色彩の天才レスピーギが挑んだ、ルネサンスの至宝ボッティチェリの3枚の名画

新プラトン主義といわれる新たな思想を学び、イタリア・ルネサンスの最先端で絵を描いていたボッティチェリ。彼の名画たちはただ美しいだけではなく、あらゆる憶測が浮かび上がるような神秘的な一面もあることから、時代を超えて多くの人々を魅了してきました。今回は、誰もが知っているボッティチェリの名画たちと、そこから生まれた音楽についてお話しします。

イタリアの作曲家 レスピーギ

想像力を刺激するようなボッティチェリの絵画。イタリアの作曲家レスピーギも、その魅力に惹かれた観客の一人だったのでしょう。

レスピーギはドビュッシーやストラヴィンスキーなど近代的な作曲家と同世代ながら、彼らとは一線を画したユニークな音楽を生み出しました。なんといっても彼は「古風な」音楽を色彩豊かに描くことを得意としていました。

イタリア人であるレスピーギは、ルーツにあるイタリア・ルネサンスやバロック音楽の復興に強い関心を寄せていました。同じくカラフルな音風景を得意としたリムスキー=コルサコフのもとでオーケストレーションを学んだことも大きく影響したのでしょう。古風でどこかなつかしい響きを「現代楽器」によって再構築する、というユニークなアイデアを元に「リュートのため古風な舞曲とアリア」やローマ三部作などの代表作が生まれます。

レスピーギがつむぐ、『ボッティチェリの三枚の絵』

今回取り上げる管弦楽曲『ボッティチェリの三枚の絵』は、レスピーギ自身が選んだボッティチェリの名画3枚をもとに作曲されました。

ボッティチェリが生きたイタリア・ルネサンス期の時代に合わせて、あえて “per piccolo orchestra(小さなオーケストラのための)” と楽譜に記されています。当時のオーケストラは現代のものに比べて小さい編成だったためです。トランペットやチューバなどが使われない代わりに、チェレスタやグロッケン、ハープやピアノなどの楽器がとても効果的に使われています。

聴いている人の耳を喜ばせる楽しい音楽作品です。では一曲ずつ、インスピレーションの元となる絵画も一緒に見ていきましょう。

第一曲 『春(プリマヴェーラ)』

ボッティチェリ『春(プリマヴェーラ)』(出典:ウフィツィ美術館

ボッティチェリの豪華で流麗な名作『春』は、ギリシャ神話の神々が地上に豊かな春をもたらす場面を描いています。

ざっくり登場人物を説明すると、右から、風の神であるゼフィロス、彼に追われるのはゼフィロスの恋のお相手ニンフのクロリス、隣の花柄のドレス姿の女性はフローラ(花と春の神)で、のちにゼフィロスと結婚したクロリスはフローラに姿を変えます(つまり二人は同一人物)。真ん中には愛の女神ヴィ―ナス。隣で踊っているのは三美神と呼ばれる三人の女神。その隣には商業の神マーキュリー。ヴィ―ナスの頭上で目隠しをして三美神の一人に向けて愛の矢を放とうとしているのはキューピッドです。花や果物は収穫を表し、恋や愛の芽生え、商業の成功まであらゆる「豊かさ」が描かれています。

フィレンツェで莫大な富を築いた銀行一家メディチ家は、画家ボッティチェリを専属画家として雇っていました。古代ギリシャ哲学を発展させた新たな思想(新プラトン主義)を取り入れた絵画を依頼し、この『春』が生まれたのです。まさに隆盛を極めたイタリア・ルネサンス思想と芸術を表した一枚です。さて、春の喜びに満ちたこの絵画に作曲家レスピーギはどんな音楽をつけたのでしょうか?

レスピーギ『春』動画 03:08~

まさしく「春がきた!」という曲ではないでしょうか?

まず、この冒頭の鳥の鳴き声のようなトリル、どこかで聴きおぼえが…。実はヴィヴァルディ作曲『四季』の『春』に、まったく同じモチーフ(しかも同じ音)が登場します。レスピーギがヴィヴァルディを意識したかは分かりませんが、爽やかな喜ばしさを演出していることは確かです。

鳥のさえずりにパパー! と勢いをつけるファンファーレは、まるで春を告げる知らせのようです。続いて聴こえてくるのは管楽器による陽気な掛け合い。これはある中世の吟遊詩人トルバドゥールの歌『A l’entrada del tens clar(明るい季節の到来に)』から引用されています。

結婚している女王様も春には若い男に目がくらむほど浮かれる、みんな踊ろうではないか! というコミカルな歌詞が、タッタタッタというリズムに乗って歌われるのです。このメロディを取り入れることで、中世的な響きとダンスの要素が加わります。春にうかれて踊りだす、そんな風景をレスピーギはとても巧みに「音」で描きました。

第二曲 『東方三博士の礼拝』

ボッティチェリ『東方三博士の礼拝』(出典:wikipedia

こちらの絵は聖書のワンシーンを描いています。星占いで神の子の誕生を知った三人の賢者がはるばるオリエントからイエスを祝福しにやってくる、という聖書の一場面です。

中央には幼子イエスを抱くマリア。イエスの足に触れている男性と、その右下の赤いマントをはおった男性、その男性のほうに顔を向けている白い服を着た男性。この三人が東方からやってきた賢者たちです。音楽のほうは、何ともエキゾチックかつおごそかな空気に満ちています。

