知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回は作曲家ジョージ・ガーシュインについてのお話です。
「アメリカ人の音楽をはじめて生みだした」作曲家として今も絶大な人気を誇るガーシュイン。彼の音楽にはジャズや移民の黒人たちの響きがあふれています。そんなガーシュインは、実は絵を描かせてもプロ並みだった、ということはご存じでしょうか? 代表作『ラプソディ・イン・ブルー』や『サマータイム』にも、実は関係する絵が存在します。そこにはガーシュインの人懐っこい素顔が垣間見えます。
まずはおなじみの名曲のお話から始めましょう。
絵画の要素を取り入れて生まれた、タイトル
まずガーシュインといえば、ピアノと管弦楽のための曲『ラプソディ・イン・ブルー』でしょう。
ガーシュイン『ラプソディ・イン・ブルー』
リズミックでユーモアあふれるこの曲はガーシュインが列車に乗っているときに思いついたそうです。曲にはさまざまな要素が組み込まれていてご紹介したい限りなのですが、今回注目したいのはタイトル『ラプソディ・イン・ブルー』です。日本語に訳すと、ラプソディは「狂詩曲」、ブルーは「青」、つまり「青の狂詩曲」ということになります。狂詩曲とは自由で民族的な音楽を指します。では、「青」はどこからやってきたのでしょうか。
実は、ガーシュイン自身は元々この曲を『アメリカン・ラプソディ』と呼んでいました。ブルースやラグタイムのリズムなどアメリカ発祥のジャズやアフリカ系音楽を散りばめたこの曲は、彼にとってまさに「アメリカ」だったのです。
『ラプソディ・イン・ブルー』を提案したのは、ガーシュインの兄アイラです。アイラは、イギリス人画家であるホイッスラーの展示に感銘を受け、“音楽に絵画の事柄を取り入れる” ことを思いつきました。
ホイッスラーの作品を見てみましょう。
描かれているのは月光に照らされた橋です。金粉が舞っているかのような金色は月の光、青色は川と空の色でしょうか。注目すべきは、絵の題名です。この絵画自体は音楽とは関係がありませんが、ノクターン(夜想曲)という題名がついています。ホイッスラーはそれまで絵に用いられることのなかった音楽用語(ノクターンやシンフォニー)を取り入れた最初の画家でした。その題名が、絵の世界観をぐっと深めていると思いませんか?
兄アイラの、 “音楽に絵画の事柄を取り入れる” アイディアは、ホイッスラーの “絵画に音楽の事柄を取り入れる” 試みを逆にしたものだったのです。そして「青の狂詩曲」が誕生しました。
『アメリカン・ラプソディ』と『ラプソディ・イン・ブルー』、どちらのタイトルが魅力的に感じるでしょうか? 直球過ぎる「アメリカン」よりは「ブルー」のほうが洗練された印象かもしれません。
いとこの画家ヘンリー・ボトキンとガーシュイン
『ラプソディー・イン・ブルー』を提案したのは兄でしたが、冒頭で触れた通り、ガーシュイン自身も絵がうまく、美術はいつも身近な存在でした。ガーシュインに絵を教えたのは、2つ年上のいとこヘンリー・ボトキンです。ボトキンは美術学校を出て雑誌のイラストを描いて暮らしていましたが、画家としてより成長したいと考え、1920年代からフランス・パリに渡ります。
一方ガーシュインも、それまで取り組んでいたショービジネスの限界を感じ、西洋音楽を学び始めていました。10代のときにショパンやシューマン・ドビュッシー、ストラヴィンスキーやミヨー・オネゲルを研究していただけに、彼にとってヨーロッパはアイデアの宝庫でした。28歳にして初めてガーシュインはフランスを訪れインスピレーションを得ますが(のちに『パリのアメリカ人』を作曲)、ボトキンが先に滞在していたことも、フランス訪問のきっかけになったかもしれません。
ボトキンと過ごすうちに、ガーシュインも絵を描くようになります。モチーフはいつも自画像や友人の肖像画などでした。たとえばこちらは、ガーシュインがシェーンベルクの肖像画を描いているようすです。
