卑弥呼のバッハ探究28「無伴奏ソナタ第3番 アレグロ・アッサイ」(最終回)

こんにちは、ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。

本日の曲は無伴奏ソナタ第3番の終曲、アレグロ・アッサイです。アレグロはイタリア語で “快速” の意味。アッサイとは音大入試的な模範解答で言えば “非常に” “きわめて”という意味で、英語で言うところの “most” です。“快速” なんて言われると、鉄道好きの血が騒いで「通勤快速かな?」などと言いたくなりますが、そこはじっとこらえて本編へまいりましょう!

とってもアレグロとは

 

View this post on Instagram

 

Maho Harada channelさん(@realsail_movie)がシェアした投稿

聴くだけでウキウキさせられるこの曲、とびっきりの幸福感爽快感にあふれています。これこそが「アッサイ」という言葉の意味するところと推察します。この幸福感の秘密は、16分音符の中に時折混ざる八分音符でしょうか。それとも、弓さばき巧みに駆け抜けるアルペジオでしょうか。

ここまで全無伴奏作品についてつづってきた連載の最後になっても抜かりなく言いますが、この曲は心の底からゆっくり練習をおすすめするばかり。すべての音を均一なストロークで弾けるソナタ2番のアレグロやパルティータ1番のコレンテのドゥーブルにはない難しさがあるのです。この曲とパルティータ3番のプレリュードは、必要な運弓のテクニックにかなり類似点を感じられます。

類似点というのは、すばやくてなめらかな移弦が必要なところ。ともすれば簡単にボッコボコになりそうなので、丁寧な移弦の練習が必要です。ボウイングがボッコボコになると自ずとテンポもボッコボコになるので……なめらかな道を整備していきましょう。快速列車も、道がなめらかでないと通せません!

曲の中に道しるべを

 

View this post on Instagram

 

Maho Harada channelさん(@realsail_movie)がシェアした投稿

くり返し記号を挟んで前の部分を前半、くり返し以降を後半と呼ぶことに誰も異論はないことと思うのですが、長さで見ると、前半は約40小節・後半約60小節とその比が2:3であることがわかります。だからなんですね、後半でうっかり息切れしそうになるのは…!

こういった速い曲では、個人的には音楽を地理的に捉えるようにしています。車の運転をする方などは “今走っているのが全行程のどのあたりか” という感覚に敏感と思いますが、それを演奏しながら意識するようにすると、息切れや脱線のリスクが減ります。

この角を曲がったら家を3軒分越えて……と具体的な目印を思って歩くのと、大きな道路に沿って5分歩く、というふたつの考え方があったら、前者のほうが道を間違えづらいし、退屈しませんよね? 曲の中に自分なりの標識を立てると、歩みやすくなると思います。

最高音域はここに!

 

View this post on Instagram

 

Maho Harada channelさん(@realsail_movie)がシェアした投稿

ヴァイオリンはしばしば細かいリズムと高い音を求められますが、これらは失敗のリスクが大きいのでヴァイオリニストはちょっと身構えるものであります。それにしてもバッハのこの無伴奏曲たちは、ヴァイオリニスト泣かせの高音域があまり出てこないことにはお気付きですか?

これは当時の音楽を鑑みれば一目瞭然、ヴァイオリンの高音の限度は今よりもずっと下でした。これは楽器の指板が現在のものよりも短かったことも関係があるでしょうし、肩当て・顎当てがなかった楽器の構え方にも関連しているでしょう。強いて言うとこの曲に出てくる “3点ト音” 周辺は、BWV1001-1006 の無伴奏作品の中で最高音域です。

このくだりでわたしがもうひとつ思うのは、6度のストレッチを避けられないな、ということ。個人的には手が大きくないので、人差し指と小指で6度を取る“ストレッチ”の運指は日頃避けるようにしているのですが、ここではどうしても使うことにしています(まあハイポジションですから幸い6度の幅も狭くなっていますし)。

ただ近年のヴァイオリン界を見ていて、わたしが10代の頃よりも6度のストレッチが使われるシーンが全体に増えているように感じます。余談ですが、かの有名なメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の冒頭「シーシ シーソミ ミーシソ ファミドミシー」において、わたしが初めに学んだ頃には誰も勧めなかった6度ストレッチの運指(ソミ、の部分)が、最近の国際的なトレンドです。この運指、確かに便利なんです。バッハのこれくらいのストレッチで怯えていてはいけないなぁと思います。

技術とは日ごとに進化していくもの。さまざまな歴史の中で淘汰されずに残った“伝統”というのは、生き残るだけの価値があったからこそ存在するので、学ぶべきことが多くあります。その一方で、未来によりよいものを残すためには、当代を生きるわたしたちが、新しい発想にもチャレンジし、伝統をより洗練させていくことが必要です。

全曲弾きました!

今回をもって、バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品全6曲をたどる旅は全行程を終えました。

今回のアレグロ・アッサイの演奏をお送りした場所は、南仏のとある町にある小さな音楽ホールで、かつてはオリーブオイルの生産工場として使われていた場所を改築したものです。わたしが腰かけているくぼみには大きな樽が置かれていて、上のフロアで抽出されたオイルが樽に流れる仕組みになっていたそうです。今もどことなくやさしいオリーブの香りに満たされた、すてきな空間でした!

このアレグロ・アッサイを全編弾いた動画も載せておきます。こちらはそのホールの敷地に隣接するすてきなガーデンで撮りました。よろしければ裏で流れる滝の音とともにお楽しみください。

 

View this post on Instagram

 

Maho Harada channelさん(@realsail_movie)がシェアした投稿

 

The following two tabs change content below.
栃木県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了、ディプロマ・オブ・ロイヤルアカデミー、ドリス・フォークナー賞を受賞。2018年9月より同音楽院博士課程に進学。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。弦楽器情報サイト「アッコルド」、日本現代音楽協会HPにてコラムを連載。