さすらいと孤独……痛いほど己の心を見つめた作曲家シューベルトと画家フリードリヒ

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回のテーマはシューベルト歌曲とドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒの絵画です。二人の芸術家は実際の交流はなかったものの、同時代に活躍し、それぞれ違った芸術分野で、人間だれしもがもつ「孤独」や「悲哀」を表現しました。

特にフリードリヒは「さすらい」「絶望」「諦念」といった一見ネガティブなキーワードで語られることの多い画家ですが、風景画を用いてそれらを表現したことが、当時の芸術界に大きなインパクトを残したと考えられます。一方シューベルトは『魔王』『野ばら』など多くのヒット歌曲を生み出し、こちらも歌曲というそれまでベートーヴェンやワーグナーが積極的に触れなかったジャンルで注目されました。フリードリヒとシューベルトはそれぞれどのように「心」を表現したのでしょうか。一緒に見ていきたいと思います。

歌曲王シューベルトの、さすらう心

シューベルトは、たった31年という短い生涯の中で500曲以上もの歌曲を作曲したことから、「歌曲王」と呼ばれるようになりました。当時の大詩人ゲーテやシラーから、誰にも知られることのない詩人まで、シューベルトはさまざまな詩に音楽をつけました。

とりわけピアノ伴奏部分は感情や場面をありありと音楽で描写し、シューベルトをきっかけとしてドイツ歌曲のピアノ伴奏はぐっとレベルアップし存在感を増すようになります。

大量の歌曲の中でシューベルトが頻繁に取り上げたテーマが『さすらい人 Der Wanderer』でした。安住の地を求めてさまようさすらい人。シューベルトはなぜこの主題にそこまで惹かれたのでしょうか?

                         シューベルト作曲 『さすらい人』D498

彼が19歳のときに作曲した『さすらい人』の歌詞を少し見てみましょう。

私は山からやってきた

合間に霧が立ち込め、海は騒いでいる

私は黙って歩を進めるが、気持ちはふさぎがち

そしてため息がいつも問いかける、どこだ?どこにあるのか?と

私はどこでも よそ者なのだ

私の言葉を話す土地よ、ああその土地よ、お前はどこなのだ?

すると幻の声が私に響いてくる

「お前が訪れていない所、そこに幸せがあるのだ。」と

詩シュミット 『ドイツ歌曲集』より抜粋 (~は中略)

主人公はひたすらさまよい、自分の幸せのある場所を求めています。しかし最後の幻の声がささやく言葉は主人公に希望を与えることなく、曲は幕を下ろします。

曲は重々しい3連符のピアノで始まり、歌詞に呼応して挿入される長調の響きが一時聴き手に希望を見せますが、それは主人公が夢見る幻想にすぎません。ピアノの儚げな長調の響きで終わるエンディングは、短調で物悲しく終わるよりも、逆により一層無力・虚無感を際立たせます。たった19歳でシューベルトはなぜこのもの悲しく、達観さえ感じさせる詩に魅了されたのでしょうか。そこには「自らの居場所」を追い求め苦しむシューベルトの姿が見えます。

厳格な家庭に育ったシューベルト少年は、幼い頃から音楽家としての才能を開花させますが、教師であった父親は息子が音楽の道に進むことに断固反対し、自分と同じように安定した教師の職に就くことを強要します。シューベルトは教師の道に進もうとしますが、一方で音楽への情熱は燃え上がっていったのです。

15歳のとき母親が死別し、翌年に父親が新たな女性と再婚したことも影響したのか、シューベルトの父親への反発は強まり、ついに19歳のときに家を出ます。数年後、その出来事を彷彿とさせる散文小説『僕の夢』を書きます。そこにはシューベルトがすでに「居場所を求めてさすらう」ことを意識している様子がうかがわれます。

父は私を殴りつけ、私は逃げる。再び私は報いられない。理解されることのない愛を胸に秘めながら、知らない土地へ放浪の旅に出る。何年も何年も歌をうたい続ける。しかし愛の歌を歌おうとすると心は痛み、苦しみを歌に託すと心には愛が満ちてくる。 

                     村田千尋著『シューベルト』より抜粋

 行き場を求めてさまよい、シューベルトの中で愛と苦難が紙一重になっていったのでしょうか。穏やかかつ誠実な性格から多くの友人に愛されたシューベルトでしたが、その繊細な心はいつも安住の地に落ち着くことなく、複雑に切り裂かれていたのかもしれません。いくつかの恋はあったものの成就することがなかったことも関連しているでしょうか。

「さすらい人」というモチーフに常に惹かれた背景には、いつも抱えていた深い悲しみと、現実を変えることのできない悔しさや諦念があったと考えられます。シューベルト自身この歌曲『さすらい人』D498のメロディを気に入り、その後ピアノ曲『さすらい人幻想曲』の中でも用いています。

