「オペラやっぱ楽しかったわ。」Nr.10

本コラムは、声楽家・輪湖 里奈がベルリンで学ぶ中で、オペラの魅力を再発見していった様子を思うままにつづる連載作品です。


話題作!『フィガロの結婚』

ドイツから完全帰国して早3か月。今なお昨日のことのように思い出せるのは、ウィーン国立歌劇場(シュターツオーパー)の『フィガロの結婚』を見た夜のことだ。

このシーズンのシュターツオーパーのプログラムの中でも『フィガロの結婚』はとても評判が高かった。コーミッシェオーパーに所属する私の師匠も注目していたようで、その日のレッスンで「今夜はシュターツオーパーに行くんです」と話すと、「今夜のプログラムは? フィガロかしら、あれすごくよかったわよ。ケルビーノがすごくよかった」と強くオススメしてくれた。先生がコーミッシェ以外のオペラを観にいった話を聞くのは初めてだったし、しかもこんなにオススメするなんて。それにしてもいいのだろうか、他劇場だぞライバルとかじゃないのか? などと勝手な心配をしつつ、先生がそんなにオススメするんだから良いんだろうなぁなんてぼんやり思いつつその日は劇場へと向かった。

シュターツオーパーとシラー劇場

例のごとく当日券で観劇したのだが、いつもシュターツオーパーの当日券は一階席の比較的いい席が回ってくることが多かった。だがその日のチケットはもう二階席しか残っておらず、人気の高さが伺えた。ただでさえ人気演目、超有名作品、それに加えて音楽関係者の間でも好評ときたら、ベルリンの音楽ファンたちが観にこないわけがない。それでも私がゲットした席は二階席のちょうどど真ん中に位置する席で、劇場全体を見渡すことができる席だった。

シュターツオーパーは本来ベルリンの中心地、ミッテ地区に劇場を構えていた。現在は大規模な工事中で、外からですら全体を拝むことができない。ベルリンという街は、東西の統合以後から続く開発が、未だにどこもかしこも終わっておらず、「完成しない街」とまで言われる始末だ。私はベルリンのシンボル的な劇場であるシュターツオーパーを拝みたかった。なんならその建物の前でセルフィーだって撮りたかったし、いやいや、音楽の聖地として手を合わせて拝みたかった。しかし私が初めてベルリンを訪れた時から、ベルリンをさるまでの間は少なくともずっと劇場は工事中だった。

出典:Wikipedia
ミッテ地区にあるシュターツオーパー、現在は工事の囲いでほとんど見えない

出典:Wikipedia
現在使用されているシラー劇場

しかし代わりに使用されているシラー劇場が私は好きだった。どこかノスタルジックな雰囲気を持っており、偉大な歴史的遺産としての建造物とは違う懐かしさを感じる。昔から通ってきた、街の映画館とその感触は似ていた。

結局行き着くところは『フィガロの結婚』

出典:morgenpost

『フィガロの結婚』は正直見飽きるほど観てきた。私のオペラ観劇人生の中で最も繰り返し見ているオペラと言えるだろう。しかし見飽きるほど見てきたが、見飽きることはなかった。こんなことを言うと “にわか” のような印象を与えてしまいそうだが恐れずに言わせていただくと、『フィガロの結婚』は私の一番好きなオペラだ。私ももっとマイナーオペラとか、なんだかかっこいい名前のオペラとかを一番好きなオペラだと言いたいところなのだが、どうしても『フィガロの結婚』の音楽を聴いてしまうとダメなのだ。もうやられてしまう。モーツァルトの圧倒的な音楽力とでも言うのだろうか、音楽の美しさにも、シンプルでありながら全てが詰め込まれているような濃縮度も、毎度同じ音楽を聴いているはずなのに私をふるわせる。特に2幕の “Conoscete, signor Figaro…” なんてサイコーに好きすぎてその音楽に何度シビれてきたか(かなり個人的な趣味である)。

