「オペラやっぱ楽しかったわ。」Nr.5

本コラムは、声楽家・平山 里奈がベルリンで学ぶ中で、オペラの魅力を再発見していく様子を思うままにつづる連載作品です。

ベルリンのイースターは公演目白押し

先週の週末、ヨーロッパはイースターの祝日だった。知ったふうに「イースターの祝日だった」なんて書いてみたものの、私自身はイースターの何たるかをお恥ずかしながら知らなかった。イースターと聞いて思い出すのはディ◯ニーランドくらいなものだ。イースターが近づくと、ドイツの街のいたるところに、うさぎと卵とひよこのモチーフがあふれかえる。なぜうさぎなのか、なぜ卵なのか。知らないことがあったら、訊けばいいのだ。そうG◯◯gle先生に。

チョコレートメーカーであるリンツの宣伝のために、謎の車のオブジェと巨大な金色のうさぎのバルーンが置かれていた

「イースター うさぎ 卵 なぜ」で検索したところ、約263000件ヒットした(2017年4月21日現在)。中にはとてもわかりやすく説明してくださっているサイトがあった。気になる方はぜひ検索してみてほしい。ここではその由来について多くは語るまい。とにかく、イースターは復活祭とも呼ばれ、キリストが十字架にかけられた金曜日から、復活した日曜日までを意味する。キリスト教ではない私にとっては、聖金曜日と呼ばれる金曜日と、復活祭の日曜日、そして復活祭翌日の月曜日が立て続けに祝日となり、お店というお店がお休みになってしまうという、死活問題に面食らうばかりであった。

しかしながらその祝日期間は、ベルリンの音楽愛好家にとって特別な期間と言える。なぜならその期間、どの劇場もこぞって大きな演目を用意してくるからだ。その中で私は、4月7日から16日にかけて「フェストターゲ」と称し、10日間大きな演目を連続で上演していたシュターツオーパーより2演目を観劇した。今回はそのうちのひとつ、リヒャルト・シュトラウス作曲『影のない女』のプレミエについてつづりたいと思う。

プレミエを楽しむ

プレミエとは公演初日、とりわけ新演出の公演のことを指す。その日は言うまでもなく特別な公演となり、劇場はさながらパーティー会場か舞踏会に様変わる。伝統あり、格式高いオペラハウスであればあるほど、そのドレスコードは華やかなものになり、夜の公演ではイブニングドレスを着たご婦人方や、タキシードできめこんだ紳士がハイヤーで劇場に乗り付けたりする。

デュッセルドルフの劇場でのプレミエの様子

とはいえ、私はこれまでにドルトムント、デュッセルドルフ、ベルリンはコーミッシェオーパー、そしてこのシュターツオーパーの4劇場でプレミエを観劇したことがあるが、平均すると銀座の三越にいらっしゃるマダムや、青山を闊歩するレディーの方が華やかなように感じたのが私の印象だ。より華やかと言っても、さすがに銀座にはイブニングドレスの方もいなければ、青山にもタキシードの男性はいない(…いやいるかもしれない)が、ようは特別な雰囲気は存分に味わえるというわけだ。

プレミエはその雰囲気の特別さもさることながら、目の肥えた音楽愛好家たちや、批評家、オペラ歌手等、訪れる客層もまたしかり、わかる人間にとっては、とてつもない社交場にも成りうる。傍観している分にはそれもまたとても面白い。

私はと言うと、お気に入りのワンピースを着込んで、いつもよりも少しだけ気合いの入ったメイクで、こちらではあまり履く機会のないハイヒールを履いて(というのもハイヒールはヨーロッパの石畳にはあまりにも向かないのだ)、ささやかな特別感を胸いっぱいに抱えながら劇場に足を踏み入れるのが関の山だ。それでもいつもとは違う緊張感が、少し背筋を伸ばし、オペラを観るだけではない楽しみがそこに加わる。

