おはなし(ナポレオン戦争)
ナポレオン率いるフランス軍は、1796年のイタリア遠征でオーストリア軍を破り、その後も卓越した戦術と指導力でヨーロッパ各国の統一を目指し各地へと遠征します。
当初は、フランス革命を外国の干渉から守る防衛戦争でしたが、革命理念の拡大のための戦争へと姿を変えていくことになり、周辺他国からみれば一方的な侵略戦争でもありました。
ナポレオンが英雄として見られる反面、独裁者・侵略者としても知られているのはこうした出来事が絡んでいるからです。
この1796年〜1815年までの間にナポレオンによって起こされた戦争は「ナポレオン戦争」と呼ばれ、世界史に残る出来事となりました。
ピラミッドの戦いでのエピソード
1798年のエジプト遠征では、ナポレオン率いるフランス軍とオスマン帝国領エジプトのマムルーク軍が戦いを繰り広げました。
エジプト遠征の際にフランス軍に呼びかけた
「兵士諸君! このピラミッドの上から、4000年の歴史が君たちを見下ろしている」
という言葉は、ナポレオンの名言として残されています。
1804年 フランス帝国の皇帝へ
各地で戦いを重ねナポレオンが名声を高めていく中、フランス国内では不安定な総裁政府に対する国民の不安が表面化していきました。民衆は、政治の安定を強力な指導者に望むようになり、その期待は軍隊の指導者であったナポレオンへと集まっていきます。
1799年にエジプトから帰国したナポレオンは、政府打倒の計画を立て総裁政府から実権を奪うことに成功。これによって、ナポレオンが新たに統領政府を樹立し、第一統領となります。
統領政府は、3人の統領を置く体制でありながら、権力のほとんどがナポレオンにあるとされ事実上ナポレオンの独裁政権といってもおかしくないものでした。
そしてナポレオンはついに、国民投票を経て1804年にフランス皇帝へと即位。ナポレオン1世となり、同年12月2日にパリのノートルダム大聖堂でローマ教皇立会いのもと、戴冠式がおこなわれました。

ノートルダム大聖堂で即位式を挙行し、自ら王冠をかぶったナポレオン
数々の戦いを繰り広げモスクワを占領~エルバ島脱出
その後も数々の戦いを繰り広げるナポレオン。1812年にはロシアへ遠征しモスクワを占領したものの、ロシア軍の焦土作戦により食料の補給が難航。厳しい寒さと飢えの中でロシア撤退を余儀なくされ敗北を喫しました。
ちなみにロシアの作曲家チャイコフスキーがこの出来事を書き上げた祝典序曲『1812年』は非常に有名で、チャイコフスキーの代表作のひとつとして、今でも世界のオーケストラで演奏され続けてします。
ナポレオンはエルバ島という島へ流刑になりましたが、戦後体制の決まらないフランスの混乱に乗じ島を脱出。パリに向けて進軍するとルイ18世を追いやり、なんと再び皇帝の座へと返り咲きます。

ききどころ
再び華麗なファンファーレが奏でられたあとは雰囲気が一変し、緊迫感のある打楽器セクションのリズムに乗って戦いのシーンを思わせるテーマが顔を出します。
連戦連勝を繰り返すフランス軍が戦いを繰り広げるシーンを描き、冒頭とは打って変わった緊迫感のある響きで奏でられるフランス国歌『ラ・マルセルエーズ』とともにフランス軍の足音が聴こえてくるシーンは必聴です!
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