知られざる音楽と美術の関係を紐解いていくこの連載。今回は男を破滅に導く女と呼ばれるファム・ファタル、「サロメ」の芸術を取り上げたいと思います。
サロメはもともと新約聖書の登場人物ですが、実は聖書の中で彼女については数行しか書かれていません。しかしながら、踊りの褒美として父である王に予言者ヨハナーンの首を要求する、というセンセーショナルな記述は、あらゆる芸術家たちにインスピレーションを与えました。
作曲家リヒャルト・シュトラウスによるオペラ『サロメ』は、何百年も描かれ続けたサロメの最終形といえるでしょう。聖書の中で母親の言いなりだった少女サロメは、作家・画家・音楽家の手によって、その美と妖艶さで男を翻弄する狂気の女性に変わっていったのです。
*予言者ヨハナーンはヨハネ、ヨカナーンなど呼び名が混在しますが本稿ではヨハナーンに統一しています。
聖書からストリップまで? 変貌するサロメ像
サロメの物語の舞台は古代イスラエル。サロメの母へロディアスは、王と結婚する前に王の弟と結婚し、娘サロメを授かっていました。しかし傲慢な王は、ヘロディアスを気に入り、弟から妻を略奪し結婚してしまいます。予言者ヨハナーンは、ヘロディアスが弟と兄のどちらとも婚姻したことを「法律違反だ」「汚らわしい」と言い、王は彼を幽閉しますがその予言の力に魅せられどうにも処刑することができません。ヘロディアスはヨハナーンを殺さない王にいらだっていました。
王が美しいサロメを卑猥な眼差しで見ていることに気付いたヘロディアスは、サロメに “ある恐ろしい計画” を実行させます。それはサロメにとびっきりのダンスを踊らせ、王から「褒美は何でもやる」という言葉を引き出し、「ヨハナーンの首が欲しい」とサロメに言わせることでした。王は要求通り、ヨハナーンを処刑しその首を差し出すのです。以上が聖書のサロメの物語です。
サロメと銀の皿にのった男の首の構図はルネサンス期の画家たちによく描かれました。
この時代のサロメは幼く意味深な表情を浮かべています。興味深いのはサロメが男の首という恐ろしいものを手にしながら、どこか冷ややかな顔をしている(微笑している?)ことです。その表情が更なる憶測を呼び、神秘的な空気を漂わせています。
この少女サロメは、一体いつ妖艶な「悪女」に変身してしまうのでしょうか? そのきっかけを作ったのはフランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モローです。
この絵はサロメがヨハナーンの首を強く求めるあまり、幻を見ているという場面です。この絵をきっかけにサロメは、「エキゾチックな踊りを半裸で踊る女」に変貌します。同時代の作家ユイスマンスは、モローのサロメをこのように表現しました。
倦怠と幻想にとり憑かれた女。自己の欲望の満足にすっかり飽きてしまったあまり‐中略‐快楽にあえて身をゆだねるような動物的本性の女。
ユイスマンス『さかしま』より抜粋
この記述は人々に偏ったサロメ像、快楽と欲望ゆえに男の首を求める狂った女、そんなイメージを植えつけたのです。
またサロメの衣装や飾りも注目ポイントです。モローは当時流行していたオリエンタリズムを取り入れ、異国風なジュエリーをサロメにまとわせ、その隙間から裸が見えるように描きました。ナポレオンのエジプト遠征を機に、人々は未開の地オリエントに夢中になり、東方風の装飾は流行のファッションでした。このエキゾチックなサロメ像はまさに時代の先端でありながら、ファム・ファタル – 男を翻弄する悪女として広まったのです。
イギリスの作家オスカー・ワイルドは、この流れを汲み(サロメの誕生を描いたフローベールの小説の影響もあり)、よりセンセーショナルな味付けをした戯曲『サロメ』を発表します。
物語はワイルドによる変更を含みます。サロメは預言者ヨハナーンに恋をし「彼の首が欲しくてたまらない」というゆがんだ欲望をつのらせ、手に入れたその首にキスをするのです。その狂気に驚いた王はサロメをその場で処刑するという衝撃のラストです。この倒錯的な物語は、イラストレーター・ビアズリーが描いた挿絵とともに大きな話題となります。
この一連の挿絵は、東洋的な花々やモチーフを使い、さらに日本の浮世絵からアイデアを得た白黒の線を際立たせ、よりサロメと「オリエンタリズム」を近づけました。ヨーロッパの世紀末芸術は、クリムトやラファエル前派に見られるように、頽廃(たいはい)的で色気に満ちたものです。サロメのモチーフはその流行のど真ん中で、新たな「性」の表現の象徴にもなっていました。