史上最高ケルビーノ

私の個人的な趣味はさておき、今回のフィガロ、始まりはさほど特別さを感じていなかったのが正直な感想だった。序曲はドイツでありがちなハイテンポさで、観客の動悸をはやらせるようだったが、それももはや “いつものパターンね” といった感じで「『フィガロの結婚』玄人(笑)」の私からすれば、今まで聞いてきたパターンの範疇、もう驚くと言うことはなく、あとは自分の趣味に合っているかかな~なんて調子に乗って観劇していたのだが、そんな余裕もすぐに打ち砕かれた。ケルビーノの登場によって。ケルビーノが今まで見たこともないほどケルビーノだった。なんと美しく、なんと軽やかで、これはまさに現代のガニュメデス(ギリシャ神話に登場する美少年)か! とまで思うほど。ガーンと頭を殴られたような衝撃。しかもものすごく上手い。これだ、これが私の探し求めていたケルビーノだ。いや、人類の探し求めてきたケルビーノだ! 私はそのとき確信した。

出典:Kultur24.berlin

ケルビーノというと、正直このオペラの中では脇役である。しかしその音楽はとても有名で彼のアリエッタ “Voi che sapete” は誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、超有名曲である。この役は女性が男性の役を演じるいわゆる「ズボン役」で、比較的若い、ソプラノかメゾソプラノが演じることが多い役だ。観客に愛される、とても魅力的な役回りであることは確かだが、しいていうなら、ケルビーノみたさにこのオペラを観に行くのはこの役をレパートリーにもつ歌い手が多いように思う。しかし今夜の『フィガロの結婚』は違った。我々観客は間違いなく、彼(彼女)を観にきたのだ。

その魅力とは…

今回のケルビーノにおける魅力は、ひとえにその少年性にあると私は思った。この役は女性が演じる以上、あくまでも “女性の想像する男性(もしくは少年)” からそのキャラクターが生み出される。しかしそれでは実際のところの少年らしさの多くはいささか失われてしまうように私は思う。時にそれは色気がありすぎたり、男性らしさが強すぎたり、はたまた天使のように可愛らしすぎたり、少年とも少女とも取れるように中性的であったり。異性を演じるということはとてつもなく微妙な問題をはらんでおり、乗り越えられない性の機微が存在するということを、逆に鮮明に描き出してしまうことがある。

余談であるが、日本には卓越したズボン役演技集団が存在する。宝塚歌劇団だ。今回のケルビーノはそれに通ずるものを個人的には感じた。女性の思い描く理想の男性像であり、実際の男性よりもはるかに美しく端正で、しかしそれはどこまでいっても女性ではなく、どちらかといえばやはり男性で、“ズボン役” という一つの “型” の昇華とでもいうかのような。それは演技なのか、彼女自身の持つ個性なのか…いずれにせよ、もし彼女が楽屋から淑やかな女性の姿で出てきたら、実際腰を抜かしたことだろう。今となってはそれを確認するすべもない。あのとき確認しておくべきであった。

いずれにせよこれはオペラの革新とまで言える。もう本当にみんなに見てもらいたい。願わくば観ていただきたい。彼女のケルビーノは、おそらく今全世界でナンバーワンと言えるだろう(主観)。

たった一夜の出会い。

幕間で、隣に座るロマンスグレーの紳士が私に話しかけてきた。「どう思ったかい?今日のフィガロは」。彼も私同様、一人で観劇しているようだった。「とても素敵だと思いました」私が答えると、「私はね、あのケルビーノがすばらしいと思ったよ。彼女は本当にチャーミングで素敵だ、そう思わないかい?」この異国の地で、初めて知り合った、年齢も国籍も違う、ただその日たまたま隣の席になっただけの人が、同じように感動し、その興奮を共有しようと話しかけてきてくれる。「まったく同感です」と私は答えた。

劇場では、その空間を共有したものだけが味わえる、独特の一体感があるのだ。同じようにその空間を楽しみ、感じた者同士は、初めて会ったとは思えないほどに、多くを共有している。感動は誰かと共有したくなるものだ、だから観劇は誰かと一緒に行くと、劇場に向かう前も、帰り道も楽しいと思っていた。しかし、たった一夜、二度とと会うことはないかもしれない人と、感動を分かち合ってみるのも素敵なものだとその夜は思った。

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輪湖 里奈

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院音楽研究科修士課程独唱専攻卒業。学部卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞し、同声会新人演奏会に出演。東京藝術大学新卒業生紹介演奏会にて藝大フィルハーモアと共演。2014年夏には松尾葉子指揮によるグノー作曲「レクイエム」に出演。これまでに声楽を千葉道代、三林輝夫、寺谷千枝子、Caren van Oijen各氏に師事。