レスピーギ『東方三博士の礼拝』動画 09:13~

レスピーギはここでも他の音楽からのメロディを取り入れています。イエスの生誕を祝う礼拝で歌われる聖歌『久しく待ちにし主よとく来たりて』と、イタリアの古いクリスマスキャロル『Tu scendi delle stele (あなたは星から降りてくる)』です。どちらもヨーロッパではクリスマスに流れてくる定番曲なので、当時の聴衆ならその存在に気付くかもしれません。

そして特筆すべきはオリエンタルな響きを奏でるオーケストレーションでしょう。ひとつとしてアジアや東方の楽器は使われていません。ユニークな組み合わせと和音構成によって、曲全体をエキゾチックにまとめているのです。

たとえば中間部のピアノ・チェレスタ・ハープが同時に鳴る箇所は、まるで異国の打楽器のように聞こえます。レスピーギの師匠リムスキー=コルサコフは『シェヘラザード』で、アラビアン・ナイトの世界を見事に「普通の」楽器で描きだしました。この第二曲はレスピーギがリムスキー=コルサコフから受け継いだ匠の技が感じられます。

第三曲 『ヴィ―ナスの誕生』

ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』(出典:ウフィツィ美術館

さて最後の絵画は、ボッティチェリ絵画の中でももっともよく知られた『ヴィーナスの誕生』です。見る者を魅了する美しきヴィーナスの姿は、今や衣装デザインや広告演出に使われるなどキャッチーなものとなっています。

絵とタイトルから考えて、美の女神ヴィーナスは貝から産まれたと考えられがちですが、実はギリシャ神話ではヴィーナスは海中で産まれます。美しい美女に成長したとき、風の神ゼフィロスによって吹かれ、地上に到着したとのこと。つまり貝はヴィーナスを運ぶ乗り物なのです。

彼女を地上で待っているのはオーラ(ホーラとも)と呼ばれる季節の女神で、裸のヴィーナスにガウンをかけようとしています。ボッティチェリがこの絵を描いたころ、女性のヌードを描くなどありえないことだったため、『ヴィーナスの誕生』はとても革新的なアートでした。

レスピーギ『ヴィ―ナスの誕生』動画 17:39~

レスピーギ版の『ヴィ―ナスの誕生』は、静かに始まります。まるでさざ波のような弦楽器にのって、ゼフィロスがフーフーと吹く風を思わせるフルートが何度もあらわれます。

音楽は少しずつ上昇し、次第に弦楽器が奏でる大きなメロディが強まっていきます。クライマックスで一度音楽は止まりますが、最後にはまた冒頭と同じさざ波のモチーフがそっと現れ静かに終わります。

他の二曲に比べると、なんともシンプルであっさりしていて、少しびっくりしてしまうかもしれません。ヴィ―ナスはゼフィロスが吹く風によって運ばれ、絶世の美しさを持つヴィ―ナスが陸に近づくとき音楽は頂点に達し、最後には小さなエピローグで幕が下りる……。ヴィ―ナス誕生をひとつの物語として考えると、この結びは「お話はこれでおしまい、めでたしめでたし」といったおとぎ話のエンディングのようです。

「技」が光った音楽

ボッティチェリの超有名絵画たちをもとに創作されたレスピーギの『ボッティチェリの三枚の絵』ですが、三曲三様、とてもよく考えて作曲されています。

特徴的なのは、「他の音楽からの引用」が多いことではないでしょうか。当たり前ですが、歌以外の音楽作品は言葉で状況を説明することができません。今回のように「絵画」をもとに作曲する、というユニークな作業を始めるとき、作曲家は必ず考えるはずです。「さて、どうやったらこの絵画の世界を音で描けるだろう?」そんなとき、他の音楽からメロディを借りてくることはとても有効です。

ドイツの音楽学者ブルンは音楽における描写の研究論文で「音質、リズムなどを介して埋め込まれる他音楽からの引用は、その音楽 “像” をより大きなスケールで特徴づける」と述べています。つまり引用元のメロディは、すでにもっているストーリーや背景を音楽に与えてくれるのです。

たとえば今回取り上げた第二曲目『東方三博士の礼拝』だと、クリスマス聖歌を忍ばせることで、聴き手は「キリスト生誕の場面の音楽なのかな」と気付きます。その聖歌がすでにもつ「キリスト教」「イエスの誕生を祝う」という背景のおかげです。そうしてボッティチェリの絵を再び見てみると、ああレスピーギはこの絵の物語をこうやって音楽で表現したのか、と腑に落ちるわけです。

作曲家はインスピレーションを大いに働かせて音楽を作っている反面、時にはこんなふうに「計画的に」物語や世界観をもたせています。これはある種の “作曲マル秘テクニック” かもしれません。クラシック音楽だけでなく、ポップスの曲にクラシックの名曲をサンプリングすることが少し前流行しましたが(平原綾香さんの『ジュピター』やロックバンドevenescenceの『ラクリモーサ』など)、これも「他音楽からの引用」といえるでしょう。歌手の歌声に、原曲がもつ荘厳さや神聖さを加え、音楽をパワーアップさせるのです。

さて、今回はすこしマニアックな音楽作品となりましたが、いかがでしたでしょうか? ボッティチェリの三枚の名画はどれもすでに有名なものですが、たまには視点を変えて音楽から絵画を見てみてください。新たな発見があるかもしれません。

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ピアニスト・音楽学者。大阪教育大学音楽コースを卒業後、桐朋学園大学院大学演奏専攻修士課程を修了。演奏活動・ピアノ講師また文化センターでの芸術講座講師などを経て、イギリスに留学しキングストン大学修士課程において音楽学を学ぶ。音楽と絵画に関する卒業論文は最高評価を取得。帰国後は演奏活動に加え、芸術に関する記事執筆や英語翻訳など活動の幅を広げている。