知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回は誰もが知る伝説的なふたりのアーティスト、画家パブロ・ピカソと音楽家ストラヴィンスキーの作品を取りあげます。
スペインからパリに出てきた異端児ピカソと、ロシアからヨーロッパに渡り20世紀芸術界にもっとも大きな影響を与えたと言われるほど音楽・文筆に優れた作曲家ストラヴィンスキーは、あるバレエ制作のため運命的に出会います。
当時もっとも「尖った」表現で知られていたふたりは、個性の強さでぶつかると思いきや、あっという間に意気投合してしまいます。そんなふたりがコラボレーションするとき、どのような化学反応が起こるでしょうか。そしてふたりに共通する芸術観はどのようなものなのでしょうか。ひとつずつ紐解いていきましょう。
個性派アーティストたちをまとめあげた 興行師ディアギレフ
ピカソとストラヴィンスキーはもうひとりの天才によって引き合わされます。当時パリに大旋風を巻き起こしていたロシア・バレエ団の興行師ディアギレフです。
天性の人柄とあふれでるアイデアで、ディアギレフはパリで活躍する気鋭のアーティストたち(詩人コクトー、作曲家ミヨーやサティ、美術にはマティスやシャネルなど)をバレエ制作に起用します。たとえばこちらは、個性的な衣装が印象的なバレエ『牧神の午後への前奏曲』の舞台写真です。
ストラヴィンスキーは『春の祭典』などの斬新な音楽作り、ピカソは作曲家サティとの『パラード』の衝撃的な衣装デザインで、それぞれディアギレフの信頼を得ていました。イタリアふうバレエを思いついたディアギレフは、このふたりに声をかけます。1917年その調査をかねて、ディアギレフと制作陣はイタリアで合流します。旅で意気投合したストラヴィンスキーとピカソはローマ・ナポリを練り歩き、街の色彩、劇場文化にどっぷりつかり、夜にはお酒を酌み交わしました。イタリアから帰ったあとも彼らの友情は続き、コラボレーション作品が生まれます。
冗談のようなコラボレーション『ラグタイム』
1918年、ストラヴィンスキーは当時アメリカで流行しヨーロッパにも広まりつつあったジャズ音楽に関心を寄せていました。というのも、彼の友人の指揮者がアメリカから「ラグタイム*」の楽譜の束を持ち帰り、ストラヴィンスキーに渡したのです。その奇抜なリズム使いに感銘を受け、ストラヴィンスキー流「ラグタイム」が生まれました。その中のひとつ『11楽器のためのラグタイム』は、かなりエッジの効いた作品です。
4分の4拍子ながらも、三連符やシンコペーション・モルデントなどのリズムが巧妙に組み合わされ、ユーモラスで混沌とした印象があります。ツィンバロムという金属的な音の打弦楽器がよいアクセントです。ジャズの先入観をもって聴くと、その違いに驚くかもしれません。しかしこれはラグタイム音楽のまねではなく、そのユニークなリズムを素材として取り入れた、新たな音楽なのです。
この斬新な曲にピカソはユーモアと音楽的アイデアにあふれた絵を描きます。
この絵は『11楽器のためのラグタイム』ピアノ版の楽譜を出版する際に、その表紙絵をピカソが描いたものです。描かれているのはふたりの音楽家。左の人物はバンジョーのような楽器を、右はヴァイオリンを持っているのがわかるでしょうか。
そして彼らの顔をよく見ると、左にはヘ音記号、右にはト音記号が実は隠れています。しかも、よく見ると一筆書きで書かれているようにも見え、ピカソの技術の高さに驚かされます。
もうひとつ、楽譜の上部にはピカソのちょっとしたユーモアが発見できます。本来 STRAVINSKY という綴りである作曲者名をわざと STRAWINSKY に変えているのです。よくこのように間違えられていたのでしょう。
ストラヴィンスキーも負けじと冗談を仕込みます。楽譜には「パオロ・ピカソのために」と書き込みがあり、パブロであるはずの名前をイタリアふうに書き換えているのです。伝説的な芸術家たちとは思えない、少年ふたりがからかいあっているようなやりとりです。
楽しいコラボレーションを経て仲を深めたふたりは、1920年ついにディアギレフの新作バレエ『プルチネッラ』を完成させます。
バレエ『プルチネッラ』が見せた古典と現代の融合
『プルチネッラ』の物語はイタリアのコメディ劇をベースに作られました。モテ男プルチネッラが巻き起こすドタバタ劇です。ディアギレフは18世紀イタリアのオペラ作曲家ペルゴレージの楽譜を見つけ、ストラヴィンスキーに「原曲を編曲した程度のもの」を依頼しましたが、完成した楽譜を見て仰天します。古風な枠組みはもちながらも、それはまったく新しい響きの音楽でした。
