フィドル奏者大森ヒデノリさんのインタビュー。前編では、大森さんがさまざまな音楽を経験しながら、ついにはフィドル奏者となるまでの道のりについてお話いただきました。
▶︎【前編】古楽、古典、民族音楽…フィドル奏者 大森ヒデノリの「音楽」を作り上げるものとは
後編では話題をフィドルのことに絞り、楽器や奏法について詳しく伺っていきます。
時代と楽器の変遷
−クラシック以外の音楽を演奏するとき、ヴァイオリンを「フィドル」と呼んでいますが、実際構造上の違いはないのですか?
「地域によっては調弦の仕方が違ったり、形がちょっと違ったりするものもあるんですけど、大体がヴァイオリンと同じですね。フィドルというのはお祭りのときに演奏したり、昔はあまり娯楽もなかったので仕事から疲れて帰ってきてから弾いたり、食後の団らんのときに壁にかかっているフィドルを取り出してきてキッチンで弾いてみたり…そんな楽器なんです」
−人々の生活に寄り添う楽器だったんですね。クラシックとの奏法の違いはどんなものがありますか?
「まず歌い方がちがいますよね。アイリッシュやスウェーデンのフィドルでいうと、まっすぐな歌い方というか。装飾の付け方も違うなど細かいところもあるんですけど、クラシックだとビブラートを使ったり、音色を均一にしないといけなかったり音程の問題で開放弦をなるべく使わなかったりしますが、フィドルの場合はビブラートをかけるとフィドルらしくならないのでほとんど使わないですですし、結構特定のキー(調)しか使わないので開放弦を使うことがまた味になったりします。クラシックで使われるような奏法は、単純にアイリッシュ音楽の本質の中に必要なかったのかもしれません。リズム、ビートを出すことが大切なんですね」
−アイリッシュだと、曲によっては裏拍に重みをもってきたりしますよね? 私自身フィドルを始めてみて、クラシックとリズムの取り方が全然違うなと感じて、今となってはかえってクラシックのヴァイオリンは弾けないなと(フィドルをやってなくても弾けないですが……)思ったんですね。大森さんは元々クラシックのヴァイオリンをされていて、クラシックの奏法が身についた状態でそこからまた全然違う奏法を習得されたわけですけど、大変ではなかったですか?
「これはちょっと言い方が悪いですけど、そこまで真剣にクラシックを勉強していなかったのが良かったのかもしれませんね(笑)」
−(笑)。 大森さんはフィドル以外にもマンドリン、ニッケルハルパ、ギターと楽器をかなりたくさん習得されているのがすごいなと。
「とにかくどれも弦楽器ですね、基本。元々弦楽器が好きで…、弦楽器以外のものも好きですけど今からはもうできないので(笑)」
−でも、同じ弦楽器でも中身は全然違うのではないでしょうか?
「たまたまヴァイオリンを子供の頃にやっていたので、持ち方や角度が違うにしてもある程度対応できるんです。中学で始めたギターと、その後のマンドリンで『ピックで爪弾く』というのもやっていたので、その範囲で対応できる楽器でやってみたいと思うものをいろいろと。あとはフレットがあるかないかという違いはありますけど」
−その後フィドルを弾いたときにちょっと混ざったりしないんですか?
「しないです(即答)。全く違う楽器ですね」
−あ、すみません(笑)。このニッケルハルパは他の楽器とは見た感じが全然違いますし、キーが付いているので運指もきっと違いますよね。
「そうです。これは苦労しましたねぇ。ニッケルハルパは弾き始めて10年ぐらいなんですけど、でもやっぱり難しいですね。左手の鍵盤を押さえるというのが、今までやったことのないものだったので」
ここで大森さんは、ニッケルハルパを実演してくださいました。ホールで弾いている、もしくはマイクを通しているんじゃないかと勘違いしてしまうほど、とても響きのある、不思議な音のする楽器でした。
−ニッケルハルパには共鳴弦と呼ばれるものがついているんですよね。これは実際に弾く弦ではなく、それと共鳴して音を出す弦ってことですか?