『影のない女』

長過ぎる余談はこのあたりにして、そろそろ本題に入ろう。この『影のない女』という作品は日本での上演は稀である。というのも楽曲自体が技術的にも表現的にも、要求することがあまりにも多く、物語も空想的、夢幻的で難解であるという理由からだ。一方で本作品は、1992年に三代目市川猿之助(現在は二代目市川猿翁)が演出を手がけた公演がおこなわれたことでも知られる作品で、なるほどその空想的な世界観は歌舞伎にも通ずるところがあるというのは納得ができる。グレーな世界観を愛するメンタリティを持った日本人にとっては、それほど頭を悩ませて観ずに済むのではないかと、個人的には思っている。

今回のこのシュターツオーパーの公演は「フェストターゲ」期間中唯一のプレミエ公演であり、劇場も相当気合いが入っていると噂は聞いていたが、実際に観劇してみて、そのすばらしさに正直度肝を抜かれてしまった。4年前に初めてドイツを訪れて以来、のべ50公演はドイツのオペラを観てきたように思うが(思ったより大した量じゃなくて少しがっかりした)、安易に「今までで一番すばらしいものを観た」と言ってしまうほどにすばらしかった。

何がすばらしかったかということについて文章で述べるには、私の表現力では力不足だろうと容易に想像できるため、あえて簡潔に、シンプルに良かった点についてまとめさせてもらうことにする。

ここがすごいよ!今公演!

素晴らしかったポイントで重要な点が3つある。第一に、歌い手がとにかくすばらしかった! ヨーロッパ広しといえど、ひとつの公演に乗るキャスト全員が、観客をうならせる歌唱力であるということはやはりすごいことである。カーテンコールでは鳴り止まない拍手とブラボーの嵐が観客の興奮度を物語っていた。

カーテンコールの模様

特に「影のない女」役、ソプラノのカミラ・ニュルンドの演奏はそれはそれは圧巻であった。この『影のない女』という作品はとても大規模なオーケストレーションで描かれているため、声を客席に届かせるためにはそれ相当の声量が求められるのだが、彼女の声はいともたやすく(観客にそう思わせるほどに)オーケストラを越え、聴いている観客の耳元でその響きを体感できるほどに、劇場全体を掌握(しょうあく)したものであった。それでいて、その声で信じられないほど音楽的に奏でてくるときたものだから、音楽を学ぶ一若者としてその圧倒的実力には“やっていられない”気分になった。

第二は、言わずもがなそのオーケストラのすばらしさ。私はよく演奏会を聴いていて、オーケストラのもつ緊張感が劇場全体の緊張感を操っているように思うことがある。ドイツの劇場のオーケストラはどこのオーケストラもとても素晴らしい演奏を聴かせてくれるが、その公演回数の多さから、たまに集中力に欠けた演奏に遭遇することがある。

しかし今回の演奏は一幕冒頭の第一音から、終演まで演奏に対する熱量は保たれ続け、観客もまたその緊張感に必死に食らいついていくようだった。指揮は日本でもファンの多いダニエル・バレンボイムで、彼の持つオーラがそのオーケストラの集中の源であることは明らかであった。

そして最後に演出について。題材が非常に不思議でメルヘンチックな物語であるため、その世界観にいかようにも色付けすることが可能であり、魔法が存在する世界である以上ド派手な仕掛けだって盛り込むこともできてしまう作品だが、今回の演出はとてもシンプルであった。

だがそのシンプルな演出であるがゆえに、歌い手達の繊細な演技が引き立つように描かれており、その演技はオペラではなくストレートプレイを観ているようなこだわりを感じた。なおかつ視覚的な情報が最低限であるため、音楽にものすごく集中することができる。これは演奏にものすごく自信があるということの表れでもあるだろう。おかげで一瞬たりとも聴き逃すことなく、その音のすべてを味わい尽くすことができたように思う。

こういう演奏会に出逢えるから、オペラを聴きにいくのがやめられなくなってしまうというものだ。やみつきだ。まんまと思うつぼだ。やっぱりオペラだ、オペラを観なくては。

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輪湖 里奈

東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。同大学院音楽研究科修士課程独唱専攻卒業。学部卒業時にアカンサス音楽賞、同声会賞を受賞し、同声会新人演奏会に出演。東京藝術大学新卒業生紹介演奏会にて藝大フィルハーモアと共演。2014年夏には松尾葉子指揮によるグノー作曲「レクイエム」に出演。これまでに声楽を千葉道代、三林輝夫、寺谷千枝子、Caren van Oijen各氏に師事。