ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門優勝・高木日向子『L’instant瞬間』を生んだ一枚のろうそくの絵

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回は今を生きる現代作曲家にインタビューを敢行し、作曲とインスピレーションのもととなった絵画との関係を掘り下げていきます。

2019年日本の音楽業界が歓喜に沸いたニュースの一つといえば、ジュネーブ国際音楽コンクール作曲部門にて日本人作曲家が優勝したことではないでしょうか。その作曲家は、高木日向子さん。コンクールファイナルでの課題「オーボエとアンサンブルのための曲」では、日本人画家の絵をもとにした『L’instant』(瞬間)が演奏されました。

「音楽のエネルギーと上昇させる力と減衰させる力が交わる瞬間の連続が音楽である」という彼女の考えが、ストレートに音で表現された作品です。どこか神聖な空気の中で呼応しあうエネルギー、そしてリリカルなオーボエの音色にうっとりとさせられます。

本稿では高木さんに直接お話を伺い、一枚の絵画がつないだ彼女のインスピレーション、そして作曲家としての興味深い思考についてのぞきみることができました。クリエイティブな彼女の音楽世界、そして神秘の「蝋燭(ロウソク)」の絵画にせまります。

高木日向子作曲 『L’instant(瞬間)』(2019)

まずは高木日向子さん作曲のオーボエソロとアンサンブル『L’instant(瞬間)』をお聞きください。

高木さんによると、今回のコンクール応募曲を作曲した当時、彼女はふたつの古代ギリシャの文化思想に惹かれていたそうです。

一つは、古代ギリシャの言葉Arsis(上昇・呼気)とThesis(減衰・吸気)、両方が音楽にあるという考えです。ArsisとThesisはまるで呼吸のように呼応し合い、高木さんはこの二つが交わるときに音楽における「瞬間」が生まれるのではないか、という考えにいたったそうです。以降「瞬間」の探求は彼女の創作の基軸となっていきます。

『L’instant』(瞬間)では特に「上昇」「減衰」そして「交わる時」が音楽の中心となっています。オーボエの上昇・減衰とアンサンブルが交わる瞬間や境目を聞かせる、互いが呼応しあうというアイデアは、この楽曲においてもっともユニークな点でしょう。多様な演奏法を使い、楽器はときにさざ波のように、ときに会話のように響きあいます。

もう一つ、彼女を魅了していたのは古代ギリシャ哲学です。哲学者たちは万物の根源(世界の始まり、人間の存在、物事の原理など)とは何なのかという問いを続けていました。科学技術など無かった2500年前の古代ギリシャで、彼らはどのように答えを導き出したのか。そこには圧倒的な「想像」の力があったのではないでしょうか。それは現代を生きる私たちのものよりずっと豊かであったようにも思われます。

テクノロジーや科学に翻弄される今の時代にこそ、ギリシャ哲学者が語った自然観を感じることはできないだろうか、高木さんはそう考えるようになったそうです。「空気」などの森羅万象から作曲アイデアを膨らませるようになったころ、テレビ番組で紹介されたある絵画が目に留まります。画家・高島野十郎が描いた『蝋燭』です。

高島野十郎『蝋燭』(出典:福岡県立美術館

静かにゆらめきながら燃え、観る者の目を離さないその炎は、高木さんに「万物は流転する。その根源は《火》である」と説いた古代ギリシャ哲学者ヘラクレイトスを連想させました。火は、空気中の酸素と対象物が絶え間なく反応し続けることで赤々と灯ります。Arsis(上昇)とThesis(減衰)が連なる交差の「瞬間」を描きたいと考えていた彼女のイメージが、一本の蝋燭の絵と一気に重なった瞬間でした。

世俗を離れ、表現に向き合い続けた画家 高島野十郎

高島野十郎の生き様は、まさに「孤高の画家」そのものでした。秀才だった彼は東大を首席で卒業し、誰もが輝かしいキャリアを始めると思ったとき、その一切を捨て、画家の道に進むと宣言したのです。

「世の画壇と全く無縁になることが小生の研究と精進です」という言葉どおり高島は何にも所属せず、田舎の貧しいアトリエに暮らし、自分の絵に高値をつけることもなく、ひたすら自らの表現を突き詰めていったのです。世俗に交わることなくストイックに絵を描く姿は、死後名声を手にしたゴッホを思わせます。

