ異なる。そのため演者を変えて演奏されることはよく見かけることなのだが、今回のように3人目がいるのは初めて見た。
それにひきかえ、ひとりによって複数役が演じ分けられている役柄もあった。メゾ・ソプラノの役柄の「ミューズ」「ニクラウス」「アントニアの母」という3役は同一の歌い手によって演奏されていた。ミューズとニクラウスは演じ分けが通例のように思っていたのだが、アントニアの母役までも演じ分けているのを見たのはこれまた初めてだ。加えて、実際の母の面影ではなく、ミューズによる化身として描かれることで、幻想によって惑わされていることが強く表現されていたように思う。
そして3つ目の特筆すべき点はこれにも通ずることなのだが、3つの物語でそれぞれ登場する3人のヒロインの役が、なんとひとりの歌い手によって演じられていたことだ。これは私にとって何よりもの驚きであった。後ろの人に迷惑だからやらないけれど、驚きすぎて前のめりになるほどだった、やらなかったけど。
なぜそんなに驚くかというと、この3役は全てソプラノの役ではあるが、それぞれが受け持つ音楽の性質が異なり、要求されるポイントが大きく異なるからだ。つまりいうまでもなく、ものすごいエネルギーと表現力、技術力を求められることとなる。そのため日本で上演される際は、多くがそれぞれ別の歌い手によって配役される。
たった一役演じるだけでも、ものすごいエネルギーを要するだろうに、演奏における体力的な過酷さはもちろんのこと、その演技力には脱帽だった。それぞれのキャラクターは演奏的な性質のちがいだけではなく、その人格の性質もそれぞれ大きく異なっており、たった2~3時間の間に3人の人生を代わる代わる生きる姿は、オペラ歌手の領域を超える女優魂を見せつけられた。
私は個人的に2人目の女性、アントニアの物語が一番好きである。音楽もとても美しく魅力的で、アントニアが歌いたいという欲求と自分の命の狭間で苦悩し、最終的には音楽に対する渇望感には抗うことができず命を落とすというシーンでは、芸術に携わる人間には、胸に訴えかけるものがあるように思う。
この『ホフマン物語』では、それぞれの女性やホフマン自身、それを取り巻く登場人物たちがとても個性的で、人間の真理をどこか物語っているように思う。きっとご覧になった際には、あなただけの思いに訴えかけてくる役が必ず見つかることだろう。ぜひ劇場に足を運んで、登場人物たちの中から、あなた自身を見つけ出してみては?
輪湖 里奈
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