はじめまして、ピアニスト兼音楽学者の角田知香と申します。
ある音楽教育者は、「音楽以外からの情報・経験は、演奏を表現豊かに導くことができる」という研究を発表しています。音楽を何か音楽以外のものに置き換えて想像してみたこと、みなさん経験がありませんか? たとえば、はじめてのピアノのレッスンのとき、手の形について「卵を大切に持つイメージで」と言われたことありますよね?(最近はシュークリームをそっと持って、クリームが出ちゃわないように気をつけてね、という表現もあるそうです!)
演奏において、私たちの「目から入る情報」と「頭に画像をイメージすること」はとても役立ちます。歴史に名を刻む芸術家たちは外的な経験や印象を、音楽に変えていきました。私は画家と作曲家、そして絵画と音楽作品の関係、というものを研究しています。
どんな画家と作曲家は交流があったのだろうか? 絵画からインスピレーションを受けた音楽はあるのかな? その逆もあるのかな? 彼らの交流を想像したり、作曲家が好きだった絵を見たり。この連載では、おなじみの芸術家(音楽家・画家)からすこしマニアックな人たちや作品まで、いろいろな「音楽と絵画の関係性」を解き明かしていきたいと思います。
サンドがつないだ、ショパンとドラクロワの友情
こちらはかの有名なポーランド人作曲家フレデリック・ショパンの肖像画です。ショパンの肖像画は他にも数バージョンあるのですが、今日はこの肖像画についてお話したいと思います。
この絵を描いたのは、こちらも美術史を語るうえでは欠かせない、フランス人画家ウジューヌ・ドラクロワです。ドラクロワは次の『民衆を率いる自由の女神』でおなじみですね。大胆でドラマチックな表現が特徴的な画家です。
実はドラクロワによるショパンの肖像画は、元来一枚の絵画だったものが、真ん中でまっぷたつに切られてしまった絵なのです。元の一枚の絵には、左側にショパンの恋人であった女流作家ジョルジュ・サンドが描かれていました。
サンドは元々ドラクロワと友人関係にあり、ショパンと恋に落ちたあと、彼女が2人を引き合わせました。彼らは親しく交流するようになり、ドラクロワは二人が暮らす別荘を訪ねるなどしていたそうです。
元の絵は、ショパンの奏でるピアノをサンドが目を閉じて聴いているようすを描いたものでした。その下書きがこちらです。
繊細で内向的なショパンと、6歳年上で社交的かつ活発な作家サンド。ドラクロワは、二人のこの場面を描くために、わざわざ自分のアトリエにアップライトピアノを運びこんだといいます。
しかしながら、この絵画は完成することなく、ショパンとドラクロワが別れたあとも、ショパンが亡くなったあとも、ずっとドラクロワのアトリエに保管されていました。
その間なんと25年。ついにドラクロワの死後に発見されたものの、金銭目的で真ん中半分に切られ、ショパン、サンドそれぞれの肖像画として別々に売りに出されたのです。現在、ショパンのほうはフランス・ルーブル美術館に。サンドのほうはデンマーク・コペンハーゲンの美術館に保管されています。
賛否を分ける異能の画家、ドラクロワ
ドラクロワは当時のフランス美術界における革命児でした。鮮やかで大胆な色使いと、躍動感のある荒々しい筆遣い、東洋的な主題を好んだことなど、当時の古典主義的なフランス美術の反対を突き進んでいたからです。そういった個性的な作風から反古典主義、ロマン派美術の先駆けなどと言われていました。
斬新すぎる絵画には反発の声も多くありました。代表的なのは、1827年発表の『サルダナパールの死』です。古代アッシリア帝国の最後の王であるサルダナパールが、部下や寵姫が殺害されるようすを無表情で見つめる、という場面を描いており、その残虐かつ暴力的な描写で、当時の画壇から批判が集中しました。
一方で、時の詩人ボードレールはドラクロワの色彩を「音楽におけるハーモニー的である」と大いに評価。同時代の芸術家たちにも大きな刺激を与えます。このように、ドラクロワの絵画は常に批判を浴びながらも、注目の的でした。
荒々しいダンディズムをもつ作風とは裏腹に、ドラクロワ自身は病弱であり、孤独を好む内省的な性格であったと言われています。ショパンを描いた肖像画ではどうでしょう。少し気難しい表情のショパンはドラクロワ特有の荒々しいタッチで描かれていますね。ショパンはこのような描写に合った人物だったのでしょうか……。
繊細でロマンチックなピアノの詩人、ショパン
ショパンの人物像とはよく語られるとおり、内向的、非社交的、たいへん繊細で病弱であったと伝えられています。ジョルジュ・サンドは、ショパンとの別れののち、彼についてこのように書いています。