高島の絵はどこまでもディテールにこだわり、その驚くべき写実性は、彼の死から5年がたった昭和55年に開かれた展覧会ではじめて脚光を浴びます。「写実の向こうにある存在感そのものに迫っている」という賛辞が送られました。

高島野十郎『境内の桜』(出典:福岡県立美術館

蝋燭、そして作曲家と重なり合うとき

ヨーロッパ美術史において「蝋燭」は、主に静物画のジャンルで頻繁にあらわれます。16世紀から17世紀ヨーロッパで多く制作された静物画は、キリスト教思想における「ヴァニタス(空虚・はかなさ)」を表し、中でも蝋燭は骸骨や砂時計と同じく、「時の推移」を表す物とされています。

Claeuw, de, Jacques, “Vanitas still life” (出典:ブレディウス美術館

しかしそれらは、高島野十郎が描くような煌々と燃える蝋燭ではなく、燃え尽きた、または消えかかっている蝋燭であることが大半です。蝋燭は終わりのときを連想させるのです。

一方、高島野十郎が描く蝋燭はどのように見えるでしょうか。一本の蝋燭が描かれた絵画はおよそ40枚あり、彼の死後、友人や知人のもとで発見されます。蝋燭の絵だけは展示せず、自分にそそがれた優しさを仏縁・仏の加護とし、親しい人々にプレゼントとしていたというのです。絵を受けとった人は仏壇のかたわらに飾っていたとか。

高島と、彼の大切な人々のあいだにある蝋燭の絵は、どこか慈悲的なぬくもりを放っています。この幻想的な蝋燭の火が何を照らしているのか。彼が信仰していた仏教と関連があるとも、画家が見た人間のゆらめく感情であるとも、さまざまな推測があります。

『野十郎は心をこめて、丹念に、丹念に描いている。己の心の闇を照らしてくれるように。人の世の闇を照らしてくれるように。一本の蝋燭の炎に、野十郎の人生のすべてがこめられているかのようにも見える』             多田茂治著『野十郎の炎』より抜粋

蝋燭を描いたその丹念な筆跡は、彼の自然観と通じています。

「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事…」と高島野十郎は書き残しました。めまぐるしい世界の変化に目もくれず、足元にある自然ひとつひとつを見つめることを望んだのです。

高木日向子さんは「近代化が進められていた昭和期に、一本の蝋燭というあえて原始的なモチーフを選んでいることに共鳴するものがあった」と言います。彼女と高島野十郎の自然観が通じ合ったのかもしれません。小さなキャンバスで燃える蝋燭が、古代ギリシャの哲学者、孤高の画家、そして21世紀を生きる作曲家を引き合わせたのです。

作品を深く知ることで見える世界

今回は高木日向子さんに直接お話をうかがうことができ、彼女のアイデアの面白さ、ストイックに音楽表現に突き進む姿が大変印象的でした。「純粋に音楽の流れを感じてもらえるものを作りたい」とおっしゃる言葉どおり、彼女の音楽には聴き手を身構えさせず、その音世界にすっと入っていけるあたたかさと研ぎ澄まされた潔さがあります。

美術と音楽を研究する筆者にとっては、楽曲についてご本人から直接お話を伺えたことは大きな喜びでした。絵と音楽というと、どうしても絵を見ながら音楽を聴いてみて「ふーん、それっぽいなぁ」というような表面的な理解になりがちなのですが、実際はもっと深いところで画家と音楽家は交わりあっています。

今回特に興味深かったのは、一枚の絵が、作曲家の音楽的関心、古代ギリシャ哲学そして高島野十郎の自然観へと広がっていったことです。芸術家の想像力ってなんてクリエイティブでおもしろいんだろう! と嬉しくなり、また、芸術作品を深く知ることの喜びをしみじみと感じました。

なお、高木さんのYoutubeチャンネルで聴くことのできる他作品『僕のご主人はスマホ中毒』『Revue!』などでは、受賞作とはひと味違ったくすっと楽しめるユーモラスな一面をかい間見ることができます。ぜひチェックしてみてくださいね。

▶︎Hinako Takagi Youtubeチャンネル

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角田 知香
ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。