ラッキードラゴンの聴きどころ
僕がこの曲に出会ったのは今から3〜4年前、吹奏楽コンクールに向けたレッスンにおいてでした。
ラッキードラゴンという名前と美しいメロディ、そして技巧的にも難しく聴かせどころの中間部、エンディングに向かって駆け抜ける後半と、初めて耳にしたときは、親しみやすくかっいい曲という印象でした。しかし、音楽で第五福竜丸の事件を忘れないきっかけになれたらという作曲者の思いを知り、曲について調べていくにつれ音楽の聞き方が大きく変わりました。
吹奏楽コンクールや定期演奏会でこの曲を演奏する人は、ぜひ歴史に目を向けどんな事件だったかを知っておくと、より音楽表現の幅が広がっていくのではないでしょうか。
さて、この曲は大きく分けて5つの場面に分かれていますが
- 前半の3シーンは史実に基づき表現された音楽
- 後半の2シーンは作曲者のイメージで表現された音楽
となっています。
1「悲しみ 嘆き」
冒頭部分は、この曲のキーワードでもある「海」をピアノが表現しています。
美しくもどこか悲しく、悲痛な音楽が木管楽器によって奏でられ、続いてクラリネットのソロをきっかけに提示される旋律が聴き手を一気に物語の世界へと誘います。
どこまでも続く広い夜明け前の海の下、船員たちは作業をしていたのでしょうか。
美しくも悲痛な音楽が木管楽器によって奏でられたあとは、ホルンの不吉な予感を暗示させるようなテーマが聴こえ、楽器が重なるたび緊迫感に包まれていきます。
そして、張り詰めたような静寂のあとクレッシェンドと共に見えるのは、西から昇る太陽でした。
2「西から昇る太陽」
東の空から昇り西へ沈む太陽が、西の空から昇ってくる。太陽は不気味な閃光を放ち、爆発音が聞こえ、爆風で揺れる船の様子は映画「第五福竜丸」でもリアルに描かれています。
西から昇る太陽を、吹奏楽ならではの迫力ある強奏で描き、不気味に照らされた空は、デクレッシェンドによって再び暗闇に包まれていきます。
3「不安 怒り」
弱奏から急激なクレッシェンドを経ると一気に場面が展開し、アップテンポの音楽へと変わります。「不安 怒り」と書かれたこのシーンは、死の灰を浴びて徐々に体に異変を感じ始める船員、そして家族の姿を描いたのでしょうか。
とてつもない速さで駆け回る音符と、金管セクションが激しく唸る変拍子。
初めて聴くとかっこいい音楽のように感じますが、ここに書かれているのは「不安と怒り」。僕も、この曲の背景にある物語を知ってからは、かっこよさが迫り来る恐怖感へと変わりました。
体調不良を訴え、皮膚に異変が起き、髪の毛が抜け落ちてきた船員23人は、帰港後に原爆症と診断されます。そして、半年後の9月に乗組員の一人、久保山愛吉無線長が命を落としてしまいます。
久保山無線長が残した「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」という遺言は、新木場・夢の島にある第五福竜丸展示館にて、記念碑に深く刻まれ今も残されています。
こうして、前半は史実に沿った重く悲痛な音楽が描かれています。
4「祈り 昇天」
絶望の淵に立たされたような重苦しい低音楽器の中から、冒頭で耳にしたクラリネットが顔を出し、「祈り 昇天」の場面へと移ります。
ラッキードラゴンの聴きどころは、何と言っても旋律の美しさ。
クラリネットソロをきっかけに提示されたテーマが再び顔を出し、聴き手を物語の世界へと誘います。やがて旋律の悲痛な嘆きは美しさへと変わり、船の魂が天高く昇っていくようです。
5「希望 ラッキードラゴン」
関係者たちは、第五福竜丸のことを通称「福竜」と呼んでいました。そして、その英語の直訳が「ラッキードラゴン」。作曲者のコメントによると、船の魂である福竜が船体から離れ、本当の意味での “ラッキードラゴン” となって天に昇ると書かれています。
再びアップテンポとなっていくこのシーンは、空高く昇る “船の魂” が、第五福竜丸の事件を忘れてほしくないという作曲者の思いを乗せた “音楽” になっていくという印象を受けます。
最後にもう一度、聴き手を物語の世界へと誘うテーマが高らかに歌い上げられ、エンディングへと一気に駆け抜けてこの物語は幕を閉じるのでした。
平和への願いを、音楽に乗せて。
途中までは事実になぞった表現で、後半の明るくなった部分は、船の魂である福竜が船体から離れ、本当の意味での「ラッキードラゴン」となって天に昇って行くイメージで作りました。
この曲を吹奏楽コンクールなどで、若い方達が接すれば、少なからずこの出来事や今も続いている核実験など考え感じてもらえると思います。そしてその演奏を聴いてくださったお客様も何かを感じていただけると思います。そうやって「忘れてはならない」輪が少しず広がって行くと望んでおります。
『ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶』は2009年、埼玉県にある春日部共栄高等学校吹奏楽部による委嘱作品として生まれました。そして、同校が第23回定期演奏会や全日本吹奏楽コンクール(全国大会 金賞受賞曲)で演奏したことがきっかけで多くの人の耳へ届き、今では全国の吹奏楽部、市民バンドで演奏されています。
最近では、首都圏で活躍する若手音楽家によって結成されたWISH Wind Orchestraによって演奏されたことも記憶に新しく、会場には作曲者の福島弘和さんの姿も見えました。
こうして、どこかでこの曲が演奏されることで作曲者の思いでもある「忘れてはならない」の輪が広がり、今年もどこかで音楽に乗せてラッキードラゴンが天高く昇っていくのだと思います。
今回は日本で起きた出来事を取り上げたこのコラム。次はどこの国の、どの時代へと向かうのでしょうか? 次回もどうぞお楽しみに。
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