本コラムは、声楽家・輪湖 里奈がベルリンで学ぶ中で、オペラの魅力を再発見していった様子を思うままにつづる連載作品です。
今年の5月、留学を終えベルリンを離れる前、最後に見たオペラは、ドイチェオーパーにてドニゼッティ作曲『愛の妙薬』だった。特に意味があってこのオペラを選んだわけではないが、留学後半はほとんど毎日オペラを見ていたなかで、このオペラが最後に見た一作となったことで結果的に思い出深く残っている。
エンターテイメントなオペラ『愛の妙薬』
率直に言って、私はこの作品に特に思い入れがあるわけではない。自分にとってレパートリーとなる作品でもないのだが、前回取り上げた『フィガロの結婚』と同様、私はこの作品が大好きだ。日本でも上演頻度の高い作品で、幾度となくその公演を観てきた。
作品のストーリーも単純明快ラブストーリー、曲もキャッチーと来たもんだから、この作品ほど初心者向けの作品もないと思う。
余談だが、私が初めて観たオペラ作品はプッチーニの『蝶々夫人』だった。当時まだ高校生だった私にとって、その音楽も物語の奥深さも難しすぎて、正直「オペラってなんだか小難しくって、敷居が高い感じがするなぁ~」という感想を持った。多くの人が初めてオペラを見たときに感じる感想かもしれない。しかししばらくしてからDVDで見たロッシーニ作曲の『チェネレントラ』(シンデレラの物語だ)で、その印象はガラリと変わり、「オペラって面白いんだ!」と認識を改めた。
その経験から、オペラを見る上ではいくつかのポイントがあることを実感した。それは、目的意識の明確化が必要だということだ。オペラを見に行く上で、教養として、もしくは歴史、文化的な勉強をするために見にいくのか、もしくは単純にエンターテイメントとして面白おかしく、楽しみにいくのか、その目的によって見にいくべき作品は変わってくる。後者の「楽しみにいきたい!」という場合にオススメなのが、まさしくこの『愛の妙薬』と言えるだろう。
デュッセルドルフで観た『愛の妙薬』
冒頭で「思い入れはない」などとバッサリと書き捨てた私だが、実はこの作品はデュッセルドルフのドイチェオーパー・アム・ライン劇場でも観劇した。私にとっては、とにかく純粋に好きな作品なのだ。レパートリーとして勉強のために見にいくわけではなく、楽しむためだけに見にいく。そして何度見ても幸せな気持ちになれる。
そのときは、狂言回しの役どころドゥルカマーラを、ベルリンでの師匠の旦那様が演じていたことから、チケットを手配してもらうことができた。その公演は演出がとても美しく、作品中でワインを飲むことにちなんで、舞台上、天井部に何千脚ものワイングラスが吊るされていた。それが照明で反射し、キラキラと光るさまはとても美しかった。ぜひ参考の動画に映るその一部をご覧いただきたい。そのグラスは可動式で、ときにはシャンデリアのように、あるときは静かに降る雨のようにその姿を変え、演出に大きな効果を与えていた。
とてもロマンティックで、ドイツで観たオペラの中でももっとも演出で印象に残っている公演のひとつと言える。オペラはこうした視覚からも人の心に切なさや愛しさを表現してくる。それに美しい音楽とロマンティックなストーリーがあいまっているのだから、おもしろくないわけがない。
大スター、ロベルト・アラーニャ様
今回の公演に話を戻そう。今回の『愛の妙薬』、主人公の青年ネモリーノを演じていたのは、かの有名テノール・アラーニャだった。アラーニャといえば、昨今のオペラ界のタレント性にも非常に重きを置いた潮流(ビジュアル面を多分に含む)の先駆け的な大スターだったように思う。もちろんそれより前にもドミンゴのようなスターはいたが、ここで話す潮流は “もっと近年” のということであることをご承知いただきたい。
音楽を志した頃の、まだいたいけな10代で、青春真っ只中だった私にとって、アラーニャは憧れのスターのひとりであったことは、隠すことができまい。いや、私に限らず、多くの女性クラシックファンが一度は心を射抜かれたことがあるのではないだろうか。
そんなアラーニャがテノール主演の痛快ラブストーリーの代名詞とも言えるこの『愛の妙薬』でまさしく主演をするとあれば、見に行かない手はない。私の憧れのスター、あのイケメンテノールは、一体どんなネモリーノを演じてくれるのか、胸をときめかせながら劇場に赴いた。
時の流れ…それでも変わらないもの
お待ちかねの幕が開く。しかし、舞台上に登場したアラーニャの姿は……
(あ、あれ…? 老けている…?)
考えてみれば、当然のことだ。10代の頃に憧れていたスターだ、私ももうそれから10年以上歳をとったのだ、当たり前だがアラーニャも歳をとっている。
もちろん、歳を重ねたアラーニャも依然としてすてきな男性であることは言うまでもない。しかし今回はうぶな恋愛に四苦八苦する若き青年の役だ。田舎町で繰り広げられる、淡く甘酸っぱい初恋のお話なのだ。しかしどう見ても初恋には見えない! いやむしろもしこれが初恋なのだとしたらそれはだいぶ問題だ!こうして私は終始曇りなき眼で見ることができなかった(笑)。
(ここまで言うのに参考画像を皆様にお見せできないのが非常に心苦しい。ネット上で検索すると画像は出てくるのだが、出典元が不明のため、ここでは控えさせていただく。気になる方は検索してみてほしい)
それでも彼のスターとしてのオーラは今も衰えることのないものがあった。舞台に立っている間はやはり彼に目がいく。そのオーラを持ってして、エンターテインメントをどこまでも貫こうと、パフォーマンスは誰よりも手を抜くことなく、年齢を感じさせないものがあった。
年齢を重ねることで衰えるものはあるだろう、しかしオーラとは、舞台を重ねるごとに積み上げられ、年輪のように体に刻まれていくものなのかもしれないと、そんなことを思った。
輪湖 里奈
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