卑弥呼のバッハ探求9「無伴奏ソナタ第1番 シチリアーナ」

こんにちは! ヴァイオリン弾きの卑弥呼こと原田真帆です。

もう4月だというのに、わたしが今住まっているロンドンではいまだ、トレンチコートだと心もとない日々です。例年より寒波が厳しかったこの冬は、明けるのも遅いようで…そんなときはつい南の島に思いを馳せます。

というわけで今日の1曲は、地中海はシチリア島に由来する舞曲・シチリアーナです(こじつけた)。

シチリア島に思いを馳せて

シチリアーナ(シチリアーノとも言います)は、8分の6拍子または8分の12拍子の舞曲で、たゆたうような付点のリズムが特徴的です。シチリアーナという言葉自体は「シチリア島の」という意味ですが、バカンスの地として有名なこの島との関係性は謎なんだとか。けれども、まるでバルカローレ(舟歌)のような付点のリズムから、シチリア島の浮かぶ地中海の波や、海に漂う舟のイメージを持つ人も少なくありません。

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にしてもこの手の付点は、非常にセンスを求められるといいますか…まぁ正直に言うとわたしは得意ではありません(苦笑)。個人的には、厳密な付点よりも、付点と複付点の間くらいを狙うことで舟歌に近い雰囲気を演出したいと思っています。

テンポの設定もひとつ悩ましい点です。重音が多く移弦が大変なので、恐らくは弾いているうちに重たくなってしまうケースが多いのでは、と推察されます。海の波って不思議で、決して急いだりはしない割に、返ってくるのが遅くなったり、止まったりすることもないのですよね。あの絶妙なタイミングを表現したいなぁ、とは思うものの、言うは易し、おこなうは難し、ですね。

ポリフォニーつらい

さて、前回のフーガよろしく、今回のシチリアーナも、重音祭りで弾き手を苦しめてくれますね!(言い方)

このように複数の声部がそれぞれに旋律を持っていて、声部同士の力関係が対等なものを、ポリフォニーといいます。対義語としてはホモフォニーが挙げられ、これは主に旋律を担う声部と伴奏の声部とに役割が分かれている音楽のことを指します。

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このシチリアーナの場合には、フーガほど複雑ではないにしても、中間部などはあっちの声部こっちの声部への移動が激しいです。声部ひとつごとに切り出して、1パートだけ弾いてみる、という練習が一番有効だとわたしは思っています。頭で理解していても、それがうまく表現されないのがおけいこ道の世の常。奏でたいメロディーを耳に染み込ませるのは、理想の音楽を見失う危険を防ぐはずです。

調号がひとつしかない…?

ところで楽譜をお持ちの方はご確認いただきたいのですが、調号は何がいくつ付いていますか?

…そうですね、フラットが付いています。ということはヘ長調? いやいや、始まりの和声といい、終わりの和声といい、どう考えても変ロ長調ですよね。この秘密、教会旋法を学ぶと解決できます。

現在主に使用されている音階というのは長音階と短音階の2種類。しかしこのふたつが生まれる前は、教会旋法という音階が主流でした。教会旋法は基本のスケール4種とそれぞれの変格、計8種類からなります。その後2種類(とその変格)が追加されるのですが、この追加されたほうの音階がのちの長音階と短音階になるのです。

さて、このシチリアーナはそんな教会旋法のうちリディア旋法というもので書かれています。これは7つの音からなる音階のうち、4つ目と5つ目の音の間が半音、そして7つ目と8つ目(=1つ目)の間が半音となっています。

このシチリアーナの調号の通りに音階構成音を書き出してみると、♭シドレミファソラ、つまりはリディア旋法に一致しますので、我々がよく知る変ロ長調にあるはずの「ミの♭」の調号がないのも納得です。同じ要領でこれまでに取り上げたアダージョやフーガ、そして次回のプレストを調べると、そちらはドリア旋法で書かれていることがわかります。

とはいえ、ほかのソナタやパルティータを見ても教会旋法で書かれているものはないので、なぜこの曲に限りドリアやリディアが用いられたのかは謎であります…。

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この動画で弾いた部分は、ぱっと聞いたところト短調ですね。譜面上はドリア旋法にのっとった音で書かれていますが(ファのナチュラル)、ファにシャープをつけて和声短音階調にして弾く方も少なくありません、むしろそのほうが多いでしょうか(なお動画の字幕を間違えて「フリギア」にしてしまいました、すみません)。

美しい緩徐楽章

ソナタ第1番は出だしから比較的険しく厳しい音楽です。つづくフーガもストイックでしたので、そのあとに現れるシチリアーナの甘美な曲調には、癒しのようなものを感じます。

どんな試練を経て、地中海に行き着いたのだろうか。そしてどんな想いで次のプレストへと向かうのか−−−。このソナタを弾くときにはそんなことを考えています。長調のようで、ただ明るいだけではない、暖かさも、それでいてどこか寂しさも感じさせるシチリアーナは、美術館でバロック期の美しい絵画を見たときの気持ちに似ている気がします。

次回はソナタ1番の最後を飾るプレストです! どうぞお楽しみに!

ABOUTこの記事をかいた人

原田 真帆

栃木県出身。3歳からヴァイオリンを始める。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校・同大学器楽科卒業、同声会賞を受賞。英国王立音楽院修士課程2年在学中。第12回大阪国際音楽コンクール弦楽器部門Age-H第1位。第10回現代音楽演奏コンクール“競楽X”審査委員特別奨励賞。佐々木美子、山﨑貴子、澤和樹、ジェラール・プーレ、小林美恵、ジャック・リーベックの各氏に師事。弦楽器情報サイト「アッコルド」、日本現代音楽協会HPにてコラムを連載。