フランス史に名を残す孤高の英雄ナポレオン。その波乱の生涯を描く/オットー・M・シュワルツ『ボナパルト』

こんにちは。コントラバス奏者、そして! 吹奏楽指導者の井口信之輔です。

このコラムは、弦楽器奏者でありながら吹奏楽を愛するコントラバス奏者の僕が、大好きな「吹奏楽」と高校時代に得意だった「世界史」を組み合わせて、おすすめの作品を紹介していく連載企画です。3回目となる今回は、フランス史に名を残す孤高の英雄ナポレオン・ボナパルトの生涯を描いた作品を紹介します。

オットー・M・シュワルツ『ボナパルト』

この作品を書いたのは、オーストリアの作曲家、指揮者のオットー・M・シュワルツ(1967〜)。日本では吹奏楽作品が多く知られていますが、映画音楽やテレビコマーシャルの音楽を手がける作曲家としても、1,000曲以上の作品を生み出しています。

シュワルツ氏の作品は非常にドラマチックで、こちらの『ボナパルト』も華やかなファンファーレから始ります。曲中にはフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』がいろいろな形で顔を出していたり、大砲の音や軍隊が行進する足音などがシンセサイザーや打楽器を使って効果的に表現されていたり表情も豊か。「この曲、映画のサウンドトラックなんだよ!」って言っても気づかれないかもしれない、エンターテイニングな名曲です。

おはなし(英雄の誕生)

物語の主人公はナポレオン・ボナパルト。

生まれはイタリア半島の海に浮かぶ地中海でもっとも美しい島、コルシカ島。イタリア貴族を先祖に持ち、洗礼名はナブリーネ・ブオナパルテでした。

当時、ジェノヴァ共和国の領土であったコルシカ島では、コルシカ独立戦争が行われており、父は独立軍の指導者パスカル・パオリの副官を務めていました。しかし、ナポレオンが生まれる直前にフランス側へと寝返ってしまいます。

この戦争で、独立軍はジェノヴァ共和国の同盟国であったフランス軍に敗れ、指導者パオリはイギリスへ亡命します。フランス側へと寝返った父は、見返りとしての報奨を受け、フランス貴族と同じ権利を得ることになります。

これによって、ナポレオンはフランス国籍を持つことができ、フランス本土で教育を受けることができることになったのでした。

故郷コルシカ島からフランスへ

その後、ナポレオンは家族とフランス本土へ渡り、陸軍の幼年学校を経て15歳でパリの仕官学校の砲兵科へ入学。通常であれば卒業まで4年前後かかるところ、11ヶ月という最短記録で卒業を果たし、その優秀さで周囲を驚かせました。

ナポレオンの故郷、コルシカ島のアジャクシオは地中海でもっとも美しい島として多くの観光客が訪れる

1789年 フランス革命〜ナプリオーネからナポレオンへ

1785年にナポレオンが砲兵士官に任官すると、1789年にはフランス革命が勃発します。

フランスの情勢は不穏なものとなっていきましたが、コルシカ島出身のナポレオンは革命にあまり興味を持っておらず、しばしばコルシカ島へ帰郷していたといいます。

ところがコルシカ独立戦争が起きた際、家族がフランス派であったことから、ナポレオンと家族はコルシカ島から追放されてしまいます。やむなくフランスのマルセイユにへと亡命することになったナポレオンは、フランスの軍人として生きていくことを決意し、ナブリーネ・ブオナパルテから “フランスふう” のナポレオン・ボナパルトへと改名するのでした。

ききどころ

金管楽器が華麗なファンファーレを奏で物語の幕が開かれると、続くトランペットのソロが歌い上げるのはフランスの英雄となり今に名を残すナポレオン・ボナパルトの姿でしょうか。

孤高の英雄を思わせる高貴な音楽は、次第にフランス国歌『ラ・マルセルエーズ』へと姿を変えます。曲の前半は、地中海の島で生まれたナポレオンがフランスへと渡り、軍人としての頭角を現しつつも、ときに故郷コルシカ島への想いを寄せながらフランス皇帝へ即位するまでを音楽で描いたひとつの物語のようです。

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千葉県出身。洗足学園音楽大学卒業。クラシック音楽を軸にコントラバス奏者として活動するほか「吹奏楽におけるコントラバスの理解と発展」に力を入れており、SNSを通し独学で練習に励む中高生に向けた発信をおこなっている。また「弦楽器の視点から見たバンド指導」をテーマに吹奏楽指導者として多くの学校で講師を務めている。昭和音楽大学研究員、ブラス・エクシード・トウキョウ メンバー。これまでにコントラバスを寺田和正、菅野明彦、黒木岩寿各氏に師事、指揮法を川本統脩氏に師事。趣味はアロマテラピーと釣り、ドライブ。