失われた自由を求めて…古代ローマの剣闘士が起こした反乱を描いた物語/ヤン・ヴァン・デル・ロースト 交響詩『スパルタクス』

こんにちは。コントラバス奏者、そして! 吹奏楽指導者の井口信之輔です。

このコラムは、弦楽器奏者でありながら吹奏楽を愛するコントラバス奏者の僕が、大好きな「吹奏楽」と高校時代に得意だった「世界史」を組み合わせて、おすすめの作品を紹介していく連載企画です。4回目となる今回は、ローマの歴史に名を残す英雄「スパルタクス」が起こした戦いを描いた作品を紹介します。

ヤン・ヴァン・デル・ロースト/交響詩「スパルタクス」

この曲の作曲者は、ヤン・ヴァン・デル・ロースト(1956〜)。1956年にベルギーに生まれ、レメンス音楽院でトロンボーン、音楽史、音楽教育を学んだ後、アントワープの王立音楽院で指揮と作曲の学位を得ました。

日本では、吹奏楽やブラスバンドの作品が多く知られていますが、管弦楽や室内楽作品、合唱曲など様々なジャンルの楽曲を手がけており、世界4大陸、40カ国以上で精力的に活動しています。

洗足学園音楽大学や名古屋芸術大学の客員教授として来日することも多く、演奏会にも度々登場し、自らの作品の指揮を務めるなど、吹奏楽に関わる人たちにとっては身近な作曲家の一人でもあります。

世界史×吹奏楽 第1回で紹介した交響曲第1番「ギルガメシュ」の作曲者であるベルト・アッペルモントは、ヤン・ヴァン・デル・ローストの元で作曲を学びました。

吹奏楽の響きで蘇る人類最古の世界文学。ベルト・アッペルモント/交響曲第1番『ギルガメシュ』

おはなし

物語の主人公スパルタクスは、紀元前70年前後に実在した共和制ローマ期の剣闘士。失われた自由を取り戻すため、ローマ軍に反乱を起こす剣闘士・奴隷軍の指導者でした。

生死をかけた戦いは観衆の娯楽

剣闘士とは、ローマの闘技場で観衆への見世物として、生きるか死ぬかの戦いを繰り広げてきた奴隷のこと。

戦争捕虜や奴隷市場で買われた奴隷の多くは、貴族の家内奴隷、労働奴隷として売買されていましたが、武術に優れた奴隷は剣闘士養成所で育成され剣闘士となります。そして、各地の闘技場で見世物として殺し合いをさせられたり、猛獣と戦わされることになるのでした。

戦いに勝てば明日を迎え、負ければ命はない。

剣闘士達はそんな日々を過ごしていました。

失われた自由を求めて

ひとりの人間でありながら商品として売買されていた奴隷は、奴隷主への服従が絶対。中には、奴隷という身分から解放され解放奴隷となる者もいましたが、市民権を持つのは困難でした。

当時のローマの繁栄は、大量の奴隷たちによって支えられていたと言われていますが、権利もなく過酷な労働を強いられるため、奴隷たちが反乱を起こす「奴隷戦争」が起きることも少なくありませんでした。奴隷の反乱は、社会全体を揺るがす問題へとつながるため、政府は徹底して弾圧にあたります。しかしこのとき、またしても奴隷たちが反乱を起こそうとしていたのです。

それは、失われた自由を求めた反乱

その声をあげたのが、剣闘士のひとりであるスパルタクスでした。

「観衆の見世物として殺されてたまるか!自分たちの自由のために戦おう!」

生きるか死ぬかの日々を送っていた剣闘士たちの脳裏に、養成所を脱走する計画が浮かびあがります。

こうして、紀元前73年に南イタリアのカプアにあった剣闘士養成所から多くの奴隷が脱走しました。その人数は200人にも及ぶと言われていましたが、脱走に成功したのはわずか78人。脱走に成功した剣闘士たちは、イタリア・カンパニア州にある火山、ヴェスヴィオ山へ立てこもるのでした。

スパルタクスを指導者に迎えた反乱軍の快進撃

養成所からの脱走に成功した剣闘士たちが立てこもっていたヴェスヴィオ山には、スパルタクスの呼びかけで近隣の奴隷たちも集まっていました。ローマ政府はローマ軍の討伐部隊を派遣しますが、スパルタクスを中心とした脱走者たちは反乱軍として見事に討伐部隊を打ち破ります。

スパルタクスたちの活躍は、あまりに非人間的な扱いに苦しめられていた奴隷のあいだで噂となり、多くの奴隷たちがスパルタクスの元に集結することに。数万人の規模となった巨大な反乱軍は、イタリア中を逃げ回りながらも抵抗を続け、ついにローマ軍と奴隷・剣闘士の反乱軍による戦いは戦争状態へと突入していきます。

この「第3次奴隷戦争」は、これまでに勃発した奴隷戦争の中でも最大規模へと発展。反乱軍の指導者スパルタクスの名にちなみ『スパルタクスの乱』と呼ばれ、世界史にその名を刻むこととなりました。

戦いの結末

圧倒的な強さを誇る反乱軍は、その後も快進撃を続けていましたが、連戦連敗を重ねるローマ軍が作戦を変更。政治家であり大富豪であったクラックスという人物に指揮権を委ねることによって、風向きが変わっていくことになります。

そして、紀元前71年。反乱軍はイタリア半島南部のカラブリアに追い詰められ、クラックス率いるローマ軍と全面対決を余儀なくされます。ここで、スパルタクスは戦死。反乱軍は敗北し、生き残った反乱軍のメンバー約6,000人は捕虜として捕えられました。このとき、ローマからカプアへと続くアッピア街道沿いには、生きたまま磔(はりつけ)の刑に処された反乱軍のメンバーの十字架が延々と並んだと言われています。

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井口信之輔

千葉県出身。洗足学園音楽大学卒業。クラシック音楽を軸にコントラバス奏者として活動するほか「吹奏楽におけるコントラバスの理解と発展」に力を入れており、SNSを通し独学で練習に励む中高生に向けた発信をおこなっている。また「弦楽器の視点から見たバンド指導」をテーマに吹奏楽指導者として多くの学校で講師を務めている。昭和音楽大学研究員、ブラス・エクシード・トウキョウ メンバー。これまでにコントラバスを寺田和正、菅野明彦、黒木岩寿各氏に師事、指揮法を川本統脩氏に師事。趣味はアロマテラピーと釣り、ドライブ。