「芸術家のこの極端な典型たる彼(ショパン)は、この世に長く生きる用には作られていなかったということは確かだ。彼はこの世では理想の夢によって燃えつくされた。」(サンド著『我が生涯の記』より)
男勝りで社交的、かつ離婚歴があり2人の子連れであったサンドとの交際は、当時スキャンダルになったそうです。ショパンにとってサンドは、姉さん女房的、もしくはもはや母親のような存在だったのかもしれません。
ショパンは現実に立ち向かって戦うことを好まず、内にこもって理想の音楽を作り続けました。ショパン音楽の特徴というと、歌曲かのような優美なメロディ、母国ポーランドのエッセンス、そして幻想的にさりげなく変化するハーモニー進行などが挙げられます。一般的に使われる「ピアノの詩人」という言葉のとおり、まるで散文詩のようにロマンチックな作風です。また、ピアノという楽器を好み、その可能性を大きく広げた開拓者でもあるでしょう。
彼の私生活においてなぜ恋人サンドの存在が大きくフォーカスされるかといいますと、サンドと過ごした日々から別れにかけての時期に、次々と名曲を生み出しているからです。ソナタ2番・3番、幻想曲、英雄ポロネーズ、幻想ポロネーズに子守歌や舟歌など、ショパンの傑作群が集中しています。
特にもともと見られたショパン特有の転調は、このとき複雑さを増し、聴き手を恍惚とさせるような不思議な引力を放っています。幻想ポロネーズを聴いてみましょう。冒頭の変わりゆくハーモニーの進行は絶妙です。
ショパンの自筆譜も見てみましょう。
ショパン『幻想ポロネーズ』自筆譜 (出典 : IMSLP)
手書きの譜面からは、流麗かつ細やかな筆跡はショパンの繊細な性格、そして何度も書いては消すという作業を繰り返すなど、完璧主義者としての顔もかい間見ることができます。
絵画と音楽、異なる2つに共通するハーモニー
さて、ショパンとドラクロワの作風を並べてみるといかがでしょう?
作風としては対照的ともいえる二人ですが、友人として関係が続いていたこともあり、性格的に惹かれあい、芸術においても刺激を与えあえる間柄だったのではないでしょうか。
サンドは著書の中で、ショパン、ドラクロワ、そして離婚した夫との息子モーリスの4人で、芸術について話し合った場面を回想しています。その文は「蒼い調べ」などと呼ばれる大変美しい場面です。
大まかに説明すると、この芸術談義はある夜モーリスがドラクロワに、「色彩反照」という事柄を説明してほしいとねだったことから始まります。その際、ドラクロワはショパンの存在を意識したのでしょうか。色彩理論を、音楽における和声進行にたとえて
「音楽におけるハーモニーは、和声からのみ成るのではなく、音同士の関係、すなわちその論理的な進行や聴覚的反照といったものから成っているのです。絵画も同様です。」
と話したようです。
ショパンはおもむろに、即興でピアノを弾きはじめます。それは始まりと終わりも分からないような音楽で、サンドは「私たちは透明な蒼の中に入っていった」と記しています。絵画の中での色の関係性と、音楽の中でのハーモニーの関係性。ショパン特有の幻想的な転調は、もしかするとドラクロワの語る色の相関性と何か通ずるものがあったのかもしれません。
孤独を抱えた2人の天才
異なった芸術性をもちながらも、深く通じ合っていたショパンとドラクロワ。サンドとショパンの恋人関係が終わりを迎え「共通の友人」を失ったあとも、ドラクロワは何度もショパンを訪れています。時の芸術家としてお互い名を馳せながらも、内省的だった彼らは二人にしかわからない孤独を分かち合っていたのかもしれません。
ショパンが短すぎる人生を終えたとき、ドラクロワはその悲しみの中で、再びショパンの肖像を絵にします。それはまるで思いを書き留めるかのような素早い素描で、ショパンの横顔が描かれ、その頭には月桂樹の葉でできた冠が載せられています。
月桂樹の冠は詩神アポロンの象徴であり、勝者・優秀な者のシンボルとして絵画で描かれることの多いモチーフです。ドラクロワはとても彼らしい表現で、ショパンの人生と功績を讃えたのです。
今回は、ショパンとドラクロワの親交と作品への影響を考察しました。ピアノ好きなら必ず出会うショパン音楽ですが、ドラクロワとつながりがあったことは意外かもしれません。絵画や画家とのつながりを知ると、いつもと何か違ったインスピレーションが湧いてきませんか。ピアノ演奏に彩りを加えるヒントになれば、嬉しいです。
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