「有名になりたいとは思わない」国際派チェリスト増田喜嘉の純粋すぎる音楽愛に迫る

男性の話し言葉に近い音域を奏でるという楽器、チェロ。今回お話をうかがうチェリスト増田喜嘉さんの演奏も、まさに心に語りかけているかのように情緒豊かで、その音色からは優しくも力強い包容力を感じます。

南カリフォルニア大学の音楽学部の大学院の博士課程を経て、現在カリフォルニアの音楽大学の准教授を務めている増田さん。人生をほとんど海外で過ごし、演奏はもとより、お話しする中でも人をぐっと惹きつけるような魅力の持ち主です。

いったいどのようなバックグラウンドが、増田さんを作り上げてきたのでしょうか? 今回はこれまでの海外生活と、精力的に音楽活動の幅を広げている現在についてインタビューします。


増田 喜嘉(ますだ よしか)

兵庫県神戸市生まれ。5歳よりチェロを始める。特別奨学生としてシドニー音楽院附属中学、高校に留学。その後、英国王立音楽検定国際奨学生として渡英し、英国王立北音楽院を首席で卒業と同時に、学長賞、レナード・ローズ・チェロ賞を受賞。2016年南カリフォルニア大学音楽学部博士号を取得。チェリストの登竜門として知られる第11回ビバホールチェロコンクールで第1位・夢但馬賞を受賞し、一躍注目を集める。現在、カリフォルニア・ルーセラン大学音楽学部准教授・弦楽科長。


きっかけは、コントラバス

―現在、音楽大学の准教授ならびに弦楽科長もお務めの増田さん。まずはチェロに出会ったきっかけを教えていただけますか?

「父がアマチュアジャズベーシストで、毎週ジャズクラブで演奏していました。どうやら父の演奏をしばしば邪魔していたようで、『興味ある?』と聞かれまして、『ある』と答えたはいいのですが、コントラバスは分数楽器がないので大きすぎるし…じゃあチェロならどうかな、ということでチェロを始めることになりました」

―確かに、チェロなら分数楽器もあって5歳からでも始められますよね。お父様は趣味で音楽をされていたのですか。

「そうです。僕は本格的にチェロの勉強を進めていましたが、中学生になる頃、父の仕事の都合でシドニーへ行くことになりまして。シドニー音楽大学の附属中学校に、特待生として入学することになりました」

―小学校卒業と同時に突然の海外移住。苦労したことはありますか?

「やはり大変だったのは言語ですね。英語は多少勉強していたのですが、やはり現地に行くと、生きている言語は全然違っていて。子供は物覚えが速いなんて言いますが、自分が学びたいという意思がなければ、言葉を自分のものにすることはできません。『とにかく挑戦しなければいけない!』と思い、発音を分析してひたすら実践していました。でもオーストラリア人はフレンドリーな人が多く、友達はすぐにたくさんできました」

シドニーからイギリス、そしてロサンゼルスへ

2004年、シドニーにて高校3年生の増田さん(前方左)

―増田さんはその後、イギリスの英国王立北音楽院へ全額免除の特待生として入学しましたが、シドニーからイギリスへ留学を決意されたのはなぜですか?

「シドニーの学校にイギリスからすばらしい先生がレッスンにいらして、『この先生に習いたい!』と思い、18歳のときに単身でイギリスに渡りました。イギリスも英語圏なので、そういう意味では『ちょっと別の地方に行く』くらいの感覚だったのですが、いかんせん物価が全然違っていて。生活費をまかなうために学校の食堂やカフェでバイトをしていました。皿洗いとかきつかったなぁ…(笑)」

―練習に加えて皿洗いまで! 苦労した大学時代のあとは、ロサンゼルスへと行かれましたよね。

「初めはヨーロッパ大陸に行きたかったんです。実はスイスのバーゼル音楽院の先生のクラスに入れてあげると言われていたのですが、イギリスで師事していた先生がロサンゼルスへ行かれることになったので、とても悩んだ末、スイスの音楽院をやめてついていくことにしました。でも僕にとってロサンゼルスに行くことはとてもギャンブルで、誰も知り合いがいないしコネクションもない、というゼロからのスタートでした」

―世界各地を経験されていますが、特に気に入った街はありましたか?

「今振り返ると、ロサンゼルスはこれまで住んだ街の中で一番好きです。一緒に大学で勉強した仲間たちとルームシェアをして暮らしていましたが、気候もずっと暖かいし、食べ物も日本食はもちろん、タイ料理、中華料理、メキシコ料理など安くておいしいものにあふれています。いろんな文化が混在していて楽しいところです」

シェアハウスの仲間たちと楽しいひととき

チェロだけのクインテット“SAKURA”

―現在の活動について、お話いただけますか?