1905年、作曲家シュトラウスがワイルド版をベースにオペラ『サロメ』を発表すると、またたく間に注目を集めドイツ中で上演されます。
このオペラは序曲も間奏曲もなく、歌唱と音楽のみで進むという密度の濃い構成です。登場人物に個性を与えるため、さまざまな調性が採用されており色彩の豊かさが素晴らしいです。
一番の見せ場は何と言っても、サロメが王に披露するダンス『7枚のヴェールの踊り』の場面でしょう。10分弱のあいだ歌もなく一人で踊り続けなければならないことから、オペラではダンサーがこのシーンのために用意されることも多かったそうです。
悪徳の美『7枚のヴェールの踊り』
さきほど作家ワイルドは聖書の物語を変えていると説明しましたが、踊りのシーンにも付け加えたものがあります。単なる「踊り」を『7枚のヴェールの踊り』に変えたのです。
ヴェールを持って踊るイメージは1900年初頭に活躍した女性の踊り手ロイ・フラーから得たのかもしれません。彼女は大きな布と光を使った踊りで人気を博しました。
さて、サロメ人気の高まりとともに、『7枚のヴェールの踊り』は「7枚のヴェールを脱いでいく踊り」、すなわちストリップ的な踊りに変貌していきます。サロメ役のダンサーが最後には裸になるというストリップショーのような演出がされ、シュトラウスはこのような下品な演出を望んでいなかったといいます。賛否両論を生んだ『7枚のヴェールの踊り』、それはどんな音楽だったのでしょうか。
シュトラウス:オペラ『サロメ』より『7枚のヴェールの踊り』
演出家たちが過激な演出をしてしまうのも無理がないかもしれません。というのもこの曲には妖しく、聴き手を異世界に連れて行ってしまう魔力に満ちているからです。リズムベースは東洋の踊りを連想させ、オーボエの音色は蛇のように妖しく体を揺らすサロメの動きのようです。リズミックな部分と艶めかしい自由なルバートが交互にあらわれ、激しいテンポアップで高まっていくエンディングはサロメの恍惚そのものです。耳に絡みつくメロディと容赦ない打楽器は聴き手を放心状態に導きます。
そのサロメの最高潮をとらえたのがこちらの絵画でしょう。
画家フランツ・フォン・シュトゥックは、裸に宝石と藁のスカートを身にまとい、不気味な笑いを浮かべる恍惚のサロメを表現しています。
知られざるもうひとつのサロメ音楽
シュトラウスによるオペラ『サロメ』はサロメ像の完成形かもしれません。ダンサーによる踊りと歌劇そして衝撃的な物語が合わさった芸術、それはワーグナーがめざした総合芸術(音楽・舞踊・演劇が統合された芸術)に近く、いかにも「世紀末」を連想させるものです。
シュトラウスのオペラが圧倒的な知名度を誇っていますが、一方でサロメの音楽を少し違ったアプローチで描いた音楽家も複数います。実はマスネやグラズノフ、また『ゴジラ』の映画音楽で有名な伊福部昭までもが「サロメ」をモチーフに音楽を作っているのです。
中でも、ドイツ系フランス人の作曲家フロラン・シュミットのバレエ音楽『サロメの悲劇』は隠れた名作です。シュトラウスと同じようにオリエンタルで異様な物語を描いてはいますが、シュミットのほうは違ったあらすじをもつほか、序曲と『稲妻の踊り』『恐怖の踊り』など踊りの曲を主軸に構成されています。すべてはダンスと音楽で紡がれるのです。
シュミット:『サロメの悲劇』より『真珠の踊り』(18:50〜22:38)
こちらはサロメが踊った舞いのひとつです。シュトラウスのあからさまな官能の世界よりも、洗練されたサロメという感じでしょうか。ドイツ系の重みのあるオーケストレーションと、師匠であったフォーレから引き継いだ洒脱な音作りが魅力的です。ふたつのサロメの聴き比べも面白いので、ぜひ全編を通して聴いてみていただきたいと思います。
絵画や文学によってサロメの物語は変化し、引き継がれ、最終的に音楽化されます。この流れを見ていると、美術や文学・音楽がお互いに刺激しあうことで発展するようすがよく見えてきます。妖しい少女の物語、ファム・ファタル、オリエンタリズム、そして狂気のダンス……サロメはさまざまな要素を含んでいます。だからこそさまざまな形のアートに応用されたのでしょう。
絵画、ワイルドの戯曲、またサロメの母に着眼したフローベールの小説『ヘロディアス』、演出家によって異なる振り付けなど……今回ご紹介しきれなかったサロメの芸術はまだまだあります。ぜひ世紀末の妖しい世界を楽しんでいただければと思います。
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