ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。放課後の音楽室で、お茶を淹れながら「今の教科書」に載っていない音楽の話をしたいというコンセプトでお送りするこの連載。第9回目の本日は、イギリスの作曲家レベッカ・クラーク(Rebecca Helferich Clarke,1886-1979)を取りあげます。
※コラムの最後に、この連載に連動した演奏会のお知らせがあります。
イギリスで最初にプロオーケストラ奏者になった女性
レベッカ・クラークは女性作曲家の中では今日すでによく知られているほうの人と言えます。ヴィオリストだったら彼女の『ヴィオラ・ソナタ』は避けては通れないくらいの定番曲です。本人がヴィオリストだったクラークは、イギリスで初めてプロのオーケストラ団員になった女性としても知られています。1912年のクイーンズ・ホール管弦楽団のオーディションは英国史上初のカーテンごしの審査(ブラインドオーディション)を実施し、このとき6人の女性奏者が合格、クラークはそのうちのひとりだったというわけです。
それだけヴィオラの腕が確かで、固定の室内楽団体にも所属して演奏活動で身を立てていたクラークは、もちろん音楽家としての野心もあったでしょうが、その進路選択はかなり環境に左右されている節があります。そしてその道のりはーーもし彼女が男性だったらもっとたやすかったであろう、と想像せずにはいられません。クラークの足跡を辿りながら、今日の社会は果たしてどれだけ変わったのか、一緒に考えていきましょう。
周囲の男性に振り回され音楽学校を移籍
クラーク家はもともとアマチュアとして音楽に親しみのある家庭で、父のジョゼフがチェロを、母のアグネスがピアノとヴィオラを弾けるという環境でした。ジョゼフがレベッカの弟ハンスにヴァイオリンのレッスンを授けていたところ、レベッカも後ろに座って参加し始めたために、彼女も楽器を持つことになりました。家族でカルテットを演奏できるなんてとても楽しそうです……と言いたいところですが、ジョゼフの教育は虐待的で、レベッカは金属の定規で叩かれるなど、あまり健康的な様子ではありません。
それでも彼女の音楽的才能は芽を出していきます。楽器を習得しつつ、作曲もするようになったレベッカが17歳になる年、英国王立音楽院への入学を認められて専門的な音楽教育を受け始めます。しかし最初の不運は、ヴァイオリン教師の教え方がクラークに合わなかったこと。彼女は旧式のメソッドに適応できず、退屈に感じます。その上、和声の教師が何を間違ったかクラークに求婚をしてくるというびっくり展開。そしてそれを聞いた父親が激昂して、本人の意思を問うこと無しになんと娘を退学させてしまったのです!
後日談ですが、このときの和声教師はのちに遺産としてストラディヴァリウスのヴァイオリンをクラークに寄越しました。しかしクラークは50代になってこれをアメリカのディーラーに売ります。手放せてきっと清々したでしょうね。
王立音楽院を退学させられたクラークは、全く別の学校だったら父も許すだろうと、王立音楽大学に作曲で入り直しました。ここで師事した作曲家・スタンフォードにヴィオラへの転向を勧められたのをきっかけに、時の名手ライオネル・ターティスにヴィオラを習うようになります。
父と絶縁、ヴィオラで喰っていく
そうした専攻の勉強のみならず、友人であるピアニストのベリル・リーブスと合唱団を立ち上げ、指揮にはのちの大家ヴォーン・ウィリアムズを迎えるなど、充実の学生生活を送っていましたがこれも突然はかなく散ります。父親の不倫が発覚し、父の不貞に批判的な態度を取ったところレベッカは怒りを買って勘当されてしまいました。資金の後ろ盾がなくなり、クラークはまたしても退学を余儀なくされます。こうなったら腕一本で喰っていくしかない……クラークは突然にプロ奏者としての生活をスタートさせたのです。
クラークが社会に足を踏み出したその頃、イギリスでは女性参政権運動の高まりもあり、女性音楽家協会(Society of Women Musicians)という団体が組織されました。クラークもこの協会の最初の会合に参加します。SWMはこの時代に女性演奏家が活躍の場所を得ることの難しさを改善しようと様々な働きかけをおこないました。そのうちのひとつが、冒頭にも書いた「ブラインドオーディション」を実現すること。粘り強いロビー活動と巧妙な交渉を重ねた結果、ヘンリー・ウッドが監督を務めるクイーンズ・ホール管弦楽団のオーディションがカーテン越しに実施されることとなりました。見事に実技審査を突破して団員となったクラークは、ある意味で女性が自分の腕で食べていくロールモデルとなったのです(なおヘンリー・ウッドといえば、前回のコラムにも登場しましたね)。
クラークはオーケストラ団員での活動のみならず、室内楽奏者としても重宝されます。中でチェリストでやはり作曲もするメイ・マークルとの共演は多く、その友情は生涯のものとなります。
作曲家としての黄金期と、その影
1919年代後半、クラークは作曲家兼ヴィオリストとして、先述のメイ・マークルと共に世界ツアーに出かけます。アメリカの各都市で演奏会を重ねる中、クラークはマークルとのジョイント・リサイタルで「ヴィオラとピアノのための楽曲『モルフェウス』」も演奏しましたが、世間的体裁を気にして「アントニー・トレント」というペンネームを使います。この曲は、普段はクラークの楽曲を無視する音楽評論家から高評価を得るという皮肉な結果になります。女性作曲家への信用というのはまだまだ低い時代でした。