「チェロ5本で “SAKURA” というクインテットを組んで活動しています。チェロ4本でのカルテットはよく聞きますが、4本だと少し物足りない。そこに楽器を1本増やすだけでぐっと厚みが増して、弦楽オーケストラのような響きになるんです」

―“SAKURA”には、どのような意味が込められているのでしょう。

「メンバーはみんな同じ先生のもとで学んだ仲間なのですが、先生の名前がラルフ・キルシュバウムさんといって、ドイツ語で『サクラの木』という意味なんです。先生へ対するリスペクトを込めて “SAKURA” という名前にしました。また、サクラの花びらは5枚、僕たちのチェロは5本で同じ数なのでふさわしいかなと思って」

―なるほど、すてきですね! チェロだけのクインテットというと、どういったレパートリーがあるのでしょうか?

「チェロ5本のために書かれた曲というのはあまりないので、メンバーのみんなで曲を編曲したり、最近は作曲家の方に曲を書いていただいています」

▼チェロクインテットで奏でる『亜麻色の髪の乙女』(ドビュッシー)

―増田さんは、ソロでも精力的に現代曲の初演に取り組んでいるとうかがいました。世の中には現代曲に苦手意識を持ったり、あるいは興味はあっても普段なかなか接する機会がないという人もいらっしゃると思いますが、増田さんの考える現代曲の魅力を教えてください。

「『どうしてこのような譜面を書いたのか』その意味や作曲にまつわるエピソードなどを、作曲者に直接聞く機会があるという点ですね。たとえばバッハに質問したいことはたくさんあるけれど、それは叶わないわけですから。

特に印象深いのは、以前出演した室内楽のフェスティバルで、指揮者でもクラリネット奏者でもあるドイツの作曲家、ヨルグ・ヴィットマン氏(写真右から3人目)と直接お会いできたこと。演奏を通し、たくさん勉強させていただきました」

「今は現代曲と呼ばれる作品も、あと200〜300年後には現在のバッハの作品のような存在になり得るわけです。だから人々にその音楽を知ってもらうために、そして後世に残すために、生まれたての音楽を自分がご紹介する責任を感じながら演奏しています」

きっかけは一滴の涙

―音楽家はフリーランスです。常に精進しなくては生き残れない厳しい世界で、時には疲れてしまうこともあるると思います。ですが、増田さんは常に最高のモチベーションを維持しているように見えます。そのパワーはどこから湧いているのですか?

「14歳のときに家族で一時帰国したときに幼なじみが入院していると聞き、チェロを持って病院を訪ねました。

彼女は多発性硬化症という病気で、まだ20歳前後だったのに筋肉をコントロールする力をほぼ失っていました。意識はあるため、音や会話は聞こえていても、手足は動かせないし反応もできず、もうずっと寝たきりの状態でした。その姿を見るだけでも悲しくて…。でも挨拶をして、チェロで1曲弾くことにしました。

演奏したあと振り向いたら、彼女の目に一滴の涙が見えたんです。拍手もできず、声もだせない、でも彼女は涙一滴で彼女自身の感情と感謝を伝えてくれました。その瞬間、音楽を通してこれだけのインパクトを人に与えられる力が僕にあるなら、一生この才能を磨き続け、音楽を通して人々の人生に影響していきたいと強く思いました」

―それは忘れられない思い出ですね…。

「音楽って感情と感情の対話だと思うんです。上手に弾くことも大事だけれど、『なんでうまく弾こうとするのか?』ということを自分の生徒にもよく質問しています。音楽の世界というのは、頂点には辿りつかないとはわかっていながらも、常にそこへ向かって自分と向き合う作業の連続だと思います。

ときどき演奏していて音楽の力というのを感じます。自分でもコントロールできない、この世のものでもない感覚がした瞬間、それを経験するために音楽をしていてよかったと感じますね。人に何かを少しでも伝えることができるのなら、芸術家としての責任があると思います」

ステージ上で血圧が上がって…!

―増田さんの音楽に対しての情熱が伝わってきます。熱くなりすぎて演奏中にハプニングに見舞われたことがあったと聞いたのですが…?

「4年くらい前に、ロサンゼルスでのリサイタルで、バッハの無伴奏チェロ・ソナタの第4番を弾いていました。無伴奏という緊迫した雰囲気の中で血圧が上がったんでしょう、アルマンドの楽章で鼻血が出てきました」

―大変! そのあとどうされたんですか?

