卑弥呼のバッハ探究26「無伴奏ソナタ第3番 フーガ」

こんにちは、ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。

本日取り上げるのは、バッハの6つの無伴奏作品の中でもっとも壮大なフーガ。シャコンヌの陰に埋もれがちですが、こちらも大変さではなかなかですよ! 今日はフーガと切っても切り離せない暗譜のお話もしていきます。どうぞご覧あれ!

テーマが長いよ…!

 

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フーガの規模というのはテーマ(主唱)の長さで決まることは、以前ソナタ2番のフーガを取りあげたときに触れました。今回のハ長調のフーガはテーマが4小節分あります。「えーたかだか4小節じゃん」って思います? そんなことを言うと確実に息絶えます

テーマの長短はずばり息の長さ。ひと息で歌い切るべき単位とでも言いましょうか。たとえばソナタ1番のト短調のフーガはテーマが1小節で、つまりハ長調のフーガはその4倍の息の深さが必要です。

実際に声に出して歌ってみると、どうでしょう、途中でブレスをしたくなる程度には長さがありますよね。弦楽器は物理的なブレスがいらない点で管楽器からうらやまれるわけですが、息の長さ流れを意識することは大切です。

暗譜が厳しくなってきた…?

 

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規模の大きいフーガになると必然的に嬉遊部も長くなります。嬉遊部が何たるかの説明は以前のコラム(▷「卑弥呼のバッハ探究7」)に詳しいので、ここでは別のお話をしましょう。曲が長くなると、暗譜が大変になってきますが、無伴奏作品はページをめくることも叶わないので、暗譜したほうが弾きやすいですよね。

わたしは現在25歳ですけれど、学部時代、特に20歳くらいから友人が「最近暗譜つらい」と言うのを聞くようになりました。大人の方からしたら「20歳で何を」と思われるでしょうが、20歳の子が言いたいことというのも、あながちわからないわけではありません。彼ら彼女らは “子供の頃のように無意識のうちに覚えてしまうことができなくなった” と言いたいのです。

かつてピエール・アモイヤル氏(ザルツブルク音楽大学教授)がレッスンの中で、暗譜についてこう語っていたことをよく記憶しています。

暗譜は3つの側面から考えるといい。
1つは、聴覚的に。耳で覚える記憶。
2つめに、触覚の記憶。いわゆる指の感覚というやつね、運指から覚える方法だ。
そして3つめは、視覚的記憶。譜面の絵面をビジュアル的に記憶するわけ。

そうしておけば、仮に耳が忘れても指と映像の記憶で補えるし、ほかもまた然り。耳だけの記憶、指だけの記憶というのはリスクが高いけれど、3つの方法いずれでも覚えてあれば、かなり確実だよね。

言葉は卑弥呼の意訳ですので悪しからず。こうしてクリアに言語化されてみると、なるほど、と思いますよね。自分が得意な覚え方と苦手な部分も見えてくると思います。わたし自身、本番で思いがけないところで指がわからなくなって、耳の記憶に助けられた経験が多々あります。またフーガのような対位法の曲、あるいは長い曲は、視覚的な記憶がかなりよく働くと思います。

ハ長調フーガの名物

 

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何をこのフーガの名物とするかは意見が分かれるかと思いますが、わたしはここでアルペジオを挙げようと思います。ソナタ2番、イ短調のフーガにはアルペジオがないのですよね。ト短調のフーガには短く2カ所に挿入されています。そしてこのフーガにもアルペジオが2回登場します。

アルペジオは音楽の転換点となっています。しかしト短調とハ長調では、その立ち位置が異なるように思います。ト短調はクライマックスとなる部分をアルペジオで挟んでいるのに対し、ハ長調ではアルペジオ自体がひとつの盛り上がり。この使い方はむしろシャコンヌにおけるアルペジオの扱いにとても似ているのです。

シャコンヌではアルペジオが和音で記譜されているがゆえに、その弾き方にかなりいろいろな方法が存在する一方で、ハ長調のフーガは記譜通りに弾くことができるので、その点はシンプルでしょうか。天使のラッパのような明るさは、本来ならこのソナタのあとに控えるパルティータ3番のキャラクターに通じるものも感じられます。

卑弥呼が強く憧れた曲

わたしは長い間、このフーガを弾くことに憧れを抱いていました。そもそもわたしがバッハの生演奏を聴いた記憶のうち、もっとも古いのが古澤巌さんの東京カテドラル聖マリア大聖堂での演奏。小学生だったのでどの曲だったのか記憶はおぼろげですが、教会で響くバッハへの憧れはそこで抱いたように思います。

続いてわたしの記憶に強く刻まれたのは、ヒラリー・ハーンがソニーから出したデビュー盤。17歳の若さであまりに完璧に演奏されたバッハの録音は、6つの無伴奏のうち後半の3つ、つまりシャコンヌを含むパルティータ2番にこのフーガが入ったソナタ3番、そしてパルティータ3番を収めています。この音源はわたしにかなり大きな影響を及ぼしました。


ヒラリー・ハーン J.S.バッハ:シャコンヌ ほか
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そして憧れに拍車をかけたのが、師匠の存在。わたしに「若いうちにバッハを一度全部勉強するように」と発破をかけ続けてくれた先生は、あるとき我が母が「わたしが一番好きなのはソナタ3番のフーガで」とこぼすと、「実はわたしソナタ3番だけレパートリーにないのよ」ととても悔しそうにおっしゃったのです。全曲制覇は先生の夢でもあり、先生がわたしに託した夢でもあるのだと知り、わたしはこの曲を勉強したことを先生に報告するのがいつしか目標となっていました。

昨年冬に、その先生とひさしぶりにお話しする機会があり、全曲到達したことをご報告しました。すると先生はやはり「ソナタ3番も弾いたのね…!」とおっしゃって、成果を認めていだけたことがとても嬉しかったです。今は、いつか先生に生で聴いていただくことが目標です。

そんなフーガ、以前録音したものをYouTubeにアップしてあるので、よろしければお茶のおともにでもご視聴ください。

愛が強くてつい長くなってしまいました。完走まであと2曲分、お付き合いください。また近いうちにお会いいたしましょう!

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栃木県出身。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程修了、ディプロマ・オブ・ロイヤルアカデミー、ドリス・フォークナー賞を受賞。2018年9月より同音楽院博士課程に進学。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。弦楽器情報サイト「アッコルド」、日本現代音楽協会HPにてコラムを連載。