シェーンベルクとガーシュインは近所に住み、一緒にテニスをする間柄だったそうです。
自画像のほうは面白い構図です。ピアノの鍵盤と楽譜を描き、作曲家である自分の自己紹介をしているようです。
いとこのボトキンは、絵を描くガーシュインについて次のように語っています。
私は彼(ガーシュイン)が、彼が音楽を作るときと同じような、あたたかみや熱意そしてパワーをいかに絵に取り入れようとしているか、ということに気付いた。
Merle Armitage著『George Gershwin』より引用
絵を描くときも作曲と同じように熱を込めている様子が浮かびます。
代表作『ポーギーとベス』の誕生
30代半ばになったガーシュインはアメリカで、小説『ポーギー』のオペラ化を計画します。小説の舞台であるサウスカロライナ州近くの小さな島にこもって制作にとりかかったのですが、ボトキンはその滞在にも同行しました。電話一つないような島で、ガーシュインは作曲を、ボトキンは風景を描き、オペラ『ポーギーとベス』が誕生するのです。
ガーシュインはその原作者デュボーズ・ヘイワードの肖像画も描いています。
真剣な眼差しのヘイワードの後ろには本を支えるブックエンドがあり、それは作中のリアカーに乗る主人公ポーギーです。兄アイラによると、ガーシュインは尊敬するデュボーズとの共作をとても喜んでいたそうです。
『ポーギーとベス』にはジャズやブルースに加え「黒人霊歌」の響きがあふれています。最も有名なのが歌曲『サマータイム』でしょう。今ではジャズのスタンダードナンバーとしても有名です。
ガーシュイン『サマータイム』
劇中、赤ちゃんにむかって歌われるこの曲はまるで子守歌のブルース版といったところでしょうか。ゆったりとアンニュイでありながらソウルフルな味わいです。
オペラは興行的に大成功とはいきませんでしたが、ガーシュインの死後高く評価されました。それまでクラシック的な音楽家が育たなかったアメリカで、ガーシュインは初めて国内外で認められた作曲家となったのです。
身近な音楽を愛したガーシュイン
ガーシュインの音楽の原点はいつも身近なところにありました。
たとえば、16歳のとき。マンハッタンのティン・パン・アレーと呼ばれたポピュラー音楽の出版社がひしめく場所で、彼は売り物の楽譜をピアノで弾いて聞かせる仕事を始めます。ガーシュインにとって楽譜どおりに弾くのは簡単だったため、人目を惹きました。そこで黒人ミュージシャンと出会いジャズの世界にのめり込みます。その後兄アイラが作詞し、ガーシュインが音楽をつけた歌がヒットし、売れっ子作曲家となります。
「本物の」音楽を聴くためにガーシュインはあらゆる地域を旅行しました。『ポーギーとベス』でも黒人歌手を雇うことを強く望んだそうです。このオペラにはガーシュインがそれまで愛してきたすべての音楽が詰めこまれています。
「しょせんはショービジネスの作曲家だ」と酷評した批評家とは対照的に、彼は大衆から絶大な人気を集めました。気さくな人柄も愛され、ラジオ番組のホストを務めるほどでした。身の回りにあふれる大衆の音楽を書き、風景ではなく、大切な人々の姿を絵に描いたガーシュイン。「人好き」でチャーミングな性格は音にも絵にも表れています。
また、ジャズや黒人音楽を調べていると、どうしてもアメリカにおける人種差別にぶち当たります。しかしガーシュインの音楽にはそういった壁がないように思われます。ジャンルも人種も、心躍る音楽でヒョイと乗り越えてしまう、そんな強い力を筆者は感じます。
今回紹介しきれなかった『パリのアメリカ人』『The man I love』『I got rhythm』など、まだまだ魅力的な曲がたくさんあります。ぜひ聴いてみていただければと思います。
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