「そうです。ヴァイオリンのように弾くんですけど、下に共鳴弦が張ってあって、上の弦が出した音の周波数に反応して共鳴弦が振動するようになっていて…」
−それでこんなに豊かな音が出るのですね。私は弦楽器にあまり詳しくないので共鳴弦というものにまったく馴染みがないんですが、クラシックの楽器にも共鳴弦が使われているものはありますか?
「今はないですね。もう滅んでしまいました。ハイドンぐらいまでは共鳴弦が付いている楽器があったんですが。古典派の最初くらいまでですかね」
−ハイドン…。だいぶ前に滅んでしまったんですね…。
「だいぶ前ですけど、ハイドンまで残っているのは結構生き残っている方なんですよ」
−そうなんですか!
「ハイドンは共鳴弦を使っている『バリトン』という楽器を好んで演奏したエステルハージ候のために126曲ものバリトン三重奏曲を作曲しています。共鳴弦は小さな環境だと効果があるんですけど、オーケストラの中に入ったときにやっぱり邪魔だったんだと思います。残響が残りすぎてしまったり、音を止めにくいんですね。大ホールで演奏されるようになって、音量の出る楽器、きちんとバランスが取れる楽器が残っていったんでしょうね」
「ノルウェーに行くとハーディングフェーレという共鳴弦がついた楽器もあります。フィドルの形をしてるんですけど、共鳴弦が張ってあるんです」
それぞれの魅力を持つ民族音楽
−アイルランドの付近でも、アイリッシュに似ているけれども違う魅力を持った音楽がたくさんありますよね。
「僕は身近なところにフィドル奏者がいたことから、初めはアイルランドとスコットランドの音楽に傾倒していったのですが、それとは別にスウェーデンの音楽も始めました。スウェーデンはアイリッシュやスコティッシュとは違う、スカンジナビアの音楽になるんです。ノルウェーやフィンランドに近いものを含んでいます」
−どちらもダンスミュージックになると思うのですが、どんな違いがありますか?
「アイルランドの方の踊りは基本はステップ、跳ねるんです。でもスウェーデンの踊りは歩きます。アイルランドの舞曲は2ビートで上下に跳ねるイメージでステップがしやすいんです。でもスウェーデンの3拍子はブンチャッチャというリズムで跳ねるというより移動していくようなイメージですね。スウェーデンの踊りはカップルダンスと言って男女で踊るんですが、密着して旋回することが多いんです。本当に美しいんですけど」
■アイルランドの踊り「ケーリーダンス」
■スウェーデンの踊り「ハンボコンクール」
体で覚える現地の講習
−フィドルは現地で学んだりもされたんでしょうか?
「夏の間に音楽祭だとか、サマーコースをアイルランドやスウェーデンでやってるのでそういうのに行っていました」
−音楽祭はクラシックではよく聞きますが、アイリッシュなどでもあるんですね。
「たくさんありますよ。いろんな地域でやっています。ものすごく田舎なんですけど、一番大切なのはそこで現地の空気を吸ったりだとか、どんなふうに現地の人が音楽に接しているか、どんなふうに踊っているかを体得することなんです」
−ほとんどが楽譜を使わないレッスンなんですよね?
「グループレッスンで輪になって、先生も輪の中に入って。曲のことを説明してくれて、バーっと一曲弾いてくれるんです。で、知っている曲だと意味がないので『この曲を知っている人はいませんか』って確認して、それをみんなで一時間かけて覚えるっていう。
メロディーやボーイング、ノリなどを覚えてきたら、装飾を入れていくんです。それは楽譜にできないような、楽譜を見ても再現できないようなことをやっていきます。全然8分音符でないようなノリであったり、グルーブがあるので。スウェーデンの舞曲に関しても、3拍子なのに均等でないものもたくさんあるんです」
−全部体に染み込ませていくという感じなんですね。
「まねすれば確実にその人の弾く通りにするので、楽譜の先入観なしに最初に入ってくるじゃないですか。それをまず経験します。その後忘れないように楽譜を書くというのはアリかもしれないですし、先生によっては後で楽譜を配ってくれる人もいるんですが。そういうのを向こうで学ぶうちに、それを人に伝えるためのセオリーとか決まりや全体の雰囲気を感じることができたし、ネイティブの人と一緒に演奏することで繰り返し弾く中で自分の体に入ってくるんですよね。
朝9時から始まるんですが、5コマくらいレッスンがあって全部先生が入れ替わっていくんです。それを5日間やるので、結構曲を覚えられるんですよ」
−でもそれだと、1日目にやったことを忘れてしまいそうです…。
「だから最後におさらいみたいな感じで発表するんです。みんなで覚えた曲を。それ以外にも、夜はセッションをしていました。広間でみんなで有名な曲を弾くんですが、それがまた楽しくて。誰かが曲を弾き始めたらそれに合わせてみんなが弾き始めたり……」
−楽しそうですね、それは!