マークルと一緒にハワイも訪れたクラークは、ここでエリザベス・クーリッジ夫人に出会います。クーリッジ夫人はアマチュアのピアニストで、音楽家のパトロンとして自身が主催の作曲コンクールを開催していました。1919年、クラークは匿名で審査されるクーリッジ夫人のコンクールに『ヴィオラ・ソナタ』で応募。この曲がエルネスト・ブロッホの『ヴィオラ組曲』と同点で1等に輝きます。しかしクーリッジ夫人はブロッホを覇者とし、クラークは優勝を逃しました。それでもあまりの良曲で彼女の『ヴィオラ・ソナタ』は注目を集めます。審査後に曲の作者がクラークだと世間に明かされると、こんな曲を女性が書けるわけない、レベッカ・クラークとはブロッホのペンネームではないのか、など、曲の良さは認められているものの大変屈辱的な反響が起こりました。
しかし『ヴィオラ・ソナタ』で勢いづいたクラークは、ここから続けて彼女の代表作である『ピアノ三重奏』に『チェロ・ソナタ』、そして本日この記事の冒頭に動画を掲載した「ヴァイオリンとピアノのための『夏至の月』」を作曲していきます。この時期はクラークの黄金時代と呼ばれています。
コンクールも含めると長きに渡った演奏旅行行脚後は、マークルとのピアノ四重奏団を結成したり、BBC(英国の国営放送)の音楽番組に関わるなどロンドン拠点での活動を再開します。ところが1940年代になってアメリカに住む兄弟を訪ねて出かけたところ、戦争の影響でイギリスに帰るためのビザが取れなくなってしまいました。以降クラークはアメリカで生活していくこととなります。
生活のためにベビーシッターの仕事もするようになり、作曲や演奏活動がだんだん遠のいていきます。そんな折、ニューヨークでかつて王立音楽大学での友人だったピアニスト、ジェームズ・フリスキンと再会。フリスキンはジュリアード音楽院の創設メンバーとして立ち上げに関わり、死ぬまでジュリアードで教鞭をとりました。クラークはフリスキンと結婚するも、家事との両立は不可能として作曲の気力はさらに消極的になってしまいました。
すなわち、時期としては結婚して以降の時代にその音楽活動は観測できないのですが、なんと93歳まで生きる大往生ぶり。あれだけたくさん弾いていた人が舞台に立たなくなるのも残念な話なことです。しかし作曲コンクールの結果を受けたネガティヴな世論に心が痛まなかったわけがありません。実際クラークはアメリカに移ってからというものうつ気味の日々を送っていたようです。
作品の出版
クラークの作品は1970年代になって再脚光を浴びたおかげで完全に忘れ去られることなく現代にも弾き継がれていますが、特に近年は遺族がその作品整理に努め、比較的多くの著作が出版されています。女性作曲家作品はそもそも「出版がされていない」ケースが多い中で、ありがたいことにクラークの譜面は手に入りやすいです。
クラークの音楽キャリアで言えば、そもそも最初の退学で歯車を狂わされた感が否めません。いち学生に向かって教員が求婚をしたこと自体も問題ですが、それで父親がクラーク本人の「学習の機会」を奪ったのは強引でした。レベッカは父の死後に、父に対する複雑な感情を書き残しているくらい、そのネガティブな影響は尾を引いたようです。
前回のドロシー・ハウエルと比べてみると、クラーク作品(特に黄金期のもの)にはどろどろとしたマグマのような秘めたエネルギーを感じます。近代的な和声感が強く、小編成の作品が多いのですが、これは「女性は大きな曲を書かないと一般に言われている」というクラーク自身の遠慮も働いたのではないでしょうか。もちろん作曲家によっては小編成に向いていて大編成作品は不得手というケースもありますが、クラークが書く大編成の曲も聞いてみたかったものだなと筆者は思います。
というわけで、クラークの一番有名な作品は『ヴィオラ・ソナタ』ですが、今回筆者ことわたくし原田真帆のリサイタルでは『ヴァイオリン・ソナタ』のほうを取り上げます。開催は2026年6月6日、15時開演です。今回はレベッカ・クラークのヴァイオリン・ソナタ(日本初演)および同時代に活躍したハウエルのヴァイオリン・ソナタ(日本初演)をメインとして、このコラムで取り上げた『夏至の月』など小品も演奏します。
本公演は会場券とライブ配信券を用意しています。会場券は抽選終了しておりますが、現在配信視聴の受付中です。
配信券は5月25日から6月6日まで、お申し込みいただいた全ての方にお聴きいただけます。配信は当日の15時の開演時からのライブ配信はもちろん、公演4週間後までアーカイブ配信のご視聴も可能です。配信はYouTubeの「メンバーシップ登録者限定配信」の形でお送りいたします。
詳しくは下記の特設サイト、またその下の動画にてご案内しております。ぜひ、コラムで触れた音楽を実際にお聴きいただけましたら幸いです。
参考文献
Broad, Leah. Quartet. London: Faber & Faber, 2023.
The Official Homepage of Rebecca Clarke. “Life.” Rebecca Clarke, June 3, 2020. https://rebeccaclarkecomposer.com/life/.
The Rebecca Clarke Society. “Her Life | Rebecca Clarke Society.” www.rebeccaclarke.org, n.d. https://www.rebeccaclarke.org/her-life/.
Wikipedia Contributer. “Rebecca Clarke (Composer).” Wikipedia, September 19, 2023. https://en.wikipedia.org/wiki/Rebecca_Clarke_(composer).