「演奏は途中で止められないので、その楽章は上を向いて演奏しました。きっとお客様たちは『感情移入してるんだなぁ』と思われていたと思います(笑)。そして楽章の間に『鼻血が出たので一度戻ります!』と舞台袖に戻りました。ステージに戻ったときに、“Putting in my blood and sweat.(血と汗を入れた=全力で演奏した)”という鼻血に掛けたジョークで会場を笑わせたことも記憶に残っています」

―ユーモア抜群ですね! 増田さんはこれまで数々のコンクールで優秀な成績をおさめ、ソリストとしてもご活躍で、さらに音楽大学の教授でもあります。この先に目指す「理想の姿」とはどのようなものなのでしょうか?

「僕はとにかくチェロを続けていきたいです。できるだけ高いレベルの人たちと関わって自分の成長につなげたいです。お金がほしい、有名になりたいとは思いません。チェロをずっと弾き続けられるのなら、僕はそれで満足です」


音楽と真摯に向き合い、邪念なく高みを目指していらっしゃる増田さん。お話を聞いているうちに、日々の煩雑さの中に見失いかけていた、音楽への純粋な愛が自然と胸中に湧き上がるようでした。

増田さんが時折感じるという「音楽の力」、私もがむしゃらに追い求めていこうと決意を新たにしました。

出演コンサートのお知らせ

普段はロサンゼルス在住の増田さんですが、数年ぶりに日本で増田さんの演奏が聴くことができます。4公演ありますので、ご都合つく方はぜひ足を運んでみてください!

増田喜嘉 チェロリサイタル

日時:2018年6月6日(水)19:00開演(18:30開場)
会場:東京オペラシティ リサイタルホール(東京都新宿区西新宿3-30-2)

入場料:事前予約4,000円/当日4,500円
学生1,500円(大学生以下)

ほか、5/26養父、6/2神戸、6/8名古屋でも開催。

そのほかの公演の詳細は、増田さんの公式ホームページをご覧ください!
増田喜嘉ホームページ
Facebookページ
instagram@yoshi.cello


増田喜嘉プロフィール全文

兵庫県神戸市生まれ。5歳よりチェロを始める。1999年特別奨学生としてシドニー音楽院附属中学、高校に留学。その後、英国王立音楽検定国際奨学生として渡英し、2009年英国王立北音楽院を首席で卒業と同時に、学長賞、レナード・ローズ・チェロ賞を受賞。2016年南カリフォルニア大学音楽学部博士号を取得。2014年チェリストの登竜門として知られる第11回ビバホールチェロコンクールで第1位・夢但馬賞を受賞し、一躍注目を集める。これまでに第40回アメリカ全国ヤング・アーティストコンクール弦楽部門第1位、第25回オーストラリア音楽協奏曲コンクール第1位、さらに第21回ヤマハヨーロッパ音楽財団弦楽コンクールで優勝。J&A Beare主催国際バッハコンクール第2位など、国内外の数々のコンクールで優勝、入賞。
協奏曲をフアレス交響楽団、マンチェスター・ベートーベン・オーケストラ、シェフィールド室内楽団、ミルトン市管弦楽団、北クィーンズランド交響楽団、クィーンズランド青少年交響楽団、SBS青少年放送交響楽団、YMFデビューオーケストラなどと共演し、好評を博す。また現代音楽にも興味を持ち、作曲家マイケル・カティングのチェロ協奏曲や、ヨルグ・ヴィットマンの八重奏曲 、細川俊夫の「ランドスケープ II」のアメリカ初公演を手掛ける。数々の音楽祭にもコンスタントに出演し、室内楽をC・ガッド、B・ジュランナ、N・ダニエル、A・マルグリス、P・ロチェックなどと共演している。
これまでにチェロを林良一、G・ペダソン、H・ロバーツ、R・キルシュバウムの各氏に、室内楽をA・テイト、P・フィッシャー、P・キャッツ各氏に師事。また、D・ゲリンガスやT・デメンガ各氏にも師事を受ける。
現在カリフォルニア・ルーセラン大学音楽学部准教授・弦楽科長。

ABOUTこの記事をかいた人

長崎県出身。3歳よりヴァイオリンを始める。田代典子、木野雅之各氏に師事。これまでに、エドゥアルド・オクーン氏、豊嶋泰嗣氏、大山平一郎氏、ロバート・ダヴィドヴィチ氏、ハビブ・カヤレイ氏、加藤知子氏、小栗まち絵氏のマスタークラスを受講。また、ながさき音楽祭、球磨川音楽祭、霧島国際音楽祭、NAGANO国際音楽祭に参加、マスタークラス修了。各地で演奏活動を行う。西南学院大学 国際文化学部卒業。福岡教育大学 大学院 音楽科 修士課程卒業。