「だいたい夏の時期なので、あちらは全然暗くならないんです。日は一応沈むので白夜ではないんですが、ずっと空が白んでいるんですよ。だからいつまでたっても、明け方になっても弾いてましたね。それで翌日は朝からレッスンを受けて。それを5日間くらい繰り返すのですごく楽しかった記憶があります」
アイリッシュをもっと身近に
−現在演奏だけでなくレッスンの方にも尽力されていますが、ヨーロッパの民族音楽をレッスンをする上で気をつけたり工夫されてることはありますか?
「結局向こうのやり方をそのままやるのが一番いいのかもしれないですけど、それをどうやったらより日本人にも伝わりやすくできるか、というところですかね。たとえばグルーヴやノリに関して、現地を知らない人にいきなり『感じろ』というのも難しい。現地の人であれば、もともと血としてあるうえに、子供の頃から踊りを見ていたり演奏を聴いたりしているのですから、自然に体で感じとることができると思うんですけど」
−日本で始めた人には、蓄積されたものが何もないですもんね。
「そうですね。なので、たとえば足を踏むとか、細かいグルーブやリズムを作っていくためにこういう訓練をしてはどうかということを研究して提案しています。足を踏んで上げるにしても、その足をどう上げるのが体にグルーブを作りやすいかとかね」
−逆にそれは現地の人には説明ができないかもしれませんね。
「当たり前すぎて、できないと思います。それを異文化として捉えてまねしようと試行錯誤してきたことが、メソッドとして生かせるなと思っています。
たとえばボウイング(弓の使い方)も、現地の人はあまり気にせずに自由に使っているところも、僕はレッスンのときに細かく指定します。なぜかというと、初学者にとってはまずはひとつ決まったものを示す方が伝わりやすいと思うから。決めておくと練習もしやすいですし」
−なるほど。今も多岐に渡る活動をされていますが、今後の目標はありますか?
「僕自身は、演奏技術を高めていきたいというのも当然あるんですけど、自分で曲をもっと書いて、自分自身の音楽をフィドルやニッケルハルパを通じて深めていきたいなというのが一番の目標ですね。あとはいろんなスタイルの人と共演したり、こういう音楽を全然知らない人にも聞いていただける機会を増やしていきたいです」
−では最後に、大森さんにとってのフィドルの魅力を教えてください!
「この歳になって一番思うのは、一生ライフワークとして歳をとってからも続けられそうということでしょうか。フィドルは頑張らなくても弾けるので。向こうのおじいちゃんやおばあちゃんが弾いているのを聴くと、枯れていい感じになっているというか。人生の蓄積が味になってどんどん出てくるし、歳をとったなりの演奏ができそうなので楽しみですね」
コンサートのお知らせ
大森さんはフィドルをもっと身近に感じてもらおうと『Fiddler’s Cafe』というコンサートを世田谷 エムズ・カンティーナ(東京)・スタジオSuguri(大阪)の2箇所で開催しています。他ではなかなか聴くことのできないニッケルハルパの演奏も聴くことができます。こちらは座席がとても少ないので、興味のある方はぜひ予約をしてお越しください!
詳しくは大森ヒデノリさんのホームページをご覧ください。
今榮 くみこ
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