こちらはバレエから主要な曲を取り出した組曲版です。第一曲目『シンフォニア』は素材となったペルゴレージの曲そっくりに爽やかなで上品な合奏曲のようでうっとりとさせられるのですが、二曲目、三曲目と進むにつれて、ストラヴィンスキーらしい奇抜なリズム・アクセント、ジャズふうの響きなどが現れます。古風なイタリア・バロックの美しさとモダンな野性味が合わさり、終曲『フィナーレ』では ザ・ストラヴィンスキー! といったリズムと音が容赦なく突き進みます。
舞台美術・衣装を担当したピカソは、当時のめりこんでいたキュビズムのエッセンスを散りばめました。こちらはピカソデザインの舞台背景画です。
舞台背景はイタリア・ナポリで見た青・白・茶色でまとめられ、輝く満月が、ボックス型のような町の中に描かれています。まるで箱の中に舞台セットがあるように見え、バレエが踊られる舞台が虚構であることを強調するかのようです。
主人公プルチネッラの衣装は、顔が半分隠れる仮面などイタリアの伝統を活かしつつ、随所に印象的な赤いアクセントが加えられています。実はピカソはもっと前衛的なデザインをディアギレフに提案しましたが、受け入れられず抑えめなものとなります。しかし結果的に、コミカルなストーリーと洗練された美術、モダンな音楽が合わさり、バレエ『プルチネッラ』は何度も再演される大人気演目になりました。
古い素材を「借りて」生まれる新しさ。ともに挑んだ「新・古典」
ピカソとストラヴィンスキーはどちらもはころころ作風が変わるタイプの芸術家でした。ピカソは青・ローズの時代、キュビズム、古典回帰と移っていき、14万点もあると言われる絵画をすべて並べれば、到底ひとりの画家のものとは思えないほどタッチが違います。ストラヴィンスキーも原始主義、新古典主義、セリー音楽と積極的に作風を変えていきました。
第一次世界大戦が終わり人々は、乱れすさんだ空気に嫌気がさし、ジャン・コクトーが提唱した「秩序に戻ろう」という言葉に共鳴します。芸術家たちも彼らにとっての秩序、すなわち古典に回帰し、『プルチネッラ』はその先駆けだったのです。ピカソとストラヴィンスキーの「古典」の取り入れ方はユニークなものでした。
『プルチネッラ』での古典素材の使い方を、音楽学者・岡田暁生氏は「構造を借用しつつ、自らの身振りでもってデフォルメし換骨奪胎してしまう」と表現しています。この「換骨奪胎」とはどのようなことを意味するのでしょうか。
『プルチネッラ』全体はイタリアのバロックを模して、打楽器も使わない小さな編成、それぞれの曲は古典的な『アレグロ』『トッカータ』といったシンプルな題目でまとめられています。しかし原曲のテンポを変えリズムを強調し、奇抜な響きを加え、ユニークな楽器の使い方を入れることでストラヴィンスキー流の音楽に作りかえているのです。
いわば、古風な音楽語法の器の中に新しい要素を加え、まったく新しいものを作り出してしまう、これこそ20世紀に誕生した新・古典です。『ピアノと管楽器のための協奏曲』でも伝統形式がモダンな響きと融合し、荘厳な美しさを聴くことができます。
またピカソが見せた「換骨奪胎」も奇抜です。キュビズムの探求と平行して新古典主義な作品を描きはじめます。
古代ギリシャを思わせる衣装を着た女性が、陰影のあるどっしりとした油彩で描かれています。ラファエロやアングルのような古典的な画法です。しかし20世紀のピカソは手腕を不自然に太く描き、お得意のデフォルメをほどこします。
さらにビビッドな色のコントラスト、額縁を走り抜けてしまいそうな女性たちの躍動感は現代的な新しさです。ストラヴィンスキー同様、教科書的な古典素材を借りることで、ピカソも自分にしか描けない「新・古典」を追求したのです。
バレエ制作をきっかけに出会ったピカソとストラヴィンスキーは、コラボレーションでより仲を深め、『プルチネッラ』という芸術潮流の分岐点となるバレエを共に作り上げました。その後、音楽と美術それぞれのフィールドで、古典素材の新たな可能性を追求します。
ふたりとも80年以上生き、どん欲に創作を続けました。今回ご紹介した新古典主義のあともふたりは、過去の傑作や同世代の芸術家の手法などから素材を得て、作風を変えていきます。彼らの革新性は過去・現代さまざまなアートから「借りる」行為から生まれたといえるでしょう。いつの時代も創作の歴史は、模倣と創造の足跡だということを感じさせられます。
彼らに共通する創作性を知ることは、違った目線で新しい発見を得ることでもあります。ストラヴィンスキーの音楽をより理解するためには、ピカソの作品制作を、ピカソを理解するために、ストラヴィンスキーを学ぶことは、楽しい発見に満ちています。ぜひ、ジャンルをまたいで楽しんでいただければ、と思います。
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