その後、彼の孤独感は歌曲集『冬の旅』でより一層増し、シューベルトの歌曲は孤高のレベルに達します。この歌曲集にでてくる失恋に打ちひしがれた主人公は、過去の希望や愛を反芻しながらも、身を切られるような寒さの中で「死」にさえ安らぎを見出します。

シューベルト作曲『冬の旅』より『菩提樹』

音楽は苦しみを吐露する歌詞に丁寧に呼応し、痛みを伴う旅を続ける主人公にそっと寄り添います。シューベルト歌曲の演奏者フィッシャー=ディースカウは著書の中で「さすらいと異郷という主題はシューベルトが常にひきつけられた領域に含まれている」と述べています。

果てしない自然と人間の孤独を描いたフリードリヒ

いつも定住しない、さすらう心を芸術に高めたシューベルトですが、同様に、自らに深く向き合った芸術家が同時代にいました。シューベルトが歌曲『さすらい人』D498を作曲した2年後、ドイツ・ロマン主義を代表する画家カスパー・ダヴィド・フリードリヒは絵画『雲海の上のさすらい人』を完成させます。

スウェーデンに生まれドイツ・ドレスデンを中心に活躍したフリードリヒは、誰も描かなかったような「精神的・宗教的な風景画」を描き、名を馳せた画家です。それまで風景画といえば牧歌的で平和な自然をとらえたものが主流でした。

しかしフリードリヒは風景をあくまで絵の素材として扱い、そこに幻想的なロマンまたは人間の孤独や悲哀までも描いたのです。彼の絵画には廃墟、墓、枯れ木、人の背後といったモチーフが多く登場します。

フリードリヒ『雲海の上のさすらい人』(出典:ハンブルク美術館

フリードリヒ絵画で人間はつねに後ろ姿しか描かれません。鑑賞者はその後ろ姿から絵画の風景の中に導かれていくかのようです。絵画のメインは果てしなく広がる風景であり、背中のみ描かれる人物はまるで、圧倒的な孤独を表現しているようにも見ることができるかもしれません。

この絵画の男性はどのような思いで雲海を見つめているのでしょうか。何かに立ち向かっていく後ろ姿なのか、それとも大自然の目の前に言葉にならない思いを抱えているのか……。フリードリヒの描く絵には、常にこのような何とも言葉にしがたい悲哀や諦念が感じられ、それこそが革新的だと評価されてきました。

フリードリヒ『海辺の僧侶』(出典:ベルリン国立美術館

たとえばこの絵画もフリードリヒの代表作の一つですが、とにかく印象的なのが絵画の半分以上を占める異様に広い空です。たたずむ僧侶の後ろ姿はとても小さく描かれています。当時この絵を見た人々は、不自然なほど広がる空に、「真空恐怖(何もない余白に恐れを感じること)」というたぐいの恐怖まで感じとったと言われています。ある批評文では「この世においてこれ以上に悲哀に満ち、不安をかきたてる状況はあり得ない」と書かれるほどです。

フリードリヒ絵画の世界は常に孤独・哀しみ・虚無といった、私たちが目を背けたくなるところをあぶりだします。ひたすら広く描かれる自然風景の中では、人間はとても小さく孤立した存在であると言われるような感覚にさせられます。

フリードリヒ「澄んだ曇りのない鏡だけが純粋な像を再現できるように、真実の芸術作品を生み出すことができるのは唯一純粋な魂だけである。」 

仲間裕子著『C・D・フリードリヒ《画家のアトリエからの眺め》‐視覚と思考の近代』より抜粋

このように述べたフリードリヒからの言葉からも、彼がごまかしや見せかけの美を好まず、痛いほどの純粋な表現を追い求めたことが分かります。

ひたむきに心を見つめた芸術家たち

シューベルトとフリードリヒは同時代に活躍しましたが、二人が実際知り合うことはありませんでした。しかし彼らには自分たちの心の内を深く掘り下げた、とても内省的な表現という共通項があると考えられます。孤独や寂しさから目を背けることなく自己と深く向き合うことを芸術に昇華している、とも言えるでしょうか。どちらの絵画・音楽にも感情豊かなロマン派時代にうつりゆく過渡期の、メランコリックなゆらぎのようなものも見え隠れします。

シューベルトが敬愛したベートーヴェンは「苦悩を乗り越え歓喜へ」という作曲家でしたが、シューベルトはそういった男性的な強さではなく、すべてを受け止め、孤独さえもじっくり見つめた音楽を作りだしたのではないでしょうか。

ときにフリードリヒの絵画を見ること、シューベルトの悲観的な音楽を聴くことは息が苦しくなってしまうように感じるときもあります。しかし一方でどこか救われる気持ちにもなります。こういった表現方法も、アートにしかできない「誰かに寄り添う」行為なのではないか、と筆者は個人的に思うのです。

彼らの芸術は、心の深いところ、誰にも開かないような場所にそっと届くかのかもしれません。ぜひもっと多くの方に知っていただきたいと思